去年のツアーをやって、“ここからだね”という感覚がすごく溢れていた
──前作のツアーが終わったところから、この新作完成までの時間はどういうふうに流れていったんですか。
あのツアーでだいぶ“バンドになったなあ”と感じていたので、ツアーが終わってすぐに「曲を書こう」という話になりました。ただ、私はこれまで曲作りの作業を一人でやったことしかがなくて、誰かと共作するにしても集まって一緒にやるんじゃなくて、それぞれで進めたものをやり取りするやり方だったんです。だから、いつでも一人だったんですよね。ガールズたちに「昔のバンドでは、どうやって作ってたの?」と聞いたら、「スタジオに入って、“こんな感じで”とか言いながら、みんなで合わせていくんです」と言うんですよ。でもそれは、私にしたら「“こんな感じで”って、誰がどういうふうに指示を出すの?」という感じなんです。プリプリは「この日に曲の選考会をやりましょう」と決めた日に各自が作った曲を持ち寄るというやり方で、私はそれが普通だと思ってたから。それでも、とにかくやってみようと思って。ちょうど1年前くらいですけど、闇雲にこのスタジオにみんなで集まって、作り始めました。
──まさに、「とにかくやってみよう」という感じだったんですね。
最初はどう進めたらいいかわからないから、「とりあえずリズム隊でやりたい感じをやってみて」みたいに始めてみたんだけど、どうもピンとこなくて。それで休憩しておやつ食べたりしてたんですけど(笑)、そこで話してる時に「最近はこんなの、好きですね」って聴かせてくれた曲がリフもので、しかもわりとチープな感じだったんですね。“面白い!”と思ったら、いきなりイメージが湧いてきたから、それをワーッと書き留めて、それで大体のメロディの流れとコード進行を決めて、それを一度みんなで合わせてみたんです。でも、それで出来上がりというわけではなくて、というのも私は“リフで押しちゃえ!”とは思えなくて、“そしてメロディは?”と考えちゃうんですよ。だから、家に持ち帰ってちゃんと考える時間を持って、“メロディはこっちに行きたいな。じゃあ、コードはこう変えよう”みたいなことをやり、それを翌日みんなで合わせてみるわけです。そこで「リフの1周目と2周目が同じコード進行でなくてもいいから、ここはこう変えない?」「だったら、こうしませんか?」みたいなことを重ねて出来上がったのが『LOVE FLIGHT』です。
──まさに、リフものの曲ですね。
そういうふうに、バンドでリハをやるなかで曲が出来上がっていって録音した曲が数曲あります。それから『BLACK MARKET』という曲はYukoとの共作になってますが、あれはみんなに「曲は作らなの?」と聞いたんですよ。そしたら、「作らなくもないです…」みたいな感じだったから、「作ったの、持ってきなよ」と言って、それでまずYukoが持ってきたんです。その曲は、どこがAメロでどこがサビなのかよくわからない不思議な曲で、“この半端な3小節は何なんだろう?”みたいなところもあったりするんだけど、でも“それを私が気持ちいいように直しちゃったらいつもと同じじゃん。私が変だと思うところは絶対生かそう”と思って、そこにメロディを付けたのが『BLACK MARKET』です。そんなこんなで、7、8曲できちゃったので、「これだったら、アルバムできちゃうね。レコーディングを始めちゃおうよ」という話になって…。ガールズもそれぞれの活動があるし、私のソロのツアーもあったりして、スケジュールがいつ合わせられるかわからないから、やれる時にやっちゃおうということで、まず3曲くらい録りました。そうなってくると、「こういう曲が欲しいよね」という発想が出てくるわけですよね。それでまた、何曲か曲を書いて、それをみんなで合わせてみて、というような時間を過ごしていました。
──最初のバンド・セッションを作ってる時期から、「次はアルバム」という意識だったんですか。
そうですね。というか、前作が出来上がった瞬間から「次はね…」という話をしてましたから。まだツアーにも出かけていない時期に『また恋ができる』を書いちゃってたくらいだから、“こういうのも、まだやってない。こういうのもやりたい”という感じだったんですね。
──いろんな作り方を進めながらアルバムとしてのまとまりも考える、というふうに考えていたんですか。
正直に言うと、このバンドは発展途上だから、どっちの方向にどう展開していくのか、最初の頃は全く見えていませんでした。とにかく次に向かいたいという気持ちがあるだけで、その“次”がどこなのかはわからなかったです。それでも、去年のツアーをやって、みんなのなかに“まだまだ、いっぱいあるじゃん”とか“ここからだね”という感覚がすごく溢れていたので、今回の制作については「見切り発車!GO!」という感じでした。私自身も何かがちょっと足りない感じというか、やることがはっきりしてて居やすいところで音楽をやるのではなく、「どうなっちゃうのかな?」と4人で言いながらやってみたかったし。だから、最初にスタジオに入った時は、ホント「闇雲に」という感じだったし、2曲くらい出来上がるまでは時間がかかりました。でも、何曲かできていくと「じゃあ、これは…」というふうに話がどんどん転がっていきました。
すごく新しいような、でもどこか懐かしいような、不思議な作品になったような気がしています
──そこで80’sというテーマも設定されていったんですか。
ちょうどその時期に、レコード会社のディレクターが「こちらの立場から言うと、何か単語でわかりやすいキャッチコピーのようなキーワードがあるといい」と言うわけです。「で、自分がここまで見ていて、“80’s”というのはどうですか?」って。私にしてみたら、自分に一番濃く音楽が刷り込まれたのは80年代だから、普通にやればそうなりますよね。でも、ガールズたちはその時代の音楽を通ってないんじゃないかなと思って聞いてみたら、「わ〜い!80’s!」みたいな反応なんですよ(笑)。「えっ!?そういう感じなの?」と思ったんですけど、彼女たちは1989年生まれだから、バンドを始めた頃に好きだった人たちが80’sから影響を受けてやってる世代なんですよね。
──80年代サウンドを、こちら側と向こう側から見ているような感じですね。
それにしても同じものをいいと思ってるわけですよね。ということは、私が普通にやるものもちゃんと理解してもらえるなと思ったりして。だから、私としては迷いなく普通にやってみることにしたんです。それまでは、私が今っぽいものに寄ろうかなと言う気持ちがあったと思うんですよ。だから、1枚目の時は彼女たちにも「今っぽいものって何?」「今、何を聴いてる?」って、よく聞いてたんですけど、今回は「私、普通にやるからね」というスタンスで臨めたし、実際にやってみると、すごく新しいような、でもどこか懐かしいような、不思議な感じになったような気がしています。
──高野勲さんが、全9曲中7曲のサウンド・プロデュースを担当しています。この人選は、どういう流れで決めたんですか。
高野さんは、Wilcoを見に行った時に紹介されたり、飲み屋で会ったりという関係で、基本的には「GRAPEVINEの高野さん」なんです。ディレクターのマイケル(河合)さんはすごく親しくて、高野さんがプロデュースしている男性アーティストのトラックを、なぜか(奥田)民生くんがドラム、私がギター、高野さんがベースという編成で録音したことがあって、“この人、マニアックで変態だなあ”(笑)と思ってたんですよね。ところがある時、どこかで聴いたSHISHAMOの曲の弦のアレンジがかっこよかったんですよ。クラシカルなものが根底にある人の弦アレンジじゃないなあって。誰だろう?と思ったら、高野さんだったんですよね。それで気になってたんで、このバンドやることになった時に、誰かサウンド・プロデューサーがいたほうがいいと思って、うんと若いNaokiくんという、打ち込みが得意で今な感じの音を作る人と高野さんに半分ずつやってもらいました。そこで、高野さんだったら、私たちが育つなと思ったんです。私よりすごく若い世代の人は“私たちを育てる”という感覚は持ちにくいと思うんですけど、高野さんは忍耐力もすごくあるし、ずっと変わらないテンションでいつまででもスタジオで作業ができる人だから、この人とやったら、私たちをすごく育ててくれるかも、と思ったんですよね。だから、私も高野さんの言うことはなるべく受け入れようと思ってました。歌入れにも全部来てもらったんですけど、高野さんの好みの歌というのは私がこれまで歌ってきた歌とは全然違うんですよ。「今までやったことがないようなことをしてほしい」と言うんです。最初は“ええっ!?”と言う感じだったんだけど、せっかくだからやってみようかなと思って。死ぬまで同じスタイルでやっててもつまらないし、この人の言うことをやってみたいなって。それでやってみると、だんだん自分でも楽しくなってきたんですよね。