バンドをやってると、ドラマみたいなことがたくさん起きる(柳田周作)
──で、動員が上がって自分たちのファンが増えれば、解消されるんじゃないか、と思っていたら、ひたすら棒立ちの数が増えていくという。
吉田はははは。
桐木そうですね。
柳田確かに。俺、いまだに忘れてないのは、神サイで初めてイベントをやって、東京が渋谷のO-Crestだったんですよね。最後に出て、当時の僕らのキラー・チューンをやった時に、初めてお客さんの腕がバッて上がって。その光景はいまだに忘れられないし。あと、福岡で『TENJIN ONTAQ』っていうサーキット・イベントがあるんですけど。毎年俺ら出ていて、『ONTAQ』の中でいちばん大きい会場が、CBっていうハコだったんですよ。CBにいつか立ちたいっていうのが目標で、数年後にCBに立って、その曲をやるんですけど。バババッてサビで腕が上がった時に、めちゃ感動したんですよ。「あ、間違ってなかったんかなあ」っていうのを、すげえ感じたのを憶えてます。
──しかし、そこまで鮮明に憶えてるってことは、いかにそれまでが……。
柳田そうなんですよ。そこまでの階段がすごく長かった、っていうのはありましたね。
吉田そういう時を経たからこそ、今のライブのアプローチ感、お客さんとの距離の取り方ができるのかな、と、ちょっと思ってますけど。
──よく心が折れなかったですね、途中で。
柳田もう、一生消えない悩みの種だと思ってたんで。コンビニの前で「もう無理かもしれん」とか、何時間も話したこともあったし。でも、なんやかんや、応援してくれる人が、少しずつ、少しずつ増えて……初めての地方に行っても、必ずひとりは物販に来て「今日、来てよかったです」って言ってくれたりとか。数云々じゃなくて、応援してくれる人がいたから続けられたっていうのと、シンプルに、バンドをやってると、ドラマみたいなことがたくさん起きるんで。
──ドラマみたいなこと、というのは?
柳田だって今の状況を、7年前の自分たちが想像できてたかって言ったら、できてないし。
──あ、「プロになるぞ」って感じじゃなかったんですか?
柳田うーん、なんか、ゆるっと始まったから(笑)。7年後にこうなってるって想像できてないし、今書いてるようなポップな曲を、当時の自分らが書けてるとも思えないし。それこそテレビの歌番組に出るとか、雲の上の話だったんですけど、それもちょっとずつ、かなえることができたり。今日も、ここに来る前、某カラオケチャンネルの撮影をして。俺、カラオケでバイトしてたんで、あれに出るのがずっと夢だったんです。バイトの休憩中に「これに出てえな」って思ってたし。
吉田・桐木・黒川(笑)。
柳田そういう具体的な夢も、大きい夢も、ひとつずつかなっていく瞬間に、「やっててよかったな」って思えるっていうか。初めてワンマンをやった時、ワンマンができるっていうことに感動したし。初めて東京でライブをした時も感動したんですよ。下北沢のGARDENで、その時クソみたいなライブをして、終わったあと楽屋で泣いたのも憶えてるんですけど。
吉田(笑)うん。
柳田で、初めて東京でワンマンをやったのは下北沢のMOSAICで、その時の景色もいまだに憶えてるし。そういう、夢がかなっていく瞬間に……たぶんバンドをやってなかったら感じられない多幸感を、脳味噌がもう覚えちゃって、忘れられないんでしょうね。だから、どんなに苦しかったりつらかったりしても、やめられないっていうか。これ以外の生きる選択肢がないと思うんで、自分は。
吉田だから、こういう話をするとよくわかるんですけど、俺ら、ブレて来てるんですよね、ずっと。特に初期とかは、かなりブレブレで。だからこそ、今の音楽性につながってるのかなと。自分らは「イレギュラーでありたい」ってよく言うんですけど。今のバンドの土台にあるものが、そのブレまくってた活動期間なのかなと思います。音楽性も、ライブが盛り上がらないからラウドっぽい曲を作ってみたりとか、ブレながらいろんなことにチャレンジして来たんですよね。で、今このアルバムを見ると、そうやってきて見つけたことが、かなり活きてる気がして。いろいろやって来てよかったな、と思いますね。
『事象の地平線』収録楽曲「あなただけ」
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