人呼んで、インスト界のオールスターチーム。TSUUJII(Calmera)、YUKI(JABBERLOOP)、MELTEN(JABBERLOOP、fox capture plan)、Gotti(Neighbors Complain)からなるPOLYPLUSは今、結成10周年イヤーを迎えて意気軒高。ニューアルバム『COSMIC』をリリースし、4大都市を巡るツアーの真っ最中だ。
そのファイナル公演、11月14日の恵比寿LIQUIDROOMには、ゲストDJとしてメンバーと親交の深い社長(SOIL&"PIMP"SESSIONS)の出演が決まった。DI:GAではこの公演を盛り上げるべく、両者による座談会を企画(Gottiは不在)。出会いのエピソードから秘めたエピソード、クラブジャズ論から今後の目標に至るまで、尽きない話に花が咲く、ジャムセッションのように盛り上がるトークをお楽しみあれ。
そのファイナル公演、11月14日の恵比寿LIQUIDROOMには、ゲストDJとしてメンバーと親交の深い社長(SOIL&"PIMP"SESSIONS)の出演が決まった。DI:GAではこの公演を盛り上げるべく、両者による座談会を企画(Gottiは不在)。出会いのエピソードから秘めたエピソード、クラブジャズ論から今後の目標に至るまで、尽きない話に花が咲く、ジャムセッションのように盛り上がるトークをお楽しみあれ。
YUKI僕ら(JABBERLOOP)が結成した頃には、ソイルはもうデビューしてましたよね。
社長でも2、3年ぐらいあとでしょ? そんなに変わらないよね。(*SOIL&"PIMP"SESSIONSは2004年、MELTENとYUKI所属のJABBERLOOPは2007年CDデビュー)
MELTENquasimode、indigo jam unitが2006年とかですね。
社長あの頃は毎年いたよね。PE’Zが一番早くて、そのあとソイルで、次の年がクオシで、みたいな。
MELTENその前にEGO-WRAPPIN’、 orange pekoe、PE’Z、スカパラの歌もの3部作、クレイジーケンバンドとかそういう流れがあって、ソイルとSLEEP WALKERが出てきて、クラブジャズ系のバンドが注目され始めたというか、日本でもいよいよ出てきたみたいな感じがあったと思います。ジャイルス・ピーターソンがオンエアしたあたりのバンドですよね。ソイルはまさにそうでした。ロンドンに行ってジャズカフェで演奏したり、未だに僕らは実現してないですけれども。
──ソイルはグラストンベリーに出てますから。すごいです。
社長すごいんですよ。自分で言っていかないと忘れられちゃうから(笑)。確かにソイルは、ジャイルス・ピーターソンの後押しがあったから、色々なヨーロッパのフェスとかライブハウスも行けるようになったので。ラッキーでした。
──そんな社長は、後発のJABBERLOOPやCalmeraをどう見ていましたか。頼もしい後輩みたいな。
社長うん、勝手にそう思ってた。Calmeraは素直にソイルの曲をカバーしてくれたりしたけど、JABBERLOOPはなるべくソイルと違う何かを出していくとことに頑張ってたようなイメージがあって。
MELTENまさに。今だから言えるんですけど、バンド内のキーワードで「ソイルと被らないように」というのはありました。
社長それってすごく大事なことだよね。(シーンが)広がっていくためにはいろんなスタイルがあって然るべきだし、ある種の反面教師的に模索してくれてたのはすごく頼もしいなと思っていて。
YUKIそこをなるべく避けていった結果、ああいうサウンドになったという事実は確かにあります。
社長結果的には違うフィールドで違うお客さんも掴めて、かといって遠いところにいるわけでもないし、これだけ続いてたらもう同志みたいなもんですよ。
TSUUJII僕は完全にSOIL&"PIMP"SESSIONSのフォロワーでしたから。「マシロケ」(2007年)というシングルが出た時に、たまたま地元のHMVで聴いて、「なんじゃこのかっこいい音楽は!」と思って、そこから一生懸命調べて、過去作買って、新しいのが出たら買って、という育ちなんで。Calmeraの前にやっていたバンドも、社長のいないソイルみたいな編成だったし。で、Calmeraに入る時の西崎ゴウシくんの誘い文句が、「俺ら、ソイルとも仲がいい須永辰緒さんの大阪のイベントに出てる。そして今度クアトロでJABBERLOOPのオープニングアクトをやる」という二つのエサを投げてきて、それにまんまと釣られて(笑)。
MELTEN初めてTSUUJIIと会ったのはそこやもんな。
TSUUJIIそうなんですよ。そのおかげでJABBERLOOPとも知り合えたし、そのあと横浜でboheminavoodooとCalmeraのツーマンがあって、そこにいたお客さんに話しかけられて、「今度元晴さんのセッションがあるよ」と教えてくれて。僕は元晴さんの圧倒的フォロワーなので、関西から夜行バスに乗ってそのセッションに行って、そこで元晴さんと初めてセッションさせてもらった時に「きみ、いいね!」と覚えていただき、そこから元晴さんを中心にしてソイルがやっていた「東京宣言」というセッションに繋がり。Calmeraの管楽器チームで行ったんですよね。
社長みんなで来てくれたもんね。
TSUUJIIそしたらある日、お客さんと一緒に外に並んでる時に社長が来て、「何月何日にリキッドルームでソイルとquasimodeのツーマンがあるんだけど、オープニングアクトやらない?」と言ってくださって。それが「ニコニコツアー」(2011年)というツーマンツアーで。
社長やったやった。よく覚えてるね。
TSUUJIIソイルとquasimode、大阪ではソイルとPE'Zとか、すごい組み合わせで界隈がざわつくツーマンシリーズの中に大抜擢してくださって。その直後に東京で初めてのワンマンをやった時に、チケットがそこまで売れてなかったのが、ソイルのオープニングアクトをやらせていただいた翌週にチケットがどーんと100枚売れたんですよ。そのあとCalmeraが上京できるベースをソイル先輩に作ってもらったという、フックアップしてもらった身なので、僕は完全にソイルの子供です。
社長俺は元さんの音が大好きだから、聴けばすぐわかるし心に来るサックスを吹くというか、あの感じは他に誰がいるんだろう?と思うと、やっぱりTSUUJIIなんで。誰かっぽいというのは、人によっては気を悪くするかもしれないけど。
TSUUJIIとんでもない、嬉しいです。でもソイルを追っかけてる部分もありつつ、途中からCalmeraは団体芸っぽいノリになってきて、結果的に違う感じのバンドになったというか。ソイルになりたい、元晴さんになりたいと思ってたんですけど、「なりたい」ではいかんなという、憧れは捨てましょうという精神が芽生えてきての、この10年間ぐらいだったという気がします。
──縁の話で言うと、社長はPOLYPLUSが所属するレーベル・Playwrightの名物ディレクター谷口さんと同級生なんですよね。
社長中学から一緒なんですよ。私立だったから中高一緒で、大学は別なんだけど。彼が音楽好きだとは知ってたんだけど、そこまで深い話はしたことなくて、それがある日彼がシスコのレコード屋の袋を持って学校に来てたことがあって、ジャズの話になって、MONDO GROSSOの話になったんだよね。U.F.O.とか。たぶんそこからなんだよね。
MELTENU.F.O.のイベントに社長と一緒に行ったって、言ってました。
社長高校を卒業して、大学は別だったけど、一緒にクラブイベントをオーガナイズして。彼はオーガナイザーとして、僕はDJとバンドでイベントをやって、「クラブジャズで音楽業界を変えていこうぜ」みたいなことは、ずーっと言ってたから。
TSUUJII熱いですね。
社長熱いというか、ウーロンハイ飲みながら酔っぱらって(声真似で)「こういうの好きなんだよー」みたいな感じ。
YUKI似てます(笑)。酒飲んで、一番先につぶれていく感じが。
社長彼がよく言ってたのが、「オーガナイザーが当日仕事をしなきゃいけないのはいいパーティーじゃない」。事前に準備ができていれば当日やることはないはずだから、一番最初につぶれるのがいいオーガナイザーだし、いいパーティーだと。
MELTENなんか名言ぽい(笑)。
社長彼はそういうカルチャーを、上の人から受け継いでるから。
TSUUJII今の我々が音楽的にクラブジャズをやっているか?というと、逸脱してる部分もあるんですけど、クラブジャズ、クラブカルチャーというものを、もう一回自分たち発信で作っていきたいないう思いはありますね。だから今回のツアーも、ライブハウスなのに「DJ入れたいです」と言って、レイアウトも変えて、DJブースを真ん中に置いたりして、大阪、福岡、名古屋とやってきたんですけど。そこは今言った谷口さんが全か所やってくれて、そのバトンが繋がれて、今度のリキッドルームに繋がっていくんですけど。
MELTENクラブカルチャーの話、していいですか。僕らは2005年に上京してるんですけど、まず顔と名前を売らないとあかんなということで、渋谷のTHE ROOMとかPLUGとか、そういうところのセッションイベントに足繁く通って、クラブってDJが音楽を流すだけじゃなくて、より実験的なことを発信する場所なんやなというのを体感して、実際そこで顔を覚えてもらえたりとか。ソイルの「東京宣言」もほぼ毎回行っていて、顔を覚えてもらって、丈青さんが遅れてきたりすると…。
TSUUJII冒頭のセッションにMELTENさんが呼ばれるという(笑)。
MELTEN丈青さんがケガをされた時にも呼んでもらえたりとか。当時の渋谷は、ソイル、urb、grooveline、cro-magnonとか、名だたる先輩方が出入りしてて、すごいマッシブした感じがあって。特に「東京宣言」は、プロデュースしてる空間自体が、クラブカルチャーのルーツをすごく大事にされてるなっていうふうに思ってました。
YUKI今思うと、深夜にやっていたことに意味があったんじゃないかなと思ったりするんですよね。家に帰る交通手段も絶たれ、朝までここで過ごすしか手段のない人たちによって生まれる何かがあったというか、選択肢が断たれて尖っていった人たちがそれを発揮していったんじゃないかな?っていうのは思うんですよね。
MELTENそういうカルチャーを通ってきてるからこそ、そういうところがPOLYPLUSの始まりなんですよね。
TSUUJII 結成当初のPOLYPLUSは、リハーサルを始める時に、乾杯してから始めてたんで。本番中も飲むし、セッションするし、一人ひとりのソロだけで4分ぐらいやってるとか、ざらにある感じだったから。100人ぐらいのハコでお客さんも一緒にべろべろになって、みんなで闇鍋つっついてる感じの面白さは初期衝動としてはありましたね。
MELTENクラブの文化って、やっぱり小バコから生まれるものがあると思うんですけど。
TSUUJIIでもコロナ中には、攻めの姿勢を崩したくなくてZepp Tokyoをやったんですよね。それは正直、コロナ中だからこそやれたことだと思っていて、自分たちで真正面からやるもので言うと、リキッドルームは俺ら的に過去一番大きいハコになるんですよ。ちょうど今フロアのレイアウトを作ってるんですけど、DJブースを装飾したり、お客さんが入ったら最初に社長が正面で迎えてくれるようなレイアウトにしようかなとか、いろいろ考えているところです。ライブハウスなんですけど、それこそ僕なりのクラブカルチャーへのリスペクトを感じてもらえたら嬉しいです。