世良公則、「DOORS “ヨロコビノトビラ”」に向けたロングインタビュー【後編】三者で創り上げるステージへの溢れる期待感。ゲスト・宇崎竜童からメッセージも

インタビュー | 2025.09.12 18:00

強がらず、自然体で、いつも笑顔で、ステージに上がってアクセルを踏んだ瞬間に宇崎竜童でしかないものが放出される

──宇崎さんとは岩城滉一さんを交えた3人でGENTLE 3を組んで活動されたことがあったり、長いおつき合いですね。宇崎さんの魅力をどこに感じられていますか?
僕がデビューした頃から10年先を歩いておられる方で、その時間は絶対に埋めることができないですから。そういった現実の中で、竜童さんの背中を見て歩いています、という感覚があります。作られている楽曲は色褪せないですし、「世良くんとやると疲れるよ」とかおっしゃいながら、弾き始めると全力で来られるし、歌われるし。そういう“いき切る”感じ── “行き切る”と“生き抜く”がある方です。竜童さんがこの先歩かれる年齢までは自分も辞められないと思っていますし。そういう存在が日本にいてくださるのはなににも代えがたいですよね。あと、素晴らしいのは音楽に対する姿勢も、我々に対する姿勢も何年経っても変わらないんです。どんなに年下でも敬語でお話しされるし、時々、「世良くんさ」とかってポンと後輩として扱ってくださって嬉しいですしね。そうやってアーティストとしてリスペクトして接してくださる部分と後輩として扱ってくれる部分をバランスよく持たれている方ですから。あらゆる人から愛されていて、大御所でレジェンドと言われるところにいらっしゃるのにいつもニュートラルで。武道でも達人ほど力みがないと言うように、本当に達人的な方。一緒に食事にいっても、演奏していても、旅で移動していても、いろんな昔話を聞かせていただいている時も常に自然体でおられる強さに憧れます。
──これまで、お互いのライブに出演されているわけですが、竜童さんと音を合わせた時はどんなことを感じられます?
竜童さんの場合、予測がつかないんです。
──世良さんと同じですね(笑)。
そうですね(笑)。ご自身の中では固まっているとおっしゃるんですけど、段々スイッチが入ってきたなとか、逆にニコッとしながら最初からドンと来られることもあって。ニュートラルでありつつ、ステージに上がってアクセルを踏んだ瞬間に宇崎竜童でしかないものが放出される。それを隣で感じている嬉しさがあるし、同時に気が抜けないんですよ。だから僕は、いかようにもいってください、ついていきますといった姿勢でいつもいます。そして、なんでも笑顔で解決できる強さをお持ちという。やっぱり強いっていうことなんだと思います。強がらず、自然体で、いつも笑顔でいられる。あの優しさは強さなんだな、って。
──ついていきます、と言いつつ、音で向き合う時に世良さんは、リスペクトを持ちながら全力でぶつかられるんでしょう?
だから、「世良くんとやると疲れる」と言われるんですよね。それでもこっちは力を抜いてプレイする気は一切なくて。「しんどいわ」と言われながら僕もニコッとしてぶつかっています。
──お話をうかがっていると、ニュートラルでいて、愛情がある接し方や音楽でのぶつかり方は、つるの剛士さんや押尾さん、NAOTOさんにとっての世良さんみたいな感じなのかもしれないですね。
そこは彼らに聞いてみないとわからないけれど、もしそうだったら嬉しいです(笑)。僕たちが竜童さんを始め先輩たちから学ばなければいけないことは、自然とそこにいて、自然とそこに音楽が生まれて、それをスタッフや会場に来てくださった方と共有していくことでエネルギーを生むという在り方だと思うんです。決して、粋がっているわけでもないし、アピールしているわけでもない、っていう。それを次は僕たちの姿から下の世代の人が感じてくれているなら最高に幸せなことだし、彼らからさらに次の世代に繋げてもらえたら嬉しいですよね。
──そうやって日本でもロックの歴史が積み重なっていくわけですよね。音楽性や理論だけじゃなく、ロックアーティストの在り方とか佇まいも含めて。
そうですね。反社会的なメッセージや反体制がロックだとか、そういった活動家のようなものではなくて、当たり前にそこにある音楽。それを聴いて多くの人が勇気を貰ったり、感動したり、ある人にとっては、あれ?自分とは違うなと反撥を感じてもいい。そういうことを竜童さんの後ろ姿を見ていて思います。だから、僕らが受け継ぐのは生きること、音楽と生きていくことだと、感じさせられるし、そういった方が現役でいらっしゃってまだまだ学べるから、素敵ですよ。

世良公則 × 宇崎竜童

世良公則のステージは僕だけじゃなく、共演者の方、スタッフ、来てくださったオーディエンスの方、全員で作り上げているトータル芸術

──世良さんと同世代のアーティストで、ライブやツアーを最後にする、と宣言された方もいらっしゃって。それに対して、いいとか悪いといった気持ちはないんですが……。
僕もいい、悪いではないと思っています。
──同時に竜童さんのようにライブを積極的にされている先輩方がいて。世良さんは現在、『DOORS “ヨロコビノトビラ”』以外に、『〜迸る(hotobashiru)〜』『KNOCK KNOCK』の各公演を発表されています。これほど精力的にライブをされるモチベーションの源泉はどこにあるんでしょう?
僕は恵まれていると思うんです。スタッフ、ファンの方、共演者のみなさん……出会う人が僕を1歩前に進ませてくれるというか。仮に、ここまで、と線を引いたとしても、もう1歩先があると気がつかせてくれる。誰が一番か、って世界にいたら上下みたいなもので人を計ってしまったかもしれないし、世良という器や音楽性といった他の人が外から見たイメージに囚われていたらその維持に限界を感じたところで止まっていたと思うんです。それができなくなることへの失望みたいなところでね。でも、今の僕は表現がまだまだ広がっているし、計るのではなく共有してくれる仲間がいて、そういった方たちや僕をサポートしてくれる人からの刺激で音楽が広がっていってる。そういうことを『KNOCK KNOCK』をやっていて感じるんです。自分の源泉として『〜迸る(hotobashiru)〜』があって、そこから1歩踏み出した時の楽しさをまだまだ教えてもらっていますから。それに、『〜迸る(hotobashiru)〜』ではライブが終わるとスタッフが集まって自主的に反省会をしてくれるんですよ。「世良さんのあの合図はこういうことだったんですか?」とか「合図を受けとりましたが改善されましたか?」と、チェックに来てくれるんです。彼らに前向きな心があるから、僕は次も安心して任せようとか、次のライブはもっと向上する、と思える。本当に世良公則のステージは僕だけじゃなく、共演者の方、スタッフ、来てくださったオーディエンスの方、全員で作り上げているトータル芸術なんですよね。だからライブ当日、“今日はどうなるんだろう?楽しみだな”という気持ちで出かけていけて。曲目は決めていても、同じステージは2度とない。唯一無二を毎回やっていて。この瞬間のこの場所で同じ空気を吸っている人たちと共有するライブをやっているうちはまだまだ転がり続けられる気がします。そういう意味で『DOORS “ヨロコビノトビラ”』は、異ジャンルに飛び込んでいく、飛び込んで来てくださいっていう、なにが起きるかわからない瞬間の連続で、楽しいです。

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