
今年結成30周年を迎えたUNCHAIN。メロディック/ハードコアシーンにいながらいち早くソウルやファンクのエッセンスを取り入れ、独自の音楽性を築いた彼らは実のところアルバム毎に新たなアプローチを繰り返している。そこで今回は大まかに10年区切りで記憶に残る出来事をピックアップしてインタビューを実施。結成当時の中学生時代から怒濤の制作に追われたメジャー時代、そして独立後から近年に至るトピックを振り返りつつ、アニバーサリーライブの展望まで大いに話してもらった。
──結成30周年を機に大まかに10年括りで記憶に残っていることや転機になった作品などについてお伺いしたいと思います。まず最初の10年というと1996年から2006年ですね。
谷川正憲(Vo/Gt)インディーズデビューが2005年だったんで、下積み時代みたいな感じになるんですかね。
──UNCHAINはブラックミュージックの影響を受けた音楽性で認識してる人が多いと思うんですが、結成当時はどんな感じだったんですか?
谷川当時中学2年生だったので、その時学校で流行ってたような音楽を3人でまずコピーして。最初はバンドあるあるだと思うんですけどブルーハーツとLUNA SEAをひとつのライブでやるみたいな感じの。
谷浩彰(Ba/cho)ハイスタとかね。
谷川ハイスタは高校生になってからなんですけど。今でも覚えてるんですけど一番最初のライブが地元の公民館の練習室ってところで、今のこの部屋よりも狭い場所で。そこに当時PAさんの概念ももちろんなくて。家からアンプとか持ってきて。マイクも安いマイクをアンプに直接繋げて音出すみたいなライブを初めてやったと思うんですけど、その時に僕、吉田にステージに上る直前に「ちょっとやばいもう怖くなってきた」って弱音を吐露したのを覚えてます。

──その後皆さん音楽系の専門学校に行かれると。そこで今につながる意味でブラックミュージック系の音楽に衝撃を受けたんですか?
谷川ブラックミュージックがルーツってよく言われるんですけど、多分2人はそこまで好きじゃないですね(笑)。
吉田昇吾(Dr)うん。今は好きですけどその当時はそんなに。
谷川僕が歌上手くなりたい欲がすごく強くて、で、専門学校行ったんですけど、あえてボーカル科みたいなところに行かなかったんですよ。教えられたら歌を嫌いになるかもしれないっていう理由でギターの専門科に行ったんですけど、それぐらい歌が好きだったんですね。当時はスティーヴィー・ワンダー聴いて「すげえな」と思ってそこから掘るようになったというか。
──谷さんと吉田さんはピンときてなかった?
谷そうですね。だけどブルースは好きだったんで、ブルースの授業でスリーコードでやってるとなんかロックっぽいなと思って、そこから惹かれていった部分はありました。
吉田正直今も別にピンと来てないかもしれないです(笑)。普通に聴きますけど、やっぱ好きなのはもうちょっとロックっぽいやつですね。
──それがUNCHAINのバランスなんでしょうね。
谷川実はみんなバラバラで、そうなっちゃったのがUNCHAINだと思ってて。あの当時は僕がもちろん作曲もしてたんで、なんでもっとブラックにしてくれないんだ?って思ったりもしてたんですけど、してくれなかったからこそUNCHAINができたんだなって今は思いますし、だから融合ですよね。それぞれの個性の融合でたまたまなっちゃったものみたいなのがたまたまあんまりいなかった、そういうことだったんだと思います。
──実際に曲として形にするのは大変じゃなかったですか?
谷川その時は好きだったバンドのコピーをするほうが楽しくてあんまりオリジナルをやってなかったような気もする。「You Over You」っていうデビュー曲みたいな曲があるんですけど、あの曲ができてちょっとだけ方向性が「なんかこういう感じのが、もしかしたら僕らはいいのかな」と思えた気がします。
──2005年のインディーズデビューというのはやはり大きかったですか?
谷川そうですね。大げさですけど人生変わった感はあったかもしれないですね。初めて全国ツアーとか行かせてもらったりとかして。
谷1枚目の『the space of the sense』出した時に当時帯を書いてもらうっていう文化があったんですけど、それをTAKUMAさん(10-FEET)に書いてもらったのがすごいよかったなというかいい記憶です。
──次の10年に行ってみましょうか。この10年にはメジャーデビューもありますね。
谷川そうですね。もう毎年のようにリリースしてて、特にメジャーに行って最初の頃は正直曲作ることが苦しかったですね。(苦笑)
──なんたって2007年に1stミニアルバム『departure』が出て翌年にはもうフルアルバムが出てますし。
谷川毎年アルバムを作って、で、カバーアルバムも作ったりしてたので年に2枚アルバム作るみたいなペースでずっとやってて。まだ最初は大阪に住んでてレコーディングとかアルバム作るために東京にウィークリーマンション借りてて、その時は体力的にもしんどかったですね。
──その頃の楽曲に対する意識の変化という意味ではどうですか?
谷川その時は正直がむしゃらで期待に応えられるかどうかで必死だった覚えがあります。もう何が正解なのかどれが自分なのかもよくわかってなかったような気も今思えばしますけどね。とりあえずいいもの作んないといけないし必死になってとにかくやる、みたいな。
──UNCHAINってアルバムごとにトーンがソリッドな時と割とグルーヴに寄ってる時があると思うんですけど、2011年のアルバム『SUNDOGS』は今聴いても日本のバンドがやるミクスチャーという感じがしてカッコよくて。当時はどんな状況でしたか?
谷川『SUNDOGS』の頃はそれこそメジャーから一度独立した時期で。その前はスタッフさんと曲を細かいとこまでやり取りしながら作っていたんですけど、『SUNDOGS』は自分たちの力でどれだけできるかみたいなところがありましたね。あとプロデューサーの名村さんと一緒にその辺を話し合いながらやるようになって環境が全然変わったタイミングだったので、自分たちのカラーや個性が出た感じはあるかもしれないですね。僕も今聴き返すと、『SUNDOGS』一番おもろいなって思えるかもしれないです。
谷UNCHAINのなかでは一番はみ出してるかもしれない(笑)。まっさん(谷川)が書く歌詞が振り切ってて、それを今聴き返すとすごいフックになってて。例えば「太陽とイーリス」はグッとくるところもあるし、「少女ジレンマ」みたいなちょっと悪ふざけじゃないけど自由さが出てる曲もあったりして、そういうのが今のUNCHAINにも合ってる気がします。
谷川このあいだファン投票のライブやったんですけど、1位がその時期の曲だったんですよ。『SUNDOGS』の曲も結構入ってたのが意外でした。
谷「スタイル・ミサイル」とかもね。
──そしてカバーにも着手するようになりましたが、その頃のバンドのモードはどうでしたか?
谷川どうだったんだろう…最初はあんまり…やりたくなかった気がする(笑)。最初はオリジナルアルバムの宣伝のために先行してカバーを3ヶ月連続で出してその後にアルバムを出すことになって。
谷配信限定で最初はやったんですけど、そしたら「丸の内サディスティック」が話題になって「アルバム作ってみる?」って話になった記憶があります。で、『Love &Groove Delivery』の1枚目出して反応良くて、また2枚目行く?みたいなノリだった気がします。結局カバーだけでツアーも回ってましたから、その頃には抵抗もなく(笑)。
──オリジナルのツアーとは違うモードで?
谷川そうですね。違うモードで楽しめたらいいなぐらいの感じでやってたかもしれないですね。普通に勉強になりますしね。
──吉田さんはこの10年で記憶に残っていることといえば?
吉田いろんなことにずっと追われてた気がします。今の精神状態でその時だったらよかったなと思います(笑)。
──その頃は何が見えない感じだったんですか?
谷川インディーズの時と比べるとだんだん見えてきてたんでしょうけどね。30代後半からやけに落ち着いてきたと自分でも思うんですけど、当時はとにかく落ち着いてなかったなって思うんですよね。ライブの一つ一つの運び方にしても言動にしても(笑)。だからこそ今があるという考えもあるんですけどね。
──その時に死に物狂いで曲を作っていた蓄積が?
谷川それはもう絶対あると思いますね。
──これはここの10年とずれるんですけど『SUNDOGS』の振り切れた感じと去年リリースの最新作『RayN』に近い印象を個人的には持ちまして。
谷川どうなんですかね?やっぱ3人になってから落ち着かない部分がずっと続いてて、佐藤君が抜ける前と同じことをやっててもダメだなというか、違うバンドみたいにならないとダメなのかなってずっと思ってて。同じことやってると佐藤が抜けた分の穴が空いちゃうだけ、完成体だったものがちょっと削れちゃってるだけ、そういう感じになる気がしたんで。とは言えその穴を埋めるようなことをしてもただ真似事をしているだけみたいになりそうだし、3人は3人でしかできないものがあるんじゃないか?というのを探してた5年間だったかもしれないですね。










