
作曲家・ピアニストの梁邦彦によるキリスト品川教会でのクリスマスライブ『Holly Piano Night Christmas Special 2025』が、12月19日に開催される。恒例になっているこのライブ、昨年に続いて、今年もピアノソロという形態で行われる予定で、クリスマスシーズンならではの楽しさや華やかさとともに、厳かな要素もあるバラエティーに富んだコンサートが予想される。年末のライブということで、彼のこの1年間の多彩な音楽活動の成果も反映されそうだ。浜田省吾との35年の時を超えた楽曲制作への参加、大阪万博・APEC関連の音楽担当など、多彩な活動の振り返りから、クリスマスコンサートのことまで、話を聞いた。
──2025年の活動の振り返りからうかがいます。例年そうですが、今年もとても自在な活動を展開されました。
よく言えば、“自由自在”ですけど、自分では止めどがないなと思っています(笑)。
──AKIHIDEさんとの初共演が実現した『Moon Sketch -first moon-』もそうですが、さまざまな出会いが梁さんの新たな創造に繋がっているのだなと感じています。
出会いは、自分にとって音楽を作る大きな源になっています。いろいろな人たちとの思いが入り交じって生まれる場の中で、いろんなことが動いたり始まったりします。
──過去との出会いとも言えるのが、浜田省吾さんのニューシングル「Period of Blue 1990」での制作への参加です。梁さんが35年前関わっていた浜田さん曲のデモテイクが発掘されて、梁さんが新たに編曲と演奏をされました。その経緯を教えてください。
浜田さんチームが2024年9月から開催されたファンクラブツアー『FAN FUN FAN』の準備中、セットリストの中心となる90年代初期のアルバム『誰がために鐘は鳴る』と『その永遠の1秒に』の音源の確認をしていて、未発表曲の「Period of Blue 1990」のデモトラックを見つけたことがきっかけです。そのアルバム2枚は僕が編曲サウンドプロデュースをしたので、そのデモトラックは「梁がピアノ弾いたんじゃないか?」と制作スタッフから連絡が来ました。でも記憶がまったくなかったので、自信を持って「僕じゃありません」と否定しました。当時は、浜田さんのツアーとアルバム制作で余裕がまったくなかったので、録音中にデモを作った記憶は全く欠落してたのだと思います。その後当時のデモ音源が送られてきて聴いた瞬間、“あっ、このピアノは俺だ”と(笑)。
──発掘された曲「Period of Blue」をリメイクすることになった流れは?
発掘されたのはデモ音源の状態でしたが、歌詞も完成していて、浜田さんの歌(サビのコーラスはなし)は出来上がっていたんです。その歌の完成度が高く、鮮度も高かったので、当時のボーカルを活かし作り直して新たに発表しようというプロジェクトが立ち上がりました。それで当時、サウンドプロデュースを手がけた僕が、改めて編曲を担当することになりました。
──「Period of Blue」の<どこで終止符を打つのか>という歌詞ともシンクロしますし、音楽のミラクルだなと感じました。
そう思います。僕の長い音楽人生の中でも初めてのことです。“こんなことって起こるんだな”と思いながら制作しました。
──制作はどのような流れで進行したのですか?
久しぶりに浜田さんとやり取りしながら、進めていきました。今回の過程でこの曲どうしようかという迷いはありませんでした。というのは、元からある歌と歌詞が強烈な引力を持っており、余計なこと考えずその引力に導かれるまま作ることができました。
──というと?
僕の自宅スタジオ(軽井沢山中)に籠って作業しましたが、既に完成していてる歌に導かれるように作業が進みました。その過程で、あまりにも切なく響く歌に何度も涙しながら。この曲に関しては、2つのバージョンを作ったんです。最初に編成中規模の弦&バンドバージョン。その後時間的に少し余裕あったのでピアノと弦のバージョンも作ってみたところ、最終的にそれがボーカルのシングルバージョンになり、もう一つの中規模弦&バンドバージョンは制作途中のものが、『FAN FUN FAN』ツアーの終演後のBGMとしてインストバージョンで会場で流れましたが、後日本格的なレコーディング時にこっちもいいのでインストバージョンにして収録しようという話になりました。
──シングルを完成させたのはいつ頃ですか?
シングルに関しては、「2025年の夏にリリースしたい」と4月頃にスタッフから連絡をいただいて、そこから本格的な制作に入りました。ここでも偶然の出会いがあって、浜田さんのディレクターの方が、僕がいつも一緒にやるギタリスト押尾コータローさんのディレクターでもあったんです。シングルの作業進める中で、当初ピアノと弦の予定だったものに、押尾さんのアコギが入ると新鮮なカラーが加わって更に良くなるんじゃないかとひらめき、結果ピアノ、アコギ、弦カルテットの編成になりました。
──37歳の浜田さんの歌声に72歳の浜田さんのコーラスが入っているところも、素晴らしいです。浜田さんのボーカルについて、改めて感じたことはありますか?
37歳の浜田さんの声は当然若いですが、並外れた説得力があるんです。あの歌声で<ファクシミリの音だけが響く>という当時を描写した歌詞が出てくると、瞬時に1990年のあの頃に引き戻されるし、心の深いところに自然に入り込んでくるすごさ、さすが浜田さんですね。
──現在の声でコーラスを入れるアイディアは?
浜田さん自ら「コーラス入れるよ」と連絡あり、録音後「37歳の自分の声に72歳の自分の声を重ねるのは幸せなこと」とメッセージを送ってくれました。
──タイトルは「Period of Blue 1990」ですが、“まだ青の時代にピリオドは打たれていない”という解釈もできそうです。
当然ながら浜田さんの作品は、歌詞が深いです。ピリオドという言葉をめぐっていろんな解釈があるし、ピリオドには期間という意味もあるし、タイトルからして様々な連想をさせてくれる曲ですね。
──1990年に作った曲を35年経って、こうして新たな作品として完成させてみての感想は?
当時の記憶はありませんでしたが、デモを聴いた瞬間あの頃の自分、浜田さん、ツアーメンバーとともに懸命に音楽をやっていた頃に瞬間移動し、35年経った今、また成熟した形で思いを蘇らせることができる、まさに音楽の力を感じます。








