──そうやって、まず富士急での<JUST LIKE THIS 2023>開催を決めて。そうなったら、ボーカルを探すしかないですものね。
KENTAそうです、そうです。富士急が決まったからいろんなものがその後動き出しまして。
──ボーカルオーディションを経て、決まったのがYOSUKEさん。
KENTAはい! 出来レースにみられがちなんですけど、違います。マジでこのときまでボーカルはいなかったんで。
MOMIKEN1年後の日程が決まってたんで、これは新しい子を探さないと無理だってなって。
UZ周りからもいろいろな提案はあったけど。どれもピンとこなくて。で「この子かっけーな」って子はすでにバンドやってたりで、なかなか難しくて。これはオーディションやって真新しい子を探すしかないなっていうことになりました。
──YOSUKEさんはなぜオーディションに応募しようと思ったのですか?
YOSUKE僕は去年の2月まで福岡でバンドをやってて。それが解散して、ソロで細々と活動してたなか。ちょうど去年の7~8月ぐらいかな。「俺はなんで音楽やってんだろう?」みたいな感じで、モチベーションが下ってるのか横にいってるのか斜めにいってるのか。
──こちらもフワフワした状況だったと。
YOSUKEはい(微笑)。そのときに、いま流行ってるサウンドとかに縛られずに自分がアガる音楽を聴こうと思って、YouTubeで自分が中学生の頃によく聴いてた曲を流してたんです。僕はSPYAIRの「0 GAME」を当時好きだったので、それを久々に聴いて「やっぱカッコいいな」、「バンドのボーカル、もう1回やりたいな」と頭の片隅で思ってたら、下にYouTubeチャンネルで3人の“スパイエアー、ボーカル探してます。”っていうのが出てきて。
「そういえばIKEさん辞めたんだ」と思って。僕はその時点では(今後SPYAIRは)活動しないんだろうなと思ってたから、そのボーカルを探してるというのを見つけたときは驚いて。そこから動画がアップされるたびにチャンネルをチェックしてたら、オーディションを開催するってなったんですね。それで「もしかしたらワンチャンあるかも 」と思って応募に至りました。
「そういえばIKEさん辞めたんだ」と思って。僕はその時点では(今後SPYAIRは)活動しないんだろうなと思ってたから、そのボーカルを探してるというのを見つけたときは驚いて。そこから動画がアップされるたびにチャンネルをチェックしてたら、オーディションを開催するってなったんですね。それで「もしかしたらワンチャンあるかも 」と思って応募に至りました。
──ソロの動画を拝見しましたけど、YOSUKEさんは自分で曲作ってアレンジしてトラックを作って歌ってというのが、1人でできてしまうマルチプレーヤーじゃないですか。
YOSUKEでも、それだとなんか違うんですよ(苦笑)。全部1人で完結してると、正解なのか不正解なのか。「本当にこれでカッコイイのかな」って途中で分からなくなってくることが多くて。そういうのがありつつ、ライブも2~3回ソロで演ったんですが、そこでも「違うなぁ」と感じてしまって。
──なるほど。ソロ向きではなかった訳ですね。そもそもYOSUKEさんはなぜ歌いだしたのですか?
YOSUKE歌いだしたのは高校生のときなんですけど。俺は小学校の頃からギターを弾いてたんですよ。それで、高校1年の文化祭でギター&コーラスをやってたとき、たまたまボーカルがキーが高くて歌えないところを適当に歌ってたら、それを見てた2つ上の先輩に「今度卒業ライブやるから歌って欲しいんだけど」っていわれて。そこから歌い出したんです。だから、自分の意思で「歌いたい」と思ってやりだした訳ではないんですよ。
──でも、その先輩に誘われて歌ってみたら。
YOSUKE「あ、俺歌えるんだ!」と思って。そこからですね。歌をやりだしたのは。
──ちなみに、先輩の卒業ライブでは何を歌ったんでしょうか。
YOSUKEONE OK ROCKさんの曲を。
──想像通りの回答でしたね(微笑)。
KENTAだって、世代がそうだもんね。
UZ何曲歌ったの?
YOSUKE7~8曲。
MOMIKENいきなりすげー歌ってる(笑)。
UZ「完全感覚Dreamer」辺りの曲とか?
YOSUKEいや、もっと後ですね。高校生のときに『35xxxv』が出たんで。
KENTAうわー、そっかそっか。ジェネレーションギャップが。
MOMIKENすごいわ(笑)。
──過ごした青春時代が。
KENTA俺らよりひと回り以上下だから(笑)。
YOSUKE面白いですよね。
──それで、ワンチャンを期待してオーディションに応募して。絶対俺は合格してやるという自信はあったのですか?
YOSUKE受かるまでなかったです。自信はあったけど、俺が求められているボーカリストかどうかは分からないから。
UZ、MOMIKEN、KENTAたしかに。
YOSUKEだから、変に期待を持たないようにしてました。本当にダメだったとき、すごく落ち込んじゃうと思ったんで。でも、そのときの自分は音楽自体、今後続けるのか辞めるか分からなかったんで、これが1つの区切りの勝負だという気持ちで、全力で自分はどこまでやれるのかを試していったんです。そうしたら1次審査、2次審査とやっていくたびにどんどん楽しくなって。バンドで音を鳴らしてる瞬間が。本当にいい経験をさせてもらったなと思うと同時に、受かったらいいな・・・というメンタリティーで審査を受けに行ってました。
KENTA4次審査まであったからね。そのたびに毎回福岡から東京まで来てくれて。
──オーディションを開催して、YOSUKEさんにしようと思った決め手はなんだったのですか?
KENTAいい声だなというのはもちろんあったんだけど。俺は、彼がやってるSNSを見てですね。バンドが解散したときに書いたコメントとかで。
UZいまっぽいでしょ? 採用の仕方が(笑)。
KENTAそのコメントから、音楽にしがみついてる感じとかバンドやりたい感がすごく感じられて。
──そういうところが響いてしまうのが、じつにSPYAIRらしくていいですね。
KENTAなによりも音楽をやりたい、歌いたいっていう気持ちが。そういうものが俺は一番必要だなと思ってたから。コメントから音楽に真面目に向き合ってることも伝わってきたから、俺はそこがグッときたところかな。
MOMIKEN俺は一番最初に声質がいいなと思って。そこから、この子はどういう子かなとSNSを見て。そこにはライブの映像も上がってたんですよね。バンドで歌ってる姿を見ると、想像しやすいんですよ。こういうパフォーマンスをするんだというのがなんとなく見えるから。彼以外にも歌い手さんとか、音楽的に歌が上手い人はいたんですけど。そういう人はバンドを想像させるというよりも、1人でやってる姿が想像できちゃって。そのなかで、YOSUKEはバンドの匂いがあったんですよ。それがあったのが決め手でしたね。
UZそのときの自分のメンタル的には、ここでボーカルを決めるのか、それとも選ばないで活動を止めて解散するのか、どうしたいのかをまだ考えてました。ボーカルを選ばないなら、なんとか富士急だけでも実現させて、その後SPYAIRを解散させるというのも、俺は1つのバンドのゴールとしてあるかもなと思ってて。
──そんなシナリオも考えていたんですか?
KENTA全然ありました。話してたし。
UZだけど、崖っぷちになって「バンドやりたい」っていうのが自分のなかにあったんで続けようと決めて。