第17回 語り手:高木ブー
──「渋谷公会堂物語」という連載なのですが、色んなアーティストから「渋公と言えば全員集合、ドリフターズ」と言った感じで、「8時だョ!全員集合」の印象がすごく強いみたいですが。ブーさんにとっての渋谷公会堂はどんな場所ですか?
「全員集合」は色んな会場でやったけど、渋谷公会堂だから特別とか、感激したってのはあんまり無いなぁ(笑)。あれだけよく使ってたってことは、使い勝手が良かったってことじゃない?あと、渋公は最初に使い始めた頃から古かった気がするな。
──「全員集合」の放送開始が1969年。渋谷公会堂が建てられたのが1964年と少し前ですが、当時から味のある建物だったんですね。
「全員集合」ってコントと歌のコーナーでステージが回転するじゃない?あの回転が出来るステージって言うのが、都内から無くなってて。あそこが最後だったんじゃないかな?「全員集合」ってコントがあって、歌のコーナーがあって、またコントがあって、3部作になってるから。それがスムーズに出来るのが、渋公くらいしか無かったんだよね。
──なるほど、そういう利便性の高さもあったんですね。
最後にゲストの歌手を混ぜてコントをやるでしょ?長さん(いかりや長介)が「次行ってみよう!」って言って、セットが変わるんだけど。スライド出来ない会場だと、手で押してセットを変えたりして大変なんだよ。渋公はそれがすごくスムーズだった気はします。東京だと大体、渋公か日本青年館でやっててね。渋公は楽屋も汚いし、綺麗な会場じゃないけど、使いやすかったよね。
──「全員集合」は金曜に立ち稽古をして、土曜がリハと本番でしたっけ?
そう。金曜日はTBSで稽古して、土曜日は朝10時に入って、午前中はドリフターズだけでリハをやって。午後はゲストやカメラも入れてリハをやって、通しをやって本番という感じで。地方でやる時は、関東地区だったら朝6時にTBSに集合して、現場に10時に着いてリハをやってたね。
──毎週、ピリピリした緊張感の中で生放送をやってて。「今日は行きたくないなぁ」と思う日は無かったですか?
それは向こうが言ってくることでね、ドリフってステージでバンバン水撒いたりするじゃないですか?本当はあんなのやっちゃいけないから、「もう来るな!」って断られたらおしまいなんですよね。
──あはは。「行きたくない」じゃなくて、向こうから「来てくれるな」と言われる可能性があったと(笑)。
そうそう。コントの中でさ、水とか使わなければOKなんだけど、大体そういうことしちゃうから(笑)。あと例えば、あれだけ大きな建物を建てるんだけど、釘を打っちゃいけないんですよ。だから、砂の入った袋に釘を打つことで解決したりね、色んな工夫がされてるの。
──ステージでただ、めちゃくちゃやってるように見えてましたけど。アイデアを駆使して、規制をかい潜ってたんですね!
ステージにアイススケート場を作っちゃいましたからね。「全員集合」のステージは作る方も大変だったと思うよ。ステージの上でパトカーを飛ばしたり、僕らの笑い話が本当になっちゃうんだよ(笑)。「パトカーを空に飛ばして、バーンとなったら面白いな」とか、我々が好き勝手言うでしょ?そうするとステージ作る人が難しい顔しながら「やりましょう」って言うの。
──あはは。「好き勝手言いやがって」と思ってる人もいたでしょうね(笑)。
最初は「そんなの無理!」って言われてたことも、制作側も面白くなってきちゃって「やってみようか?」なんていって出来ちゃうと、可能性がどんどん広がるんだよね。ネタ作りの時はまずはギャグを考えて、それをどんなコントを作って、どう当てはめるか?を考えていくんだけど。いまのテレビじゃ、とても出来ないようなことばかり言ってたな。