──木下さんの表現したいことや惹かれるものは長年一貫していますが、なぜそこにぶれが生じないのでしょう?
もともとアンビバレンツなものにずっと惹かれていて。矛盾を孕んでいる表現や音楽、映画にすごく愛おしさを感じるんですよね。「殺人は犯罪だ」と言っているのに戦争をしていたり、人間は矛盾だらけの生き物なんだけれども、どうしてもそこに愛おしさや希望を感じざるを得ない。それが人間のあるべき姿だと思う。
──矛盾を孕んでいることが人間にとって自然で、嘘のない姿であると。
人間は矛盾した気持ちをいくつも持っている存在で、それが本質なんじゃないかと僕は思っているんですよね。だからそういう表現にすごく惹かれるし、矛盾を孕んだ作品は名盤や名作が多くて。それによって自分の心が救われてきたし、そういう表現をしたいという欲求が僕にとっての始まりだから、それが一貫しているんだと思う。陰影がない世界なんてないと思うんですよ。
──そうですね。
光だけの人生なんて絶対ないし、影がないと自分自身がリアルに感じられない。初めてMy Bloody Valentineの『Loveless』を聴いたとき、先鋭的で聴いたことがないと思ったと同時に、懐かしい感覚もあったりして。初めて聴くのに聴いたことがあるような気がする音楽に深みを感じますね。
──近年のART-SCHOOLの作品、特に『1985』や『luminous』には瑞々しさが増している印象があります。これは“変わらない”だけでは成し遂げられないと思っていて。
過去の曲の焼き増しみたいに聴こえる曲は全部ボツにしてるし、新鮮に聴こえる楽曲や歌い方にするようにしてて。その鮮度を保つ方法は難しいけれど……作っている楽曲に自分がどれだけ没頭できているかだと思うんですよね。その没頭度が深ければ鮮度は保たれると思っていて、『1985』の歌詞はトランス状態で書いていて。僕はごはんを食べると声が出なくなっちゃうから、午前中から夜10時ぐらいまで何も食べずにレコーディングをする日が何日間も続いたけど、お腹も減らないですよね。没頭していて無我夢中だから。
──その集中力と原動力はどこから?
とにかく「この作品を絶対いいものにするぞ」という思いしかないよね。それまでもそういう気持ちで作ってきたけど、復帰して以降は特に、その時点での自分の全部を捧げるような覚悟がないと作品作りはできないですね。休養中に「バンドが解散することになっても、“自分はこの作品にすべてを捧げられたから悔いがない”と思えるかどうかが大事だな」と考えていて。もしバンドに戻れるならばそういう熱量でしか作品は作らないでおこうと思ったし、そういう熱量を持って作品を作れないなら最初から作らない。
──それだけ純度の高い熱量から生まれた楽曲群であると。
長く続けていると、自分の作っている音楽にもなかなか興奮しなくなってくる。だからいかに楽曲に対して高い熱量を刻めるかだと思うんですよね。今でも自分の作っているものにそれだけ興奮できるのはすごくうれしいことでもあるね。さすがにART-SCHOOLを組んだときは、このバンドを25年続けてるとは思わなかったけど。
──「もう終わらそう」と思ったことは?
何度でもありますよ。体調を壊して大阪の実家に戻っているときは、あれだけ好きだった音楽も一切聴きたくなかった。でも半年過ぎたくらいの頃に、ロックでもBibioみたいなちょっと優しい、柔らかい音楽を聴くようになったんだよね。こういう聴き方、鳴らし方があるんだなと思ったところからまた音楽を聴くようになって。それでやっぱり自分は音楽が好きだなと思ったし……やっぱりどれだけ好きかっていうことかな。好きじゃないと続かないと思いますね。