「イカ天」「インディーズ時代」「OZZFEST」、バンド生活30年を振り返る
──1989年にでデビューしてからの30年を振り返って、個人的にポイントになったと思われる出来事をそれぞれお話しください。
和嶋慎治(Gt&Vo)バンドとしてのポイントは、結成して1、2年した頃に「イカ天」(1989年〜1990年にTBS系で放送されたバンド・オーディション番組「いかすバンド天国」)に出たことですかね。僕らはちょうどバンド・ブームの頃にバンド活動を始めたんですよ。中学、高校の頃からバンドの真似事みたいなことはしてたんですけど、ブームだったからやったというところもあったかもしれないと思うんです。で、「イカ天」に出て、そんなに苦労することもなくデビューさせてもらったわけで、やっぱり「イカ天」に出たことが一番大きいかな。あの時、例えば「テレビに出るのはロックっぽくない」とか、そういうことを言ってたら、今もバンドはやってたかもしれないけど、こういう形ではやってないんじゃないかな。それに、苦労しないでデビューしたからこそ、その後に売れない時期もあったりして、帳尻が合う30年間だったかなという気がします。
鈴木研一(Ba&Vo)4枚目のアルバムを出したところでメジャーのレコード会社との契約が切れて、そこからしばらくインディーズでアルバムをリリースしてライブをやるという形になったんですけど、“全然、これでも行けるな”と思ったんです。メジャーじゃなくても、このままずっとやっていけるなって。曲はメジャーで出してるアルバムと遜色ない出来だし、ライブも相変わらずの人数のお客さんが来てくれたし。“何ら問題ない。このまま行くぞ”と思いましたね。
ナカジマノブ(Dr&Vo)僕が入ってからの人間椅子で、僕から見て今の活動に一番大きく影響していると思うのは2013年の「OZZFEST」の出演ですね。「OZZFEST」に出たおかげで、人間椅子をいろんな人に認知してもらえたと思います。「まだやってたんだ!?」という人もいれば「はじめまして!」みたいな人もいたんですけど、その全部が僕が入った後の人間椅子に対することだったというのが僕のなかでは一番大きいです。
──最初の「OZZFEST」出演の直後にリリースされたアルバム『萬燈籠』のインタビューの際には和嶋さんが“第二のデビュー”という言い方もされていましたが、今の時点で振り返ってもやはり「OZZFEST」出演というのも大きな出来事だったと思いますか。
和嶋さっき僕は「イカ天」出演をあげましたが、その次に、あるいはもしかしたらそれ以上に大きかったかもしれないのは「OZZFEST」だったと思っています。出るということが決まった時に、“来た!”と思ったんですよ。チャンスが来た、と。その時点でもうデビューしてから20数年経っていたわけですけど、また巡ってきたんだなと思いましたね。そこまでの10数年が一番アルバムのセールスが良くなかった時代なんですけど、そこを乗り越えたから、仮にロックの神様がいるとして、“そろそろいいですよ”と言ってもらえた気がしたんですよね。
音楽も生活も満たされていない時期を経験すると、音楽のために努力を払うことが全然苦しくないんです
──そのアルバム・セールスが良くなかった時代に、根本的な音楽性やら、あるいはバンドを続けていくことについて葛藤や迷うことはなかったですか。
鈴木迷うことはなかったですよ。“和嶋くんと僕との接点は70年代ハードロックだ”ということははっきりしていたから、そういう音楽性について迷うことはないし、その他にみんなは何に迷うんでしょうね?
──例えば、最初は“やりたいことをやる”という気持ちで始めて、それを続けてくると、やりたいと思ったことでも1回やったことはやれないと思ったり、続けてきたからこその悩み、というようなこともあるようですが。
鈴木良い意味でのマンネリというのは自分は好きなので、1回やったことはやれないというようなことは思わないですよ。
和嶋自分はちょっとあった。やっぱり売れない時に一番感じてましたが、自分としてはベストを尽くしてやってるつもりでも“なぜ今ひとつ評価されないんだろう?”って。つまり、すごく大袈裟に言えば、世界に認められていない感じがあったんです。しかも、生活は苦しいから、“何をやってるのかな?”と思う時はありました。もちろん売れてる人には、売れてる人の悩みがあると思うんです。それこそ“同じものを作れない”というような作品に対するプレッシャーですよね。でもそれとは全く違う悩みがあったんです。良い曲だと思うのに、なぜ売れないんだ?っていう。
鈴木でも、そもそもハードロックという音楽を選んだ時点で、10人のうち1人に受け入れてもらえれば良い、というような音楽だと思うんだけどね。
和嶋たしかにその通りだ(笑)。ただ、その売れなくていろいろ考える時期があって良かったなと思うのは、あっさり世間に認められて、その結果としてルーティンにハマったとしたら、すごくマンネリ感を感じただろうし、“俺は本当にロックが好きだったのかな?”と思い始めたと思うんです。でも、全てが満たされてないという(笑)、つまり音楽も生活も満たされていないという時期を経験すると、音楽のために努力を払うことが全然苦しくないんですよね。
──ノブさんは、キャリアが続いていくことの中でマンネリを感じたり、形として繰り返しになっていくことの難しさを感じたりする場面はなかったですか。
ノブ僕は、全然マンネリと感じてないし、繰り返してるだけと感じたことも一度もないです。3人とも日々成長しているし、バンドとしても日々新しくなってると感じてます。それに僕は元々、迷いとか悩みとかあまり感じないタイプなんです。もちろん、少なからず、迷ったり考えたりすることもあったと思うんですけど、忘れちゃいましたね。毎日、毎日が楽しいことばかりなので。例えば“ライブの動員をもっと増やすように頑張らないと!”という時でも、その“頑張らないとな”も楽しいんですよ。
──バンドとして日々新しくなっていると感じられるのは、例えば皆さんになかに「もっと上手くなりたい」という気持ちがあるからでしょうか。
ノブまさに、もっと上手くなりたいと僕は思ってます。僕の場合は、ドラムの先人はもちろん、研ちゃんや和嶋くんのことも、自分にとって目標となる人ばかりで、日々勉強することばかりだから、ドラムを始めた時とほとんど気持ちは変わってないと思いますよ。“このフィル、どうやってるんだろ?”とか“この3人のグルーヴはどうやって出してるんだろう?”とか、そういうことをずっと考えてて、その都度、解決できたりできなかったり、プラスすることがあったり反省することがあったり、そういうことの積み重ねで今に至ってますが、基本的にはドラムに対する気持ちは昔から変わってないと思います。
僕たち東洋人ならではのカッコよさを追求するしかないとすごく思ったんです
──和嶋さんは、さっき話に出た「OZZFEST」出演の際、海外のプレイヤーと同じステージに立つという経験をした時に、演奏家として何か感じたことはありますか。
和嶋ありました。特に2回目はすごく感じましたね。1回目は演奏するだけでいっぱいいっぱいで、向こうのプレイヤーの演奏も冷静に見る余裕はなかったんですけど、2回目に出た時は自分としても楽しんでやれたし、客観的に海外のプレイヤーの演奏も見ることができて、そこで思ったのは圧倒的に違うということでした。こういうロックの激しいスタイルというのはやっぱり白人が作ったものなんだなと思いました。というのは、弾き方がそもそも違うんですよ。ものすごく速いプレイも激しいプレイも余裕でやってるんです。筋肉のつき方が違うんだろうなと思うんですけど。日本人にもすごく上手い人はいるんですけど、でも何か根本的に違うなって。だから、同じことをやっても敵わないというか、同じところには行けないと思い、でもロックは好きだからこれからもやるんですけど、となると僕たち東洋人ならではのカッコよさを追求するしかないとすごく思ったんですよね。
──「OZZFEST出演は第二のデビュー」という話がありましたが、音楽的にも新しいビジョンが広がったわけですね。
和嶋そうですね。繊細さとか、いわゆる“わびさび”みたいな感覚、それに気持ち悪い感じももしかしたら我々のほうがより出せるかなと思いました。だから、そこをもっと突き詰めようと思いましたし、その後の作品でもかなり実現できていると思います。
──オリジナル・アルバムは、最新作『新青年』までで30年間に21作となりますが、このペースについてはどう思いますか。
鈴木多いと思いますよ。
和嶋僕もそう思います。僕らはずっとハードロックというスタイルは変えずにやってるから、他人様から見るとずっと同じに聴こえるかもしれないですが、僕らとしては毎回いろいろ工夫してやってますからね。3年に2枚のペースはなかなかじゃないでしょうか。
鈴木それで、アルバムを作った直後は“もう、しばらく考えたくない”と思ってるんだけど、でもライブを何本かやると、もう新しい曲を作りたくなるんですよね。新曲も新曲じゃなくなるし。だから、アルバムを作る、ライブやる、そして遊ぶ。その繰り返しですよね。
和嶋(笑)、「遊ぶ」が入るんですね。
鈴木「遊ぶ」がないと、何のために生きてるのかわからなくなるんですね。「遊ぶ」の時間は、本当に何も考えないですから。ライブも曲作りも。そういう時間があるから、また新しく作る気力が湧いてくるんだと思いますよ。
ベスト・オブ・ベストと言えるようなもの、“海外の人に聴かせたい!”という気持ちも込めました
──さて30周年記念ベスト盤ですが、アルバムが21枚ということは曲数としては200曲以上あることになりますが、選曲はどんなふうに進めたんですか。
和嶋どうしても、これまでに出したベストと被っちゃうんですよね。でも、被らないようにするとベストでなくなってしまうので。特に30周年という大きな区切りでもありますから、ベスト・オブ・ベストと言えるようなものにしようと思いました。それで、我々の場合はライブの動員が10数年前から増えてきた理由の一つに動画サイトがあり、そこで皆さんに気に入ってもらえてる、と思われる曲も入れました。そこが、今までと違うところかもしれないですね。
鈴木海外進出を狙っている僕らとしては、海外の人にも聴いてもらいたいので、全部に英詞をつけてプロフィールも英語で載せて、“海外の人に聴かせたい!”という気持ちも込めました。
──タイトルも『人間椅子名作選』と端的になりました。
和嶋最初は副題を付けようかなと思ったんです。25周年の時は付けたんですけど、副題をつけるとイメージがそっちに引っ張られちゃうということもあるし…。ベスト盤って普通、例えば『ローリング・ストーンズ・ベスト』って、それだけじゃないですか。そういうタイトルでいいはずだと思って。20周年の時は、新潮社の「江戸川乱歩傑作選」というタイトルがすごくいいタイトルだと思ってたんで、それに倣って付けたんですけど、同じく新潮社から「江戸川乱歩名作選」というのも出てて、それもいいタイトルだと思ってたんで、リスペクトも示す意味も含め、今回は『人間椅子名作選』としました。
──そのリリースに先駆けて、11月の末から30周年ツアーが始まりますが、やはりこのベストに収録された曲が中心になったセット・リストになるんでしょうか。
和嶋それは、やっぱりそうなるでしょうね。
鈴木これから選ぶんですけど、まだ何も考えてないんです。ベスト盤に入る新曲も、これから作るくらいですから(笑)。でも、逆にそれもどんな曲になるか楽しみにしてほしいなと思いますけど。
ノブ僕もツアーが楽しみでしかないですよ。その土地ごとに毎回ベストを尽くしたいと思います!
PRESENT
サイン入りポスターを3名様に!
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