SCAFULL KINGとRiddim Saunterが、2026年7月4日渋谷Spotify O-EASTの『Never Ending Homies』で対バンする。BRAHMANの30周年フェス『尽未来祭2025』の初日(幕張メッセ国際展示場9~11ホール、11月22日)への出演から1年間限定で再結成し、5曲の新曲もリリース。そして4月11日下北沢SHELTERからツアー『Seasons of Love Tour 2026』をスタートした、Riddim Saunterの田中啓史(Vo)・古川太一(Dr)・佐藤寛(Gt)と、最初に彼らを世に出した存在であるSCAFULL KING/FRONTIER BACKYARDのTGMX(Vo&Tp/ Vo&Syn)に、このたびの共演やそもそもの出会いなどについて、大いに話してもらった。
──今回のこの対バンは、どのように決まったんですか?
TGMXこのイベントは、(双方と関わり深い)diskunionの山口(Niw! Recordsを当時担当)が、何年もやっているんですけど、「この2組でやりませんか」って。これで誘われなかったら対バンなかったかもしれないよね。Riddim Saunterが動き出すっていうのがまずうれしかったので、対バンまでは想像していなかったです。近い存在すぎて。
SCAFULL KINGとRiddim Saunterの接点
──最初の接点って、いつのどこになるんですか?
TGMXやっぱりあれ、BACK DROP BOMBのタカ(白川貴善)との鼎談でも話してたけど(https://spice.eplus.jp/articles/343971)、そのタカと会った時に、俺も一緒にいたんじゃないかな。
──ああ、太一さんがDC/PRGのローディーでフジロックに行った時、深夜に「オアシス エリア」で飲んでいるタカさんに話しかけたっていう。
古川太一そうです、そうです。
TGMXその時、ミックスCDをもらった。あれが最初だと思う。
田中啓史僕はそのフジロックは行ってなかったので、初めて田上さん(TGMX)とちゃんとしゃべったのは、高田馬場CLUB PHASEの僕らのライブに、田上さんとタダアキさん(福田"TDC"忠章)とKENZIさん(KENZI MASUBUCHI)が来てくれたときです。もうライブ始まってて、歌ってる時に3人が入って来て。まだ挨拶もちゃんとしたことなかったけど、シルエットですぐわかりました(笑)。
TGMX当時、モジャモジャの頭してたんで(笑)。
古川僕ら、そのフジのあと、田上さんたちがいるクラブとかに遊びに行って、「ライブを観に来てください」って誘っていて。ほんとに来てくれると思わなかったんですけど。
田中田上さんがいる場所には、よく行ってたんですよ、普通におカネ払って。でも、行っても行っても田上さんが全然歌ってくれないイベントで。田上さんたちがサッカーゲームをしてるのを観るとか。
──え? 田上さん、それ、お客さんを入れてやってたんですか?
TGMXまあ、日韓ワールドカップの頃だったので 、そういうイベントが多かったんですよ。(笑)
古川僕らが東京に出たのは2001年で、ちょうどスキャフルが止まったところで。だから、エスカレーター(レコーズ)のイベントとか、チャーベさん(松田“CHABE”岳二)がDJしてる三宿Webとか新宿OTO。田上さんが遊びに来そうなところを狙って、調べて行っていました。僕は、スキャフルの後期、バンドのシーンとエスカレーターレコーズのようなクラブのシーンが、つながってきたところがすごく好きで。その頃の東京で、どういうことが動いてるのかっていうことに、すごく興味があって。
──確かに田上さん、当時のAIR JAM的なパンク・シーンと渋谷系的なシーンをつなげた人ですよね。
TGMXエスカレーターのあの感じがすごい好きで。僕らパンク・バンドのくくりにいましたけど、クラブ系、渋谷系も好きだったんで。
──チャーベくんは田上さんと逆で、渋谷系の方からパンク・シーンに入って行った感じでしたよね。
TGMXあとあと考えると、そういうひとつの大きな流れの中にいたというか。で、たまたまリディムのみんなは、どっちも好きでいてくれたので。それで、チャーベくんはチャーベくんで、渋谷系じゃないところでも活動し、後々、CUBISMO GRAFICO FIVE(松田“CHABE”岳二のバンドで、TGMXも参加)っていうバンドにつながっていくんですけど。そういう意味でも変遷期というか、2000年から2002年ぐらいが非常に激動だった気がしますね。











