神はサイコロを振らないが、メジャーからのファースト・フルアルバム『事象の地平線』を完成させた。2020年春に「夜永唄」がTikTokから火が点いてバイラルヒットとなり、その後ユニバーサルミュージックと契約。以降、2020年7月の「泡沫花火」から2021年10月の「タイムファクター」までの配信シングル9曲と、2020年11月の配信限定EP『文化的特異点』からの曲も加えた既発の14曲、さらに新曲を6曲書き下ろした全20曲を、2CDでリリースするという、型破りなファースト・アルバムである。初回限定盤には、2021年5月30日(日)にZepp Tokyoで行ったライブのDVDも付く(そのライブのレポはこちら「神はサイコロを振らない。ステージと客席の間をエネルギーの塊が飛び交った豪快なライブ」)。
DI:GA ONLINEでは、本作についてと、本作に至るまでの歩みについてのインタビューをまず行い、続いて、本作をリリースしてから行う3月20日(日)日比谷野外大音楽堂&4月10日(日)大阪城音楽堂の東阪野外ライブと、それ以降のリリース・ツアーについてのインタビューを、4人に行った。まず1本目、本作についてと、そこまでの歩みについてのインタビューをお届けする。
DI:GA ONLINEでは、本作についてと、本作に至るまでの歩みについてのインタビューをまず行い、続いて、本作をリリースしてから行う3月20日(日)日比谷野外大音楽堂&4月10日(日)大阪城音楽堂の東阪野外ライブと、それ以降のリリース・ツアーについてのインタビューを、4人に行った。まず1本目、本作についてと、そこまでの歩みについてのインタビューをお届けする。
バズるバズらないを軸にして音楽を作ってしまうと、そもそもなんのために音楽を作ってるのか、わからなくなる(柳田周作)
──『事象の地平線』を、CDで2枚組、20曲というボリュームにしたのは?
柳田周作(Vo.)2020年の夏以降、デジタル配信をずっとしてきまして。それぞれの曲、すべてかわいい子供のような気持ちで作っているんで、ちゃんと盤っていう形で残したかったですし。そうなってくると、2020年夏以降に配信してきた楽曲だけで14曲あって、それだけだと総集編みたいになっちゃうので、さらに新曲を6曲作って、神サイの名刺になるような超大作を作りたい、っていう話になっていきましたね。
黒川亮介(Dr.)やっぱり今は、曲がすごく消費されていってるな、っていう感覚があって。流行りの曲もすぐ変わるし。でも、自分たちが出した曲っていうのは、生きた証というか、本当に魂を込めて作ったものなんで。それをデジタルリリースだけで終わりにはしたくなかった、というのは大きいですね。
──前にインタビューした時に、「夜永唄」がバズった時に、このままだと「2020年にちょっと流行ったバンド」で終わってしまうかもしれない、そうならないためにはどうするか、というのが課題だ、とおっしゃっていて。
柳田はい。でも、「夜永唄」に関してだけじゃなくて……考え方が変わったのかもしれないですけど、バズるバズらないはもう自分の中では……そこを軸に曲を作ってしまうと、そもそもなんのために音楽を作ってるのか、わからなくなる、というか。
黒川うん。
柳田神サイには神サイでしか表現できない音楽があるわけで、それをつきつめて行った時に……「夜永唄」も、誰かのために書いた曲ではないし。自分のために書いた曲だったんですよ。それがほんとに運良く、ああいう形で広まって。ただ、だとしても、自分の中ではあんまり関係ないというか。自分のエゴの塊みたいな感じで、ひたすら楽曲を作っていくことが、使命というか。その後もずっとそういう気持ちで、楽曲制作に取り組んでいたので。バズるバズらないは……そういう作り方はあんまりよくないな、それこそ消費される音楽になっちゃうな、と。それよりも、この四人で出したい音をつきつめて、自分が表現したい詞をつきつめることに、ひたすら集中した1年半でしたね。
バンドの土台に、ポスト・ロックはしっかりありますね(吉田喜一)
──このアルバムの20曲、音のバラエティがすごくありますよね。何年か前の神サイのインタビューを読んで知ったんですけど、初期はポスト・ロックみたいな音楽性だったそうで。
柳田はい。そもそも神サイが始まった時、特に僕と吉田(喜一/Gt.)が、すごくそっちの音楽が好きで。20歳ぐらいで、ポスト・ロックに足を踏み入れた時に、「こんなかっけえ音楽があるんや!?」ってびっくりして。TOEとか、LILI LIMITにすごく影響を受けて。それが神サイの初期の頃で、亮介にずっと「柏倉(隆史)さんみたいなドラムを叩いてくれよ」って言ってたような。
──「日本一になってくれ」って言ってるようなもんですね、それは。
柳田(笑)。そういうむちゃを強いてたことも憶えてます。
吉田喜一(Gt.)初期の作品に関しては、そういうポスト・ロックのエッセンスとか、ジャパニーズ・オルタナティヴみたいな片鱗はありますね。だから、バンドの土台に、ポスト・ロックはしっかりありますね。
柳田その感じを、ここに来て、ちょっと出したくて。「僕だけが失敗作みたいで」という、Disc 2の最後を飾る曲は、そういうアレンジに……ギターのアルペジオを二本絡ませて、みたいなこともやっていたりするし。あと、「徒夢の中で」っていう曲も、そういうアプローチを取り入れたりしてるし。
──でも、ずっとそのままポスト・ロックじゃなく、歌ものでもある方向に行き始めたのは?
柳田あ、でも、初期の楽曲を聴き返しても、歌メロ自体がポップなのは変わらなくて。だから、変わったのはアレンジのアプローチだけで。自分の中で、もっと歌っていうものを伝えたい、ってなっていくと、ある時期から、すごく引き算をするようになっていって。よりシンプルな方向に、アレンジを組んでいくようになったんです。バンドとしての始まりは、ポスト・ロックとかシューゲイザーがみんな好きだったんですけど、僕はもともとずっと弾き語りをやってたんですよ。で、秦(基博)さんとかにも、むちゃくちゃ影響を受けてたし。だから、全然自分の中では違和感はなかったっていうか。で、よりシンプルにしよう、引き算していこうっていうのから、今、一周回って、またアレンジでおもしろいことをやりたいなと思う自分もいて、「僕だけが失敗作みたいで」や「徒夢の中で」で、それをやってみたって感じですね。
吉田ただ、「こういうジャンルの音をやろうぜ」とかは、最初から、特に話したことはなくて。おもしろいことがしたいだけ、というので、今に行き着いてると思います。