「曲作っていってもフル無視」、「ほんま仲よくなかったもん」、「バッチバチで」──これが、バンドの内情だった。抜群のリーダーシップを誇るフロントマン&ソングライターのRyoko(Vo./Gt.)を擁するЯeaL。ギタリストの脱退、さらにはRyokoの病気療養で、走り続けてきたバンドが昨年、初めて止まるというアクシデントを経て、次第に変わりだしたRyokoとFumiha(Ba./Cho.), Aika(Dr./Cho.)の関係性。わだかまりを超え、3人の絆、さらにはバンドとしてもさらに強靭なガールズ・バンドとなり、3人一丸となってさらにエモく、反骨精神、なにくそ精神むき出しで未来へと突き進む新生ЯeaL。その誕生までのリアルストーリーを3人が語りつくす。そんな彼女たちが3月29日、東京・渋谷CLUB QUATTROでデビュー4周年ワンマン<ЯeaL debut 4th anniversary special oneman>を行う。新生ЯeaL誕生の姿を見逃すな!
ЯeaLはこうあるべきというのは、じつは自分のなかの固定概念やったというのに気づいて(Ryoko)
──2019年はRyokoさんの病気療養で初めてバンドがストップしたり、SPYAIRのMOMIKEN(Ba.)を歌詞プロデューサーに迎えて「Unchain My Heart」を作ったりといままでになかった経験を重ねた年だった思うんですが。振り返ってみていかがですか?
Fumiha
ワンマンライブをいっぱいやれた年でした。ワンマンは時間も長いし、自分らのことを好きなお客さんしかいないから、やってて純粋に楽しい。ツーマンツアーもシンガーソングライターさん、ソロアーティストさんと普段やってない方とやったのが楽しかったです。休んでた期間は「スプラトゥーン」、ゲームばっかやってました。
Aika
7年バンドやってきて、やっとバンドマンらしい1年になった年でした。今回ワンマンツアーで初めて全国9ヵ所回らせてもらって、極力自分たちでできることは自分たちでやって。それまでもバンドマンやったんですけど、よりバンドマンに近づいた気がします。バンドとしてやりたいことが定まってきたんじゃないかなって。バンドがお休みだった時期は一人でもできる仕事、バンドのAikaとしてではなくドラマーのAikaとしてできることを増やしたいなとその時期強く思いました。まあ、私もゲームはしてましたけどね(笑)。
Ryoko
2019年はЯeaLというバンドの概念を壊せた年でしたね。メンバーみんなで悩んでた時期があって。ライブが楽しくなかったんですよ。それを打破しようとメンバーといろいろ話をして。なので、3月にやったツアーはたくさん不安もありながら回ったツアーやったんですね。その時期はまだЯeaLの固定概念を引きずってた時期やったんです。それで私が4月に倒れたときに、初めていままで走り続けてきたバンドが止まったんですよ。ЯeaLというバンドの指針を示すのはいつも私なんですけど。いまはこういう曲をやるべきだからこういう曲を書こうとか、ライブはこうしたほうがいいとか。自分がやりたいことというよりも外側から見たЯeaLはいまこうあるべきだというのを考えて。
──だってRyokoさん、ЯeaLの数年先の計画年表まで作ってしまうような方ですもんね。
Ryoko
ははは(笑)。よくご存知で。でも、4月に虫垂炎になったとき1回ЯeaLから離れてみたら、ЯeaLはこうあるべきというのは、じつは自分のなかの固定概念やったというのに気づいて。いままで私はメンバーの意見は一切聞いてこなかったんですよ。
──そうなんですか?
FumihaAikaそうです。(キッパリ)
──2人が意見を言ったときはどう対応してたんですか?
Ryoko
「それは違うから」っていうスタンスやったんですよ。
──えぇーっ!
Fumiha
別にそれが不満ではなかったし。当たり前やったんで。
Aika
ずっとそうやってきたんで。違和感なく。この人についていけばって。
Fumiha
そう。この人についていこう、から始まったバンドなんで。元々が。だから、こっちが口出して無視されても「いいよ」「どうぞ」っていうスタンスで。