第8回 語り手:奥田民生
──まず、広島にいる頃から渋谷公会堂の存在は認識していましたか。
してましたよ。ドリフ(「8時だョ!全員集合」)もやってたし、「トップテン」もやってましたから。当時はデビューしたら、“まずは渋公がやれるようになるといいんじゃないか”という雰囲気があったじゃないですか。もちろん、みんな武道館をやりたいと思うわけですけど、それでもまずはライブハウスから始めて、青年館に行って、それから渋公という流れがあったから、ホールでライブをやるとなったときにいきなり渋公をやることになったときはそれなりの喜びがありましたよ。
──「“まずは渋公がやれるようになるといいんじゃないか”という雰囲気があった」のは、ユニコーンがデビューする頃はまだロック・バンドがホールをやれるようになったらかなりの成功という状況だったということですよね。
そうです、そうです。逆に、新宿ロフトとかACBとか、そういう伝説的なライブハウスをあまり通っていない世代というか、「俺たちはここからでてきた!」というものもないし、「ここでやるのが俺たちらしい」みたいな場所も特にないんですよ。例えばTHE MODSだったら“土砂降りの野音”とか、そういうバンドのイメージを象徴するような場所があったりするじゃないですか。僕らはそういうものが何もないから、そういう意味では会場はどこだっていいんですよね。武道館にしても、できるということはそれだけ売れたということだから、それはもちろんいいことですけど、それを目指してがんばるということもなかったし。ただ、ホールでやるようになるということは、全国ツアーもいっぱいできるということだから、そういう意味では渋公というのはデカいと思いますね。で、実際、渋公はけっこうやってたし。
──ユニコーンのライブ・ヒストリーを振り返ると、渋谷LIVE INNをやって、その次はもう渋公という流れだったんですが、渋公が決まったときには、ランクが上がるというか、階段をひとつ上がった感じはありましたか。
うれしかったとは思いますけど、でも立派になった感はなかったと思いますよ。というのは、周りのバンドもだいたいそうだったから。僕らのときはバンド・ブームだったから、いっぱいいたじゃないですか。だから、サクセス・ストーリー的なものはないですよ。例えばBOØWYは、そうじゃなくてズドーンと突出した感じがあるじゃないですか。僕らはそうじゃないから。
──当時バンド・ブームと言われるようなバンドがたくさんデビューした状況はありましたが、それでもそのなかでやはりユニコーンと、JUN SKY WALKER(S)がそのトップ・ランナーとして突っ走っていった印象はあるんですが…。
確かに、ジュンスカがいたというのは大きいかもしれないですね。“ジュンスカがやるんなら、俺らもできるだろ”みたいな気持ちはあったかもしれない(笑)。だから、実際にやったときに、“感慨深いなあ”みたいなことはなかったんですよ。
──実際にライブをやるときに、例えばLIVE INNと渋公ではステージの広さも客席の広さも全然違いますから、その意味で意識が変わったということはなかったですか。
どうですかねえ…。そういうことも特になかったんじゃないかなあ…。それに、バンド・ブームではフェスというか、昔はイベントと言ってましたけど、そういうものが増えて、まだあまり売れていない頃からもう野外の大きなステージを経験していたりしたので、そのせいもあったんじゃないですかね。
──渋谷公会堂というホールは、ライブ会場としてはどういう印象ですか。
ちょっと変わった音がするんですよね。もう慣れましたから、いまは気にしないですけど、なんか音が普通じゃないんですよ。
──このシリーズでいろんな方に同じことを聞いていますが、やりづらいと言われる方も少なくないです。
やりづらい、というのともちょっと違うんですよねえ…。ちなみに、渋公は楽屋が謎で、それが嫌だっていうのはあるのかもしれないですね。
──楽屋が謎?
ステージの下のフロアにも楽屋みたいなところがあるんですけど、そこはだいたいスタッフが使って、僕らはステージの袖から階段を上がったところにある部屋がたいてい楽屋になるんです。でも、その部屋のドアがものすごくちゃちい作りで、しかもステージの音がバンバン聞こえてうるさいくらいなんですよ。落ち着かないんです。そういうのが嫌いな人はいるだろうなと思いますね。でも、僕が思うのはとにかくホールの音が変わってるんですよね。それは、人のライブを見に行ったときもそうだから、あのホールがそういう音なんでしょうね。
──中野サンプラザや新宿厚生年金会館と比較して渋公はロック的なイメージが強いという人は多いんです 。
そうなんですか。
──その音の独特な感じがロックに向いているということなんでしょうか。
ウ〜ン…、確かにデカい音や、ちょっと荒々しい音に向いてるのかもしれないですね。新宿厚年はもうちょっときれいな音だったような気がするし、NHKホールなんてもう見た目からしてきれいな感じですからね。そういう意味で、渋公はいい感じの老舗感はありましたよね。さっき言った楽屋の感じも含め、野音に屋根がついたくらいの感じかもね、みたいな(笑)。
──(笑)。奥田さんは、ディスクガレージ主催の年越しイベントなどでも、同じ所属事務所SMAのアーティストのみなさんと何度も渋公に登場していますが、渋公のイベントで何か印象に残っていることはありますか。
確か、2000年になるときの年越しも渋公に出たんじゃないかなあ…。
──はい、「Hit&Run 2000GTR-F」に出演されて、カウントダウンもやってます。
そのときに、2000年問題とかいろいろややこしいことがあって、カウントダウンの時間を間違えたんですよね(笑)。
──(笑)。お客さんとして出かけて、印象に残っているコンサートはありますか。
ウ〜ン…、いまパッと浮かんだのはくるりですね。
──最後に、来年には新しい渋谷公会堂がオープンする予定なんですが…。
まったく新しいものになるんですよね?
──そうなんです。その渋公でもまたライブをやることがあると思いますが、その新しい渋公について希望、あるいは期待が何かあれば聞かせてください。
きっと、何から何まで昔の渋公とはまったく別物でしょうから、となるとホールというのはやってみないとわからないですからね。渋公だ、という思いは捨てて、新たな気持ちでやりたいと思います。
──ぜひ、新しい伝説を奥田さんが作ってください。
いやいや、普通にやります(笑)。