インタビュー:兼田達矢/Photo:横井明彦
──まず、今回のツアー『一青窈 TOUR 2016 人と歌〜折々』は昨年7月にリリースされたカバー・アルバム『ヒトトウタ』からの曲を中心に構成するツアーということでよろしいですか。
はい、そうなります。
──では、そのアルバム『ヒトトウタ』についてお聞きしたいんですが、カバー・アルバムの場合はやはり選曲がポイントになりますが、選曲についてはどんなことを意識しましたか。
『ヒトトウタ』の前に出した、歌謡曲のカバー・アルバム(『歌窈曲』)はわたしの歌いたいものをピックアップするという選曲だったんですが、この『ヒトトウタ』ではもうちょっとポップス性を高めるというか、自分だったら選ばないだろうなという曲も含めて、みんなが歌ってほしいと思っているものに挑戦したっていう感じです。
──リクエストに応えるという色合いが強くなるということは、よりシンガーとしての側面がクローズアップされるということでもあると思いますが。
例えば亡くなってる方の歌は、そういう意味で距離感があるから歌いやすいんですけど、今回のように実際に交友もあるような近い人の曲を歌うのは、ご本家を乗り越えていくというのはすごく難しい挑戦なんです(笑)。それでも “こんなに近い世代で、こんなにいい歌があったんだ”ということを再発見していく、ということはわたしにとっては意味が大きかったなと思います。
──いい曲を再発見するということとは別に、その曲の内容に再発見や再認識したというようなことはありましたか。
例えば「幸せな結末」はいわゆるナイアガラ・サウンドというか、声の壁みたいなものを作るのとは違うアプローチをしてますけど、それでも懐かしいと感じるのは、そういう音の厚みが母が聴いていたオールディーズ感と似ていて、こういうことなんだと思ったんですよね。 “時代を映してたんだな、あの頃の歌って”ということですよね。いままではどちらかと言うと歌い手としてのアプローチで、全部“一青窈節”でまとめてたんですけど、もうひとつ落ち着いて“THIS IS POPS”ということを納得しながら歌えたのは良かったというか、これをやらなかったらわからなかったことだと思います。
──オリジナル・バージョンに刻印された、そうした時代性やアーティストの志向と、自分の個性とのバランスはどういうふうに考えていましたか。
どうあがいても自分のクセというのは出てしまうんですけど、極力出さないように努めました。
──基本的には、抑えめの方向で考えていたわけですね。
そうなんです。それはもう、ライブでは出ちゃうだろうから。だから、今回ライブでこの曲たちを歌えるのは、自分のなかではストレス発散じゃないですけど(笑)、自分らしさがより出せるというのが楽しみですよね。もちろん、ディスクにはディスクの良さがあると思うんですけど。ライブはいつものメンバーでできるという良さもあるし、ライブではきっとディスクにはない歌い回し、“もうちょっとこうしたかったな”というのが出てくると思います 。
──ディスクは曲に寄り添った歌い方だったけれども、ライブではより思いのこもった歌になるだろうということですね。
そうですね。ただ、自分の体力がどれくらい回復しているかというのは、ちょっとわかんないんですけど。産後初めて歌ったときに、“こんなに歌えないんだ”と実感したんで。腹筋が全然使えない!みたいな(笑)。
──つまり、歌うことがどれだけ肉体的な作業なのかということ再確認したということですか。
そうなんです。それは具体的にどういうことかというと、千倍近く膨れた子宮のおかげで、妊娠中はお腹の中が圧迫されてるから息が入らなくて歌えないし、産んだら産んだで、伸びきってるからコントロールが効かないんです。外から見ると普通なんですけど、中はやっぱり、10ヶ月かけて伸びたものはまだ戻ってないんですよね。そういう意味でも、“わたしって、歌手だったんだ”ということ感じてます。いまだに、練習しながらそういう感じがありますね。
──それは、どういう場面で感じるんですか。
いままで普通にできてた筋トレのメニューが全然できなくて、前の一青窈でしていた息継ぎすらもできないんですよ。ブレスの位置も、全然息が足りないから、いままで伸ばせてたところが、その前できれてしまうし、もはやコブシの回すポイントもちょっとずつ変化してて、すべての曲を新しく歌い直す感じですね。「ハナミズキ」すらも。どの曲を歌っても、“あれ、わたし、こんな歌い方してたんだ。へぇ”みたいな(笑)。そんな感じですよ。ただ、その以前の歌い方をなぞってもしょうがないから、いまはこう歌うという方向で練習してます。いままでは力まかせに、パワーボイスで押していく感じだったけど、これからはいかに負担をかけずに、クラシックの唱法でずっと長く歌うかという感じになってます。それは、自然な流れでそうなりましたよね。
──そういうふうに、自覚的に新しいボーカル・スタイルを作り上げていくという作業は、面白いことですか。あるいは、難しいことですか。
難しくて、面白いですね。端唄も習ってて、いまはちょっとお休みしてるんですけど、そこで「ずっと歌っていくためには、もっと力を入れないで歌うことが大事なんだ」ということを教わって、なるほどねえと思いました。上手い人がいとも簡単にホームランを打ったりマジックができたりするのと同じで、熟練している人ほど簡単に見えるっていうことなんだと思うんです。だから、そういう熟練者と同じように簡単に歌っているように見える、というところに行きたいなと思ってるんですよね。
──アルバムの選曲の話に戻りますが、単純に「あなたとわたし」の歌ではなくて、「あなたとわたし」のことを歌いながら、それ以外の誰かに向けて歌われている曲が多いことが興味深いと思ったんですが。
子供を育てて感じることのひとつは、愛を与え続けることが幸せなんだなということなんです。それをいま、日々実感しています。肉体的にも精神的にも、しんどいと言えばしんどいんですけど、それでも“なんだろう、この充足感は”と思うんですよね。だから、「どうやったら幸せになれるか?」ということについて、何かを受け取ることばかり考えている限り、幸せにはなれないんだろうなということは、朝焼けを眺めながらぼんやりと(笑)、思ったりしますね。
──昨年暮れにリリースされた配信シングル「満点星」もそういう心持ちが表現されていますよね。
一方的に、良かれと思うことをするっていう歌ですよね(笑)。
──時間軸で考えれば、実際に子育てが始まる前に「満点星」は書いていたわけですから、“親の愛とはそういうことなんだろうな”という想像から書いたということになりますよね。
そうですね。ただ、そういうことなんだろうなと想像できたのは、母がそうしてくれたからだと思うんです。
──それは、親からそうしてもらってるときにわかることではなくて、後ほど思い知ることになるわけですが、それを思い知ったいまの感覚としては切ない感じですか。あるいは、うれしい感覚が強いですか。
わたしのなかでは、答え合わせっぽい感じがしていて、最終的には「よくできました」という感じで、これが“はなまる”になるといいなといまは思っています。
──さて、ツアーのステージではディスクより歌がもっとエモーショナルになるだろうという話が先ほどありましたが、ツアーの内容については何かいまの時点で紹介していただけることはありますか。
大沢悠里さんの「ゆうゆうワイド」というラジオ番組を母がいつも台所仕事をしながら聴いてたんですね。自分自身も出させていただくことがあった番組がなくなるということを聞いて、そこに対する何かリスペクトを表現できないかなあと思ってるんです。ラジオ的な構成を入れ込むみたいな。自分が子どもを産んですごく感じてるんですけど、ラジオってすごく聴くなあって。テレビだと、子どもを看ながらテレビも見るということはどうしてもできないじゃないですか。耳だけだと、あやしながらでもニュースがキャッチアップできますからね。だから、母がやっていたことを自分がなぞっていってる感じなんですけど。大事なのは、いつでもそこに音楽があったということですよね。そういうことを、ライブの構成として盛り込めるといいなといま考えています。
──一青さんのライブは、演劇的というか、何かに仕立てた構成が入り込んでくることがしばしばありましたが、今回はラジオ仕立てになるパートがあるということですね。
それにプラスして、折り型という言葉をわたしが引っ張ってきたんですけど、結婚、出産を経験するなかで、のしとか水引とか、紙で形を作って気持ちを渡すということ、その作法にすごく美を感じたんです。お年玉なんかもそうだと思うんですけど。目に見えない気持ちを紙に包んでお渡しするというのがすごく素敵だなと思ったので、折り型とか水引も含めて、そういう紙の表現をステージに反映できないかなと思っています。
──それは、ステージ・セットがそういうものになるということですか。
そうですね。で、四季折々とか、人生の節目、折々に自分の感じたことをパッケージ化して渡したいなという気持ちで“折々”というタイトルをつけたんです 。
──妊娠・出産を経験し、新しいボーカル・スタイルで臨む最初のツアーということになりますが、その一連の経験によって、一青さんのなかで、その新しいボーカル・スタイルの歌を届ける相手のイメージは変わっていったりするんでしょうか。
変わっていってファミリー層に向かうのかなと思ったりもしたんですけど、自分が書いてるものを見てると、よりただのラブレターに近くなってきてるんですよ。子どもへの思いとか家族への思いってすごくシンプルだから、結婚する前に書いてたラブレターとあまり変わらないというか、むしろいまのほうが核心をつける気がするというか。結婚して、“わたしはもう恋の歌は書けないんじゃないか?”と思ってたんだけど、“いや、むしろいまのほうが書ける”っていう感じです。それは最近ちょっと思った、面白い発見ですね。しかも、それは自分にとってすごくいい作用だと思ってて、こんなに恥ずかしいことを堂々と書けなかったし、真っ直ぐな気持ちはわき起こらないあまのじゃくな部分もあったんだけど、わたしってこんなにシンプルな気持ちをいっぱい抱いてたのねっていう。
──では、実際にお客さんを前にして歌うときの気持ちは変わりそうですか。
どうなんだろう?やってみないと、わからないかなあ。いままではシアトリカルというか、見せる方向だったのが、すごくストレートに“ただ届けよう”と思って歌いそうですね。そういう予感があります。「みんな、愛してる!」って、叫んじゃったりして(笑)。