冨岡愛、話題の「グッバイバイ」はSNS総再生数1億超え!ネクストブレイクアーティストとして国内外で躍進しつづける彼女の魅力に迫る【前編】

インタビュー | 2024.07.22 18:00

──昨年6月にリリースした「グッバイバイ」がSNS総再生数が1億回を超えるバイラルヒットし、今もどんどん数字が伸びていることはどう感じていますか?
正直、「グッバイバイ」の前にリリースできない、曲が書けない1年間があったんですよ。しんどかった1年間の欠片をかき集めて、何とか出来た曲だったので、素直に嬉しかったですね
──日本はもちろん、台湾、韓国、マレーシア、シンガポール、香港など、アジア6カ国のSpotifyでバイラルチャートインを果たしています。
最初は全然狙っていなかったんですよ。とりあえず伸びてほしいという気持ちで曲を書いていて。でも、コメント欄を見たら、外国語のコメントが増えていて。特に、韓国の方からのコメントが多かったんですね。その時に、日本以外の国の方にも届いているんだなっていう実感が湧いてきて。言語関係なく、声を評価していただけたことも素直に嬉しいなって思いましたね。

冨岡 愛 - グッバイバイ (Music Video)

──ENHYPENのソヌがライブでカバーしたことも話題になりましたね。
私が見たSNSでのおすすめにも、さいたまスーパーアリーナでのライブで「グッバイバイ」を歌ってくれている映像が普通に流れてきました(笑)。さいたまスーパーアリーナという場所で歌ってくれたのも嬉しかったですし、MCで「すごく頑張って練習した1曲です」と韓国語で言ってくださっていたのも感動しましたね。
──去年の11月と今年の4月には、韓国で路上ライブもされているんですよね。
そうですね。本当に韓国の方からの寄せられたコメントの数が多かったので、とりあえず行ってみるかっていう気持ちで行ってみて。告知はしていたんですけど、だからといって人が集まってくれるのかどうかは全くわからなかったんですね。すごく不安な気持ちで行ったら、自分が思った以上の人が待っていてくれて。画面を通して<いいね>をしてくれている方やフォロワーさんが実際に会いにきてくれたのが嬉しかったし、路上ライブの醍醐味を感じることもできたなって思います。

歌うことが好きだった幼少期からオリジナル楽曲を制作するまで

──改めて、冨岡さんがブレイクする契機となった「グッバイバイ」に至るまでの道のりを聞いてもいいですか。
歌うことが好きだなと思ったのは、幼い頃にディズニーチャンネルの番組「シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ」でマイリー・サイラスが歌っているのを見て、歌っている姿って、かっこいいなと思ったのがきっかけですね。その後、小学生高学年のときにテイラー・スウィフトの『レッド・ツアー』のライブ映像がYouTubeのおすすめに流れてきて。ギターで弾き語りしている姿がカッコよくて、私もギターを始めたいなと思って。中学2年生のときからギターを弾き始めて、YouTubeのカバー動画を見ながら練習していました。
──どんな曲をカバーしていました?
テイラー・スウィフトの「ラブストーリー」とか。お母さんが好きな曲だったんですよ。その時はまだ自分で曲が書けなかったので、自分の好きな曲をひたすら練習していましたね。その後、私は中学までオーストラリアにいたんですけど、高校からは日本の大阪の学校に通うことになって。17歳のときに初めて作詞作曲をして、自分のオリジナル曲を書きました。
──作詞作曲を始めたのは何かきっかけあったんですか。
高校生の時に、プロム(プロムナード)という卒業前の行事(ダンスパーティー)があって。プロムに行く人を全校生徒の前で誘うプロムポーザル(プロム+プロポーズ)というイベントがあるんですね。私が仲良くしていた男の子が、ずっと片思いしていた女の子にプロムポーザルをしたんですけど、見事に振られちゃって。私は無責任に「いける!いける!」って応援していたんで、かけてあげる言葉が何もなくて。そのときにできた「レッドカーペット」が初めてのオリジナル曲になりますね。
──どんな曲だったんですか。
プロムポーザルの時に、中庭にレッドカーペットをひいて、そこにひざまずいて、プロムに誘うんですね。全校生徒に見られた状態で告白するってすごく勇気がいることだなと思って。そういうプロムポーザルする子たちの背中を押すような応援歌に仕上げて、最後の1行だけ、<振られちゃったけど、かっこよかったよ>という私の視点を入れた曲でした。
──それは聴かせたの?
翌週に学園祭があったので、後夜祭で全員の前で歌いました。その時の反響が思ったよりもすごく良かったんですよ。自分が書いた曲がそんなに喜んでもらえるんだって知った時に、やっぱり曲を書いていきたいなって再確認して。歌いたい気持ちも強いけど、やっぱり自分は作詞作曲をするシンガーソングライターになりたいって決意したことを覚えていますね。

──人前で演奏するのはその時が初めてでした?
オーストラリアに11年間いたんですけど、日本に帰国するときにお別れ会をしてくれて。その時が初めてでした。マイリー・サイラスの「ザ・クライム」とONE OK ROCKの「Wherever you are」を弾き語りで歌ったんです。故郷と離れるときだったので、大切な人、愛する人たちとの別れを歌った「Wherever you are」は英語と日本語がミックスされていてかっこいいなと思ってよく聞いていて。マイリーサイラスの「ザ・クライム」は応援歌なので、未だにここぞっていうときには聴いたりしていますね。ただ、当時は初めての弾き語りだったので、手は震えるし、弦を抑える指は痛いし、家で一人練習していたときとは全然違うなって感じで、その時の映像がまだ残っていて映像を見返えしたんですけど、恥ずかしくて聞いていられない。あれは隠滅したいですね。

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