インタビュー/宮本英夫
PHOTO:堀 清香
新世代ストリート・ミュージックの旗手として、着実に支持を高めている男、WATARUの新曲「本能」が熱い。比喩ではなく、燃える炎をバックに豪快な突きと蹴りを繰り出す、格闘技スタイルのパフォーマンスがマジで熱い。4月にリリースしたばかりのファースト・アルバム『太陽』からの最新ミュージック・ビデオとなるこの曲は、穏やかで心地よい“アイランド・ミュージック”を掲げて登場した彼にとって、新たな扉を開く強力な一撃だ。サーフ・カルチャーをバックボーンに、シーンの頂点を目指すWATARUの自主独立スピリットについて、たっぷりと話を聞いた。
──いやあ、「本能」のミュージック・ビデオ、ヤバイです。燃えてます。
あ、見てくれました?
──もちろん。今までの映像作品は、海辺のシーンとか、穏やかなものが多かったので、こう来たか!と。
今まではサーフィンがテーマで、最初の頃に作っていた作品は“アイランド・ミュージック”と言って出したんですけど。もともとは空手を一番長くやっていて、5歳から20歳までは本当に真剣にやってたんで、そこの自分を出さないと本当の自分ではないだろうということで。今までずっと、かっこよくて優しくて楽しい雰囲気で作っていたんですけど、今回はもともとの自分をがっつり表現してみようというところから、こういう作品になったんです。
──どっちも本当じゃないかと思うんですけどね。燃える炎をバックに回し蹴りを決めるのもWATARUさんだし、波に乗って笑顔を見せるのもWATARUさんだし。
そうっすね(笑)。どっちも自分なんですけど、今までこっち側の自分は出してこなかったんで、ファースト・アルバム『太陽』ではどっちも出していこうかなと。柔らかい中に強さがあるような、それが自分の性格でもあるんで。あんまり強くてイキがってるだけでも嫌われちゃうんで(笑)。
──音にも、多面性があると思うんですよね。基本はラップだけど、メロディも歌うし、ヒップホップだけどロックだし、EDMみたいな曲も今回あるし。ロック系のイベントにもばんばん出るじゃないですか。影響を受けるものは、ジャンルには関係ない?
まったく関係ないです。すごい人は、パッと見てすげえなと思うし。でも自分は、歌がすごくうまいという人にはあんまり魅力を感じなくて、みんなを一つにまとめるような、エンターテイナーに魅力を感じますね。うまく歌うのは練習すればできるだろうけど、一番難しいのは、初対面の人の心をつかむことだから。そこを一番考えて、エンターテイナーであることを頭に入れてやってます。チャップリンとか、言葉を発しないでも面白いことをやってるじゃないですか。
──ちょっと待って。いきなりジャンルが飛んだけれど(笑)。
今パッと浮かんだんですけど、エンターテイナーですよね。ミュージカルの人たちにもエンターテイナーを感じるし、いいところは全部取り入れて自分のものにする。今はいろんなところに視野を広げて、レゲエのアーティストも観るし、ロックも観るし、いいところがあれば取り入れて、みんなと一緒にグルーヴできるアーティストでいたいですね。ただ、聴かせる時は絶対にちゃんと聴かせて、その上でみんなで一つになる。そういうところを目指したいです。
──もともと、好きな音楽のジャンルにはこだわりがないですか。
ないですね。ヒップホップをずっと聴いてた時期にも、エンヤとか、ビートルズとか、イーグルス、カーペンターズとか、並行してずっと聴いてたんで。今考えるとすごい人たちばかりですけど、当時はそんなこと知らなくて、ただ好きで聴いてたんで。自分が気持ちいいなあと思う音楽は、間違ってないのかなと思います。いろんなことをやりすぎるのも嫌ですけど、自分が気持ちいいと思ったものはそれを取り入れて、自分のフィルターを通せば、それがオリジナルになると思うんで。自分が歌えば自分のジャンルになる、というふうにしていきたいですね。
──直接影響を受けた人って、誰かいます?曲作りや歌について。
いないです。かっこいいなと思った人は、けっこういるんですけど。唯一、小学校の時にものすごく影響を受けたのが、O-Shen(オーシャン)っていうハワイアン・レゲエの人で、その人の音楽を聴いた時にドはまりしちゃって、それが最初で最後なんですよね。
──その頃から、ミュージシャンになる夢はあった?
いや、最初の夢は空手の先生でした。やるなら一人で自分の流派を作って、アメリカで道場を開きたいと思ったんですけど、現実的ではなくて。そのあとに目指したのは、プロサーファーでしたね。
──ガラッと変わりますね。方向が。
サーフィンは小学校3年生から始めていて、一人暮らしできる年齢になってから千葉に行ったんですよ。そしたら千葉の環境がものすごく好きになってしまって、朝起きたら目の前に海があって、最高じゃねえかと。それでプロサーファーになりたいと思って、真剣に目指す期間が4年ぐらいありました。死にそうな思いもしながらいろいろ模索したんですけど、自分がなんでプロサーファーになりたいのかというと、肩書がほしかったんですね。空手をやめてから、何もなくなってしまって、どうしようと思った時に、プロになるという肩書がほしかった。でも、プロサーファーの友達と話している時に、“おまえ、そういうふうに言うと、本当に目指してる奴に失礼になるぞ”って言われて、確かにそれはそうだなと。そういう意味で考え方が浅かったなと思います。プロサーファーになってどうするの?って母ちゃんに言われた時にも、答えられなくて、サーフショップを経営するのかなとか。でもその生活じゃつまらなすぎるし、俺はもっといろんなことができるんじゃねえか?と。
──そこから、ようやく音楽の道を目指した。
そうです。歌はもともと好きで、ギターもちょっと弾けるし、曲も作ったりしてたんですけど、“やっぱり歌か”と思い始めたのは23~24歳ぐらいですね。
──遅いと言えば遅い。
遅いですね。18歳ぐらいから、ライブはやってたんですよ。六本木や渋谷で毎月歌ったり、自分でオーガナイズしたイベントとか、よくやってたんですけど。でも真剣に歌をやろうと決めたのは、プロサーファーをあきらめた時で、趣味じゃなくてこれを仕事にしなきゃダメだなと思った時ですね。それで25歳の時に最初の作品を出したんですけど、最初はどうやってリリースしたらいいのかもわかんなかったし、簡単に配信もできない。じゃあ何が一番いいのか?と思った時に、ユーチューバーがわーっと出てきた。名も知らない人が、YouTubeの中で頑張って、成功してるのを見て、俺もYouTubeから発信しようと思って、最初に出したミュージック・ビデオが「Hawaii」という曲です。そこからやっと動き始めて、CDの流通を通してくれるところも決まって、2015年に初めてのCDを出しました。
── 一歩一歩、めっちゃ手作りじゃないですか。
ほんと、そうです。何が辛いって、アーティストは歌うだけでいいと思ったら、裏のことも全部やらなきゃいけないという(笑)。最近マネージャーが入ってくれて、ものすごく助かってるんですけど、裏のことをやらなきゃいけないキツさは、この2~3年でものすごく勉強しました。でもそれは、インディーでやると決めて、自分の会社を起こしてる以上は、ベースになる部分を自分がわかってないと、将来的に自分が経営者になった時に、わかんなくなるじゃないですか。これは絶対プラスになると思って、逃げないでおこうと思って今は頑張ってますけど、まあきついですね(笑)。でもそれが仕事として動けてるし、何もないあの時の自分のことを思えば、今は楽しく頑張れているなと思うから。このままやっていこうと思ってます。
──みんな聞いてる?音楽を作って生きていくということは、彼のように、裏側にあることもしっかりやっていくということなんですよ。
ラジオみたいですね(笑)。でもそれを、こういうところだと話せるんですけど、ステージの上で、俺の苦労もわかってほしいと言えるようなことでもないし。でもこれがバネになって歌詞に出てくればいいし、人間として成長できれば、強くなれるかなと思います。
──WATARUさんの歌うことって、ラブソングでもライフソングでも、すごく生活感があってリアルじゃないですか。目の前に広がる海や、仲間や恋人の顔も見えてきそうな。そういう姿勢って、やっぱり地元のサーフィン文化や、海辺の生活からもらったものは大きいですか。
めちゃくちゃ大きいですね。たぶん東京にいたら、こういう音楽は書いてないです。もっとダークな歌詞を書いてたかもしれないし、言葉だけのメッセージが多くなってたかもしれない。10代の時に東京で書いてた歌詞と、千葉で一人暮らしをしてから書いた歌詞で、何が違うのか?と思ったら、10代の時は自分が思う気持ちしか書いてないんですよ。背景も見えなければ情景も見えないし、言葉だけが並んでる歌詞だったんですけど、一人暮らしを始めてから、失恋して辛かったこととか、人間関係で裏切られたとか、そういう体験をして、それをもろに書くわけですね。言葉だけじゃなくて、背景が見えるような、ストーリーとして書けるようになっていった。ストーリーを作るんじゃなくて、自分が体験したことだから、勝手にストーリーができていくんですよ。それを第三者が聴いて、“私もこういうふうに思ったことある”とか、そう思ってくれることが、一番気持ちを共有できるのかなと。それで“私は一人じゃない”と思ってくれれば最高だと思ってます。
──ファースト・アルバムを出して、この先、どんな夢が見えてますか。
武道館とか東京ドームを埋めるという野望はあります。でもそれが現実的に見えてるかというと、そこに向かって走っている段階なので、今は一個一個をこなしていって、(取材日の)3日後にライブがあるんですけど、まずそれをクリアしていくこと。今年もいろんなフェスに出させてもらうので、一つ一つを乗り越えて行って、3年後にオリンピックがありますけど、自分の地元に決まったんですよね。千葉の一宮というところなんですけど。
──ああ、そうか。サーフィン会場だ。
それって、すごいことなんですよ。自分のサーフィンのホームポイントで試合をするんで、そこは完全に千葉の代表として、一宮から出て来たアーティストとして、オリンピックのサーフィンのテーマソングは絶対に狙いたくて。地元でイベントもしたいし、それに向けて、8月から自分のオーガナイズするイベントを千葉で始めて、3年後のオリンピックに向けてどんどん大きくしていきたいと思ってます。そういうことを地道にこつこつやっていって、まずは自分がマイクを握ったらわーっと人が来てくれる状態までは、すぐに行きたいと思ってます。
──もっと遠い夢、10年後とか、20年後とかは?
それはもう、一流のアーティストになってることです。みんなが認めてくれるような存在になれればいいけど、でもそれは、あんまり意識してないかもしれない。いろんな経験をしながら、歌をみんなに届けていくことを、死ぬまでやり続けることが一番の目標です。その段階で、武道館とかができれば最高ですけど、一番難しいことは、一つのことを極めていくことだと思うので、それをやっていきたいですね。空手も途中でやめちゃったし、本当に自分の意思でやることを決めたのが歌だったんで。これで歌をやめたら、俺は自分に負けたことになるんで、できるところまでやってみようと思います。俺の歌を好きだと言ってくれる人が、少しずつ増えてきてくれているので、その人たちのためにもやり続けなきゃいけないと思ってます。
──期待してます、最後にもう一度、ワンマンライブへの意気込みと、オーディエンスへのメッセージを。
今回出したアルバムが『太陽』、そしてワンマンライブが“Sunrise”ということで、あったかい太陽の光がみんなに届いてほしいというのと、あとは、自分が太陽になるんで、みんなは太陽の下で遊んでいる子供たちの気分になってほしい。大人になっていけばいろんなことがあるし、汚れたくなくても汚れちゃうところもあるけど、そういうことを何も気にしないで、太陽のもとにみんなで集まって、体を揺らして、汗をかいて、声を出して、人間らしい空間をみんなで作って、一緒に楽しめたらいいなあと思います。ぜひみなさん、遊びに来てください。
PRESENT
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