世良公則は昨年デビュー40周年を迎え、新曲ばかりのオリジナル・アルバムにライブ音源を加えた3枚組アニバーサリー・アイテム『Howling Wolves』をリリース。またツイスト結成の地・大阪で数多くのゲストを迎えて記念ライブを開催した。しかし、そこでひと息つくことなく、今年に入っても独自のペースでライブ活動を展開し、着実に41年目のキャリアを重ねている。
“Knock・Knock”も、彼が続けているそうしたライブ・シリーズの一つだが、年明け1月18日には、宇崎竜童、八神純子、そして神本宗幸という3人をゲストに迎えたステージが実現する。こうした魅力的な顔合わせを自ら企画し、ボーカリスト/ミュージシャンとしての世界をさらに広げていこうとする彼の現在の心境を、メール・インタビューという形で聞くことができた。
“Knock・Knock”も、彼が続けているそうしたライブ・シリーズの一つだが、年明け1月18日には、宇崎竜童、八神純子、そして神本宗幸という3人をゲストに迎えたステージが実現する。こうした魅力的な顔合わせを自ら企画し、ボーカリスト/ミュージシャンとしての世界をさらに広げていこうとする彼の現在の心境を、メール・インタビューという形で聞くことができた。
──40周年という節目を終え、さらに次なるキャリアが始まっている今の時点での心境をお聞かせください。
「未だ、道半ば」「今より先へ、その自分と対峙する」をモットーに進んでゆこうと思ってます。
──客観的には、この40年の間に日本の音楽シーンはかなり変わったと思いますが、世良さんの実感としてはいかがでしょうか?
音楽シーンは人間力から組織力が重視されるようになり、ロック・ビジネスが成長したことで変化を恐れ、体制を気にしすぎているのかなと思います。
──そうした時代の流れの中で、世良さんはどんなことを意識して活動を続けてこられましたか。
ミュージシャンとして一歩でも前進してゆくこと。
──40年の活動を振り返って、10年、20年といった数字の節目とは別に、ご自身の中で、キャリアを続けていく上でポイントになった出来事があれば、ぜひお聞かせください。
30代の終わり頃、アコースティック・ライブを始めたことで、それまでのイメージにこだわることなく、自由で自然体のスタイルを手に入れたこと。
──アマチュア時代から通算すれば、50年近く音楽を演奏したり歌ったりされていることになるかと思いますが、そういう時間を重ねるほどに音楽を演奏したり歌ったりすることは楽しくなっていますか。あるいは、難しさを感じることのほうが多かったりするのでしょうか。
プロの世界なので難しいのは当たり前。それを楽しんで、乗り越えてこそのキャリアだと思います。ただ続けていれば良いと言うものではないでしょう。