2019年3月27日(水) 日本青年館ホール『ベストヒットUSA feat. 小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド』。
日本の洋楽テレビ番組のオリジネイターとして、日本でMTVの放送が始まるよりも前、1981年にテレビ朝日で放送スタート、日本中の10代20代に多大な影響を与えた「ベストヒットUSA」は、1989年に終了するも2003年にBS朝日で復活。現在も支持を集めながら放送が続いている人気番組となっている。
その『ベストヒットUSA』を冠する、小林克也の78歳の誕生日に開催されるイベントに向けて、DI:GA ONLINEではメンバーのインタビュー・テキストやインタビュー動画等をお届けしてきたが、今回は日本のロックのレジェンドたちが集結する豪華ゲストたちの中から、鮎川誠・鈴木慶一のおふたりに、小林克也とともに語っていただきました。以下、この会話の間合い、これぞレジェンド!と、読むと言いたくなるし、当日がいっそう楽しみにもなる鼎談です。
日本の洋楽テレビ番組のオリジネイターとして、日本でMTVの放送が始まるよりも前、1981年にテレビ朝日で放送スタート、日本中の10代20代に多大な影響を与えた「ベストヒットUSA」は、1989年に終了するも2003年にBS朝日で復活。現在も支持を集めながら放送が続いている人気番組となっている。
その『ベストヒットUSA』を冠する、小林克也の78歳の誕生日に開催されるイベントに向けて、DI:GA ONLINEではメンバーのインタビュー・テキストやインタビュー動画等をお届けしてきたが、今回は日本のロックのレジェンドたちが集結する豪華ゲストたちの中から、鮎川誠・鈴木慶一のおふたりに、小林克也とともに語っていただきました。以下、この会話の間合い、これぞレジェンド!と、読むと言いたくなるし、当日がいっそう楽しみにもなる鼎談です。
どんどん作っていく、その場で決める、そういうロックのいちばん大事なもんを持ってる方が克也さん(鮎川誠)
小林克也何やりゃいいのかな?
鮎川誠ん?
鈴木慶一あ、本番の話?
小林うん。
鮎川ゲスト的に出たらいいんですか?それともバンドの中に入って一緒にやる?
小林クレジットとしてはゲストだけど、どういう形でも可能(笑)。
鮎川(出演者一覧を見ながら)でも、これだけいたら、ナンバーツー・バンドちゅうのができたりして(笑)。ゲストだけで。
──では、おふたりは、何曲やるのかとか、まだなんにも決まってないんですね。
小林そうです。だから、たとえば3曲ぐらいやってほしいな、ということになると、スペシャル・ゲストが5人だから──。
鮎川多すぎる、絶対多すぎる(笑)。それだと始まりと終わりだけナンバーワン・バンド、とかになるやん。
──小林克也さんと鈴木慶一さんの共演は、わりと最近あったんですよね。
小林そう、1年前、僕の喜寿のパーティーで──。
鈴木ほんとにむちゃ振りですから(笑)。
小林むちゃ振りっていうか、慶一さんが来てるっていうけど、どこにいるのかわかんなくて。それで見つけて「あっ、いた!」って──。
鈴木で、「なんかやってよ」って言われて。それで「しばらく時間ください」って考えて、バンドに杉真理がいたんで相談して、「ビートルズかな、歌詞ある程度覚えてる曲、なんだろう?」と──。
小林ちゃんと覚えてたよね。
鈴木いや、あれ、一番をくり返してただけ(笑)。「NOWHERE MAN」ね。
──鮎川さんは、克也さんとの最初の仕事は、ザ・ナンバーワン・バンドよりも前ですよね。
鮎川そう、スネークマン・ショーのレコーディングですよね(1981年のアルバム『スネークマン・ショー』に、シーナ&ロケッツとして「レモンティー」で参加)。それから克也さん、俺んことも知ってくれて。克也さんのお家で餅つき大会があるけんね。杉真理とか伊藤銀次やら、もういろんなミュージシャンが集まる、毎年恒例の。それにシーナと行ったり──。
小林毎年っていうかね、あれ、3年ぐらいしかやんなかったんだ。
鮎川あ、そうなの? じゃあ貴重なところに俺たち行けたんだね(笑)。あとは、いろんなテレビ局でも一緒にやったし、新宿でライブやってるっていうから行くと、「1曲やって!」とか言われてね。たいがいね、「SATISFACTION」(THE ROLLING STONES)やるね。もうそれしとけばね、みんなだいたい「こんな感じ」ちゅうのはわかるからね。約束もそげんないし。僕らはもともとがブルース・バンドから来とるから、約束事は最小限の音楽ばっかりやってきとるから。
──一緒にステージに立った時の、ボーカリストとしての小林克也は?
鮎川いや、もう、ユニークやしね……。
小林なんか言いにくそうだね(笑)。
鮎川いやいや、だってもう、度胸が……やっぱボーカリストはね、一に度胸、二に愛嬌やね。うまく歌おうとか、そんなんじゃなくて。克也さんはそういう意味で、声は立つし、まんなかにダーンとおって、かっこいいし。すごいボーカルやと思います。発想もおもしろいし。佐藤輝夫さんちゅう相棒とね、言わばジャガー&リチャードですよ。もう、クリエイティヴよ。どんどん作っていく、その場で決める、そういうロックのいちばん大事なもんを持ってる方が克也さん。その場で決めんとね。「おい、違うやないか!」とか、そういう時間はステージではないですから。「あ、こうきやがった、ほんなら俺はこういこう」みたいな。それがライブやし。
ナンバーワン・バンドにおいては、何をやってもいいんだ、という感じだったな(鈴木慶一)
──鈴木慶一が最初に小林克也を知ったのは?
鈴木ええとねえ、ラジオ聴いてて、かなあ……でね、最初にしゃべったのは、電話ごしだったの。ムーンライダーズが「エレファント」っていう曲を出したんだけど(1981年のシングル)、その時に、電話インタビューで克也さんのラジオに出たんだよね。(小林克也の声色で)「この曲はジョン・レノンに捧げるものですか?」っていうようなインタビューだった。
小林そうそう、スネークマン・ショーで演じてるキャラクターで電話したんだ。
鈴木それで、確かにちょっとそういう曲だったの。ビートルズから引用した歌詞がある曲で。それ、誰にも言ってなかったから、なんか読まれた感じだった。それが最初。
──実際に一緒に音を出したのは──。
鈴木それは、ナンバーワン・バンドに参加した時(1982年リリースのファースト・アルバム『もも』に参加、「ブルースだ~れ」でギター・ソロを弾いている)。その時、札幌でライブがあってね、ギター・ソロやんなきゃいけなくて。それで、ギターを置いてさ、弦を一本ずつ、時間をかけて切っていく──。
鮎川ええっ?
小林っていうパフォーマンスをやったんだよね。
鈴木白井良明なんて、出て来たんだけど、ギター持ってないんだよ。鉢植えを持って、それを掲げて踊ってた(笑)。なんかね、ナンバーワン・バンドにおいては、何をやってもいいんだ、という感じだったな。それはレコーディングもそうだったからね。
小林でも、あの弦を切った時、バカウケだったよね。
鈴木いや、いろいろ考えたんだよ。ギター・ソロっていってもなあ、みんなちゃんと弾く人ばっかだし、俺はどうやったらいいんだ? ……切るんだ! と(笑)。それ、本番まで誰にも言わなかったから。克也さんも「何やってんだ?」ってのぞきこんでた。
小林そうそう。
──鈴木慶一の密かな得意技だったりするんですか?
鈴木いやいや、あんなことやったのは、あの時一回だけ。でも、なんでも楽しくやっちゃえばいいんだ、と思いましたよ。
ずっとこの調子で、死ぬまでやってるでしょ?(小林克也)
──今度の3月27日の日本青年館ホールで楽しみにしていることは?
鈴木いや、だから、まだなんにも決まってないからなあ……私はナンバーワン・バンドの演奏を楽しみにしてますけども。
──鮎川さんと慶一さんが同時にステージに上がることはあるんでしょうか?
小林いや、それも決まってないからね。でも、このふたりがステージで並んでギター弾いてたらおもしろいよね。それは観てみたいね。
鈴木でもなんとなく、最後の方はみんな出ちゃうんじゃないですか?
鮎川アンコールとかはね、それがいいと思うけど。
鈴木さっきも言ったけど、僕らの曲が多くなると、ナンバーワン・バンドの曲が少なくなっちゃうからね……決めなきゃいけないですね。
小林うん。だから、あの、おそらく……悪いようにはしないけど──。
鈴木(笑)。
鮎川いや、全然楽しいんやけん。ちゃんとやろうなんちゃ思ってないから、もともと。もうそこに行ったら楽しいと思っとるから。「こうやってもらわないと困る」とか、そういうのは全然ないですよ。もうそこにおれればいい。克也さんが気持ちよく歌えるように……気を使うからね、克也さんね。
鈴木そうなんだよね。
鮎川もう好き勝手やってくれれば、全然ついて行きます。だって克也さんがまたね、ナンバーワン・バンドで復活ってこと自体がすごいよ。しかも、この日に78歳ですよ?78回転だよ?
小林・鈴木(笑)。
鮎川SPレコードの時代よ。象徴的な数字ですよ、78っていうのは。その歳でまたやってくれるというのはね。
──確かに、克也さんと同年代のミュージシャンのライブ、自分は観たことあったっけ?って考えたら、ポール・マッカートニーぐらいしか浮かばないんですよね。
小林ああ、ポールはひとつ下ですね。
鮎川(笑)下か!
鈴木そうだ、克也さん1941年生まれですよね、私と10歳違うんで。1941年生まれっていったら誰ですかね…………(ボブ・)ディランですね。
小林あ、そうそう、ボブ・ディラン、1941年だね。でもさ、慶一さんも、ずっとこの調子で、死ぬまでやってるでしょ?
鈴木うん。
小林ねえ?で、この人(鮎川)は、訊かなくてもそうだし。
鮎川うん。
小林そういうことだと思いますよ。誰かが「やめなさい!」って言うまでやってる。
鈴木でも、「それ、前と同じ曲だからやめなさい」とかあるかもね(笑)。「前と同じ曲、作ってますよ」って。
鮎川でも、チャック・ベリーも、日本に来た時、ギターを弾き出してから曲を考えよったんよね。それで「あ、またこの曲やっちゃった」みたいなさ。そうなるよ。それでいいんだよ(笑)。