「破壊という名の甦り。何かを観て感じる為には、邪を破壊して、Divineの感覚が必要で。聖なるものって、魂の愉しさ。生きてると色々知ってしまうけど、生まれた瞬間って、何も持ってないじゃない?」
Text by Tae Omae
Live Photo by teruhisa ohara / Zuhn Choi
5月26日(金)、単独公演『The DIVINE CHILDLEN』を開催するVANIRU。“聖なる”と名付けたこのショウに向けて今どんな心境なのか?また、4月4日(火)に開設したばかりのFC“SIN PHOENIX”で何を発信したいと考えているのか?インタビュー前編では、昨年10月に出演した『VISUAL JAPAN SUMMIT』や、11月に開催したワンマンショウを振り返ってもらったが、後編は、現在に至る変化、あるいは変わらない芯についても語られていく。その中で、「これが真のVANIRUの存在意義なのだ」と示そうとする気概を感じる言葉が、いくつも発せられている。新たなステージへと向かおうとしているVANIRUのフロントマンLEONEILに、正面から深く切り込んでいく。
邪推に捉われず、ただ見て、ただ眺めて。“聖なる”関係を築きたい。
──5月26日(金)にはワンマンショウ『The DIVINE CHILDLEN』が原宿Astro Hallにて開催されます。このタイトルは、“神の子たち”という意味ですか?
いや、神というより“聖なる”のほうですね。ショウでどういう混ざり合いをしたいか、どういうことが一番大事なのか…?今は赤子のような感覚ですべてを見たいし見てほしい、というところがものすごく強くなっていて。邪推に捉われず、ただ見て、ただ眺めて。そういうことが大事だと思う。赤子って意識的に見ていないよね、それをすごく神聖なことのように感じる、というか。やっぱりこうして生きて来ちゃうと、いろいろ知ってしまうから。故に、赤子のような感覚では見られないところがたくさん出て来て、見ないようにすることだってできてしまうから。でも、赤子はそういうふうに意識的に見たり、見なかったりはできないと思う。その部分こそが大事だよね、というところ。生まれた瞬間って、そんなに言葉を持たないじゃない?そういうところでのダンスを、見せたいなと。
──デビュー前に海外へ飛び出した時も、そんなモードでしたよね。何の前情報もなく、邪推なく見てほしい、という。
そうだね。あと、聖なるものというのは、結局、魂の愉しさ。でも、そうあるにはあまりにも“邪”が、邪魔なものが多い、というか。邪なものがあるから面白かったりもするんだけど(笑)、何かを見てただただ感じるためには、“DIVINE CHILDREN”な感覚が必要。このショウを見たら、必ずそういう気分になれると思う。
──そして、公式ファンクラブ“SIN PHOENIX”も開設されました。この名前もLEONEILさんが付けたのですか?
うん。フェニックスというと火の鳥の感じがあるかもしれないけれど、“SIN PHOENIX”。この言葉自体、全然物質的なことではなくて。“フィールド”なのね。フェニックスも何か限界が来たときに、自ら死ににいく。いくんだけど死なない、蘇る。つまり、そのフィールドでは意識を殺してほしいんですよ。意識は死んでも、魂が死ぬことはない。それって本質的に普遍、というか…真理だと思う。SIN(罪・月神)、の意味って無限にあると思うの。そのフィールドで感じたことが、その人にとってのSINだと思う。一体どのSINが自身にとって気持ちいいのか?というところは、そのフィールドに来てくれれば。
──SIN PHOENIXは、罪が許される場所?
許される。皆何かについて限界を感じたり、寿命を感じたりするじゃないですか?限界、それを殺せる場所、というか。ネガティヴな方向じゃなくて。
──無限、永遠になれるような場所、ということですか?
そうだね。無限には怖さ、ネガティヴの部分もあったりするんだけど、ここでは恐くないって来たら感じると思う。
真実をどれだけ躍らせられるのか?ということだけ。
──会員の方とのMEET&GREETを筆頭に、いろいろな試みも用意されているようですね。
常々、その瞬間のメッセージはしたいな、とは思っているんだけど。「今どんなSINなのか?」とか。SIN PHOENIXの芯(SIN)というか、真(SIN)の部分はいろんな形で伝えていけたらいいなとは思ってる。
──LEONEILさんにとって、VANIRUの音楽の受け手であるファンの方々というのは、どういう存在ですか?
絶対的存在だと思う。いなければ繋がりは生まれないし、何も生まれない。
──その気持ちが、始動時から今に至るまでで、変化して来たと感じる部分はありますか?
変化は大分してるんだとは思うけど、じゃあどのように?というのは、なかなか…ショウでしか表せないもので…。ただ、向こうからの熱は、今までより感じるから、熱には熱で返す、というか。何が変わったのか…難しいところだな。何かが重なっていってるんだろうけど。
──ショウでは、ファンの方の目を真っ直ぐ見て歌われますよね?射すくめられるような感じがするだろうなと、その様子を傍から見ていると思うのですが。一対一の真剣勝負、といった感覚なのですか?
「覗いてみよう」という気がある。相手の心を覗くことはすごく難しくてある意味不可能なことだけど、“新しい目”は覗けるんじゃないかな?とは思うから。それぞれの“底”を見てみたい、という感じかな。
──「見えた」と感じる瞬間もあるんでしょうか?
うん。
──少しお尋ねしづらいのですが、今現在、デビュー時とは形が変わってLEONEILさん一人体制で活動されています。VANIRUを背負うにあたり、どんな覚悟をお持ちなんでしょうか?
全然、背負ってるってことでもないんだけど…何が起きようと、真実はブレないんですよね。真実をどれだけ躍らせられるのか?ということだけで。それは今も、これからも、過去も、思っていることだけど、真実はここにしかないから。それがどう踊るのか?というのを、これから見ていってくれればいいかな、と思います。もちろん、それを見て何か感じる人もいれば、感じない人もいるだろうし、それも真実の一つとして。まぁ、いろんなことはあるけども…それは“生きている”ってことかな?と。いろんな出会いもあれば、出会いにつきもののこともあるよね、という。でも、そうじゃなきゃ全然物語じゃないから。楽しいですよ。人と人との出会いもそうだけど、己の心の出会いもわりといっぱいあるから。それは前より結構感じるところが多い。より開放的な感じはするね。ネガティヴな考えを少し持っている瞬間があっても、「あ、それって違うな」と気付くことができて「ネガティヴを殺せた」というか。これは嘘だ、とか、そういうこともあったり。よりディープな出会いに導いていけてるな、という実感はある。
──そんな出会いの日々の中、新しい音楽も生まれてきているんですか?
もちろん、たくさん。
──これまでにない新しい感じのものを期待していていいですか?
うん、とても。全く新しいと思う。今、この瞬間でさえ、何かが生まれ続けてるからね。New Eyesを持たせることができる音楽を、どれだけ存在させることができるのか?という想いがね、ある。
◎ VANIRU – 「LOVE AGAIN」11.11.2016 SHIBUYA WWW Tokyo