──生放送というところで、ブーさんが特に印象に残ってるトラブルは?
火事と停電かな(笑)。コント中にセットが燃えたのと、始まってすぐに停電になっちゃったのと。
──あの頃は「全員集合」の生放送も毎週あって大忙しで、遊びに行ってる暇も無かったんじゃないですか?
いや、みんな飲みに行ってたんじゃない?僕と長さんは世帯持ってたから、終われば家に帰るけど。若い連中がどうしてたかは知らない(笑)。
──ブーさんは出かけなかったんですか?渋谷公会堂の周りの風景も当時と大きく変わりましたが、渋谷の思い出はないですか?
渋公以外だと、「渋谷ジァン・ジァン」で舞台に出たくらいかな?あとはジャズ喫茶やライブハウスがあったから、若い頃はバンドで出たりしたけど。「全員集合」やってる頃に街に出ることはあんまり無かったかな?
──「全員集合」の時は直接会場入りして、そのまま帰るだけ?
そう。一番奥に畳の大部屋があって、そこをドリフ全員の楽屋として使ってたんだけど。いつもの席に座って、みんなでギャーギャー騒いでて、楽屋も面白かったですよ。稽古は前日終わってるから、当日は動きの確認だけなんだけど、どんなステージになってるか分からないからさ。行ってみたら実物大の汽車があったり、スケート場があったりしてビックリしたよ(笑)。
──凄い話ですよね。一度、生で見てみたかったです!
いまのコントって本人たちの実力が大事で、そんな大掛かりなセットでやったりしないもんね。でも、実力で出来るのは素晴らしいことだし、それは今の子たちに敵わないけど、物を使わせたらドリフが一番ですから。
──それは本当にそうだと思います。めちゃくちゃ面白かったですもん!
ちょっと気を抜いたら怪我するってところで、ずっとやってましたから。僕も屋根から落ちてお尻打ったこともあったけど、生放送だから止められないし。
──そうですよね。あと「全員集合」って、会場にお客さんを入れていて。家族連れのお客さんも多かったですが、子どもがゲラゲラ笑ってるのって、ヤル気に繋がったんじゃないですか?
子どもたちが「バカだなぁ!」って言ってるのが聞こえると「今日は大成功だ!」と思って嬉しかったね。「俺たち、バカに見えてるんだろうな。上手くいったな」って(笑)。長さんが言ってたのは、「俺たちは学歴もないし、頭も良くないから、学校コントやるなら、誰にでも分かる小学生のコントやろう」って。だから「全員集合」の出発点は学校コントなんです。小学生でも分かるような、バカバカしい学校コント。あれを何回かやって、「違うこともやってみようか?」って、母ちゃんコントとか色んなコントが生まれるんだけど。一番最初は、長さんが先生やってる学校コントだから。先生があっち向いてる間ならめちゃくちゃやっていいっていう、小学生の発想が原点なんだよね。
──はい、いまの子どもたちにもドリフみたいな存在がいて欲しいです。
あとドリフは5人いたから、僕なんか端っこで何もしなくてもいいってところもあって。5人で合わせてギャグやるのも大切だけど、ドリフには5人それぞれのカラーがあって、その5人で作り上げた形が「全員集合」なんだよね。だから、今は昔やったコントを、4人でそのままやってみたらどうなるか?ってことに興味があって。年齢的に動きや設定も変わってくると思うけど、年取ったからこその面白さもあると思うんだよね。僕、絵を描いてるんだけど、昔のコントを今やってる絵があってね。みんなじいさまなんだけど、それを想像すると楽しくてね。そういうことをやってみたいの。
──現在の4人でやるドリフのコントを、渋谷公会堂で見れたら最高です!
あっはっは、そうだね(笑)。でもね、「全員集合」みたいなステージを作れる人も今はいないだろうね、想像付かないと思う。「全員集合」だって、最初からあんなのが出来たわけじゃなかったからね。荒井さんが抜ける前、あのふてぶてしいキャラがウケて、やっとドリフの形が出来てきて。
──その後、志村(けん)さんが加入して。ドリフの成長と共にテレビや制作スタッフも成長していって、「全員集合」の形が出来ていったんですね。
そういうことなんだよね。だから、ドリフターズにしたら、渋谷公会堂で過ごした時代はすごく大事な時期だったし、あそこがすべての始まりだったよね。