世良公則、「DOORS “ヨロコビノトビラ”」に向けたロングインタビュー【前編】多岐にわたる表現でエネルギッシュに展開するライブに込める想い。ゲスト・佐藤浩市からメッセージも

インタビュー | 2025.09.11 18:00

エネルギーが迸っているように自分を高めていきたいし、まだまだ迸っているこの想いを伝えたい

──今回はライブのお話を中心におうかがいできればと思っています。よろしくお願いします。
世良公則はい、お願いします。
──世良さんは何種類かのライブシリーズを展開されていますね。お復習いも含めそれぞれの主旨と、そこでどんな刺激があるのか教えてください。まず、数年前に改名された『〜迸る(hotobashiru)〜』というシリーズがあります。
『〜迸る(hotobashiru)〜』はソロアコースティックライブです。我々がデビューした'70年代の頃、観ることができた、聴くことができたロックミュージシャンは一番年上の方でも30代後半くらいだったと思うんですよ。ジャズやクラシックだと50代、60代、70代の大先輩方がいらっしゃって、若手が成長していくみたいな道筋があったのに対してね。
──日本のロックシーンは歴史をさほど重ねてなかったですよね。
そうです。だから当時は、ビートルズとかの洋楽に刺激を受けてバンドを組まれた方たちが現役で70代後半から80代に入っていかれて、下の世代に受け継がれて広がっていくなんて想像できなかったんです。僕自身まさか自分が50代、60代でロックと言われる音楽を継続してやっていると思ってなかったですから。その道を歩いていくのは、いつも未到の荒野に分け入っていく感覚だったわけです。そして40代、50代になる中で、ひょっとしたらどこかで落ち着いていくのかな。年齢的なものだったり、演奏力や歌唱、パフォーマンスだったりで、“ここまで来た!”みたいな感覚になるのかな、って感覚と、ローリングストーンズのようにどこまでも転がり続けるぜ、みたいな気持ちの両方を持って進んでいた気がするんです。ところが60代に入った時に、どんどんよくなりたい、もっとこんなプレイしてみたいという欲求だったり、20代に自分が書いて歌っていた曲に対して、こんな曲だったんだ!といった気づきからアプローチが変わったり、気持ちの迸りが一向に収まらないと思えたんですね。もちろん、生きている者全員が終わりに向かって進んでいるわけで、僕も肉体的になのか、状況的になのかわからないですけど、最終的にどこかで終わらなければいけないわけです。でも、その時までずっと気持ちとかエネルギーが迸っているように自分を高めていきたいし、60代に入ってもまだまだ迸っているこの想いを伝えたい、と。そこで“迸る”の言葉を真ん中に据えて、たったひとりで演奏することで、湧き出て来るエネルギーの源泉を形にしていくライブを『〜迸る(hotobashiru)〜』と位置づけました。
──ソロアコースティックライブを具体的に言うと、アコースティックギターによる弾き語りですね。
それが自分の源泉。源なんですよ。
──実際、『〜迸る(hotobashiru)〜』のステージ上で、その時のご自身の精神状態や、まだエネルギーが湧いてくるといったことを再確認される瞬間もありますか?
公演中に、こんな曲を次にやりたいとか興味が湧いてきますからね。それは自分の書いた曲に対しても、それ以外の曲に対しても。中には「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」のようにNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』の劇中で歌うことになったものが、自分の持ち歌としてしっくり来ている曲もありますし。それらを全部含めて迸るエネルギーをライブで放出することで、今度は自身の中に取り込んでいくっていう。そういう循環が、興味の尽きないところに繋がって。そこで『〜迸る(hotobashiru)〜』でその時の自分がわかるところがあります。
──世良公則&ツイストでデビューしてから約48年やってこられて、興味が尽きないってすごいですね。今も衝動と熱があるってことでしょうし、それぐらい音楽とロックそのものが奥深いということでもあるという。
例えばバンドでレコーディングした曲でも今、ひとりでアコースティックで鳴らしたらどんな風に聞こえるんだろう、とか思うんですよ。「バンドでやる曲でしょう?」「アコギでそのフレーズやらないでしょう!?」と他の人から言われる曲をひとりで成立させようみたいな、よくばりな感じが常に僕の中にあって(笑)。そういう興味があるうちは『〜迸る(hotobashiru)〜』のタイトルを掲げ続けます。

【世良公則】MASANORI SERA Acoustic Solo Live 2022~hotobashiru~The power to live is here(2022年1月9日)

出会ってきた仲間たちがセッションの中で僕の新しいドアをノックしてくれる

──そして、押尾コータローさんやNAOTOさんといった楽器奏者から、渡辺美里さんや宇崎竜童さんなどのシンガーを迎えて開かれるシリーズ『KNOCK KNOCK』があります。
僕の源泉としての『〜迸る(hotobashiru)〜』でこの先の自分を見たいという興味の次にあるのが、どんな人と出会うんだろう?という想いなんです。というのも48年ほどこの世界でやってきた中で音楽に限らず映像、陶芸……いろんな世界で本当に多くの人と出会って。その出会いから自分が生まれ変わっていくような、脱皮していくような感覚を味わってきましたから。それは既に出会っている人でも、例えばNAOTOくんとか押尾くんは何回セッションしても次にどんなことをやってくるだろう?と思わせてくれたり。美里さんの歌なら、あのパワーでこの曲を歌ったらどうなるんだろう?とか思えて、こちらからジャニス・ジョプリンを歌ってくれない?とお願いしてみたり。出会った相手に対して興味が尽きないし、そういった方たちと音楽をやることで僕自身から引き出されるものがたくさんあるんですよ。オーディエンスの方もこの人と世良が音を鳴らしたらこうなるんだ!という興味を持ってくれていますしね。タイトル通り、僕の部屋をミュージシャンやシンガーの方がコンコンとノックしてくれて、ドアを開けたら、あっ!という出会いがある。出会ってきた仲間たちがセッションの中で僕の新しいドアをノックしてくれる。それが『KNOCK KNOCK』です。出演してもらうアーティストはそれぞれ、僕と同様に、迸るエネルギーを持っている人たちで。そういうただ者じゃない人、お互いにリスペクトしている人たちがノックして気軽に入って来てほしいし、ただそこでとんでもなく面白いことが起きる、すごいエネルギーが生まれるよね、っていうね。
──本当に押尾さんやNAOTOさん始め、みなさん聴く度に演奏や歌のフィーリングが違いますし、それぞれ迸っておられます。
だから、みなさんと音を合わせると、自然と立ち止まっていられないと思わされる刺激があるんですよ。気がつけばみんな全力で飛ばしてる!みたいなね。そう言えば先日、NAOTOくんの20周年記念のライブ(『SERENDIPITY』。8月15日、東京国際フォーラム ホールA公演)に、ゲストのラインナップにはなかったんですけど、参加させてもらって。NAOTOくんと押尾くんと3人でやってきたんですよ。本番の2日前に「時間ができたから飛び入りしてもいい?」と聞いたら、快い返事をくれてね(笑)。それは、事前のリハや打ち合わせどころか、当日のリハ、サウンドチェックもなしで。本番でいきなり3人で演奏したら、NAOTOくんも押尾くんもアクセル全開で来るし、僕も全力でいくっていう。『KNOCK KNOCK』で関係性を作れているからこそ、お互いに抜き身で、普段から準備できているよねというセッションでした。スタッフさんとかその日のゲストの方たちから、“えっ、なんとかなるんですか?”って言われたけれどね(笑)。
──まさにライブですね。会場にいた方も、お3方の臨場感、高揚感を感じられたでしょうし。
目を合わせながら“もうちょっといく?“とか、“そう来るんだ、じゃあ!”って感じで演奏しながら僕ら自身が楽しんでいますし、予定調和なしのエネルギーのぶつかった音をお客さまに伝えたいというところが言葉にせずとも共有できていましたからね。そういうものが『KNOCK KNOCK』にもあって、やっぱり大切なシリーズだと改めて感じました。

世良公則/MASANORI SERA KNOCK KNOCK 2021 @YOMUURI OTEMACHI HALL (April 10,2021)

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