第10回 語り手:世良公則
世良公則が答えてくれた最初のやりとりにもある通り、彼が「世良公則&ツイスト」としてデビューした1977年当時の渋谷公会堂は、テレビの歌番組やバラエティ番組の会場としてのイメージが強かった。が、逆に言えば、世良たちの世代がそうしたテレビの歌番組でも活躍し、日本におけるロック・ミュージックの裾野を広げていったことが、80年代に渋谷公会堂で数多くの伝説的なライブが生まれたことに間違いなく繋がっている。2016年2月に福岡で開催された、世良の60歳を祝うライブに、80年代後半のバンド・ブームを牽引したユニコーンの奥田民生とJUN SKY WALKER(S)の宮田和弥が出演したのは、そうした歴史の流れを表す象徴的な出来事だろう。
ここでは、そうした日本のロックの歴史の流れの中で、しっかりと自らのペースでキャリアを重ねてきた世良が見た、そして感じた渋谷公会堂について、メール・インタビューの形で得た回答を紹介しよう。
ここでは、そうした日本のロックの歴史の流れの中で、しっかりと自らのペースでキャリアを重ねてきた世良が見た、そして感じた渋谷公会堂について、メール・インタビューの形で得た回答を紹介しよう。
──渋谷公会堂というホールを認識したのは、いつ、どんなタイミングでしたか。
堺正章さん司会の歌番組だったと思います。
──そのときの渋谷公会堂のイメージはどんなものでしたか。
公園通りが近くて当時ワクワクしていました。
──初めて渋谷公会堂のステージを経験した印象をお聞かせください。
武道館以前はミュージシャンにとっては聖地的な会館だったのでけっこう興奮したと思います。
──1993年のツイスト再結成ライブを渋谷公会堂で行われていますが、その時の思い出をお聞かせください。
ソロでも普段から使わせていただいていたので、普段通りのライブを行うことが出来ました。
──渋谷公会堂では、日本のロック史に残るライブがたくさん行われてきたわけですが、そうした名演、熱演が生まれる秘密が何かあるすれば、どんなことだと思われますか。実際にそのステージを経験された実感も踏まえて、思うところをざっくばらんに聞かせてください。
音が良かったと記憶しています。客席との距離感もちょうど良かったのではないでしょうか。
──新しい渋公が来年オープンする予定ですが、新しい渋公に対して、望むこと、期待することがあれば聞かせてください。
是非、使わせて下さい。
──世良さんが思う、理想のロック・コンサートの会場とはどんなイメージですか。
現在のスタジアム・コンサートのような、演出重視で音楽的なことを軽視し、音の悪いライブには疑問を感じるので、やはり音楽面を重視した「音」「明かり」「演出」のバランスを重視してもらいたいと思います。