ブルージーなことを言いたくなかった
──そこをどうやって抜け出したんですか。
あの、まず『愛にしたわ。』からレコーディングしたんですけど。コード進行のチェックとかは打ち込みで作って、そこから先は──。
──あ、そうか、一回打ち込みでアレンジを作ってから、それを全部のパート、自分で生演奏して置き換えていくんですね。
そうそう。
──それはめんどくさい(笑)。『金字塔』の頃は、そんなことしてないだろうし。
そうです、いきなり生だったから。でも、今はそうしないと、確実なリフとか作れないなと思って。で、どうしようか迷ってた2ヵ月間を抜けて……っていうか、進行的に、もうやらないと間に合わないから、とりあえず1曲録ろうっていうことになって。曲は「愛にしたわ。」で、ドラムから録ろうとしたら、最初に叩いたスネアの一発目で腕をくじいちゃったっていう(笑)。でもそれで、逆にメラメラしてきちゃって、「もう絶対やってやる!」みたいな感じになって。それがきっかけでしたね。そういうアスリートな感覚だったんじゃないかな、今回は。真夏に大汗かきながら、素っ裸でドラム叩いてましたしね。
それで、やっていくうちに、だんだん作業効率も上がっていって。生活の中にレコーディングが入ってるから、朝起きて、下町にメシ食いに行って、愛犬のゴンの散歩を1時間ぐらいして、帰って来てセッティングとかをして、15時ぐらいから20時ぐらいまでひたすら演奏し続けるっていう、それを毎日。で、毎日だから、毎日エンジニアさんに入ってもらうわけにもいかないじゃないですか。だから妻にやってもらって。
それで、やっていくうちに、だんだん作業効率も上がっていって。生活の中にレコーディングが入ってるから、朝起きて、下町にメシ食いに行って、愛犬のゴンの散歩を1時間ぐらいして、帰って来てセッティングとかをして、15時ぐらいから20時ぐらいまでひたすら演奏し続けるっていう、それを毎日。で、毎日だから、毎日エンジニアさんに入ってもらうわけにもいかないじゃないですか。だから妻にやってもらって。
──それで途中から「あ、これ、形になるかも」って思えてきたんですか?
そうですね。5曲目、6曲目って作って、そうすると妻も、プロトゥールスの使い方とか、すっかり早くなって(笑)。それと同時に僕の演奏技術も上がっていって。という感じでしたね。で、なんとか声の方も復活して、歌入れできるぐらいにはなって。
──これより下はない、あとは上がるだけだ、みたいなのがあったんですね。
ありました、ありました。
──確かに『金字塔』と近いアルバムなんですけど、ただ、全体に、何か明るいんですよね。それは、これより下がなかったからだったんですね。
なかったですね。何かもう、躁も鬱もないというか、そうなると。もうビョーン!と行くだけ、というか。だから、逆にその、ブルージーなことを言いたくなかったっていうか。「そんなこと言ったってしょうがねえし」みたいな。
「叶しみの道」の歌詞でも言ってますけど。「車窓の向こうを流れていく光景。車窓の向こうを置いていく生命。ただ、どうしたって、この道とは、進むだけだ。」って。そういう感じでしたね。あの3行は、あの時期を物語ってるような気がします。
「叶しみの道」の歌詞でも言ってますけど。「車窓の向こうを流れていく光景。車窓の向こうを置いていく生命。ただ、どうしたって、この道とは、進むだけだ。」って。そういう感じでしたね。あの3行は、あの時期を物語ってるような気がします。
──「イロトーリドーリ」の「子の希望の『望』を守りたい」というのも、「魂の本」(1998年:中村一義 - 「魂の本」)とリンクしていますよね。「ただ僕等は絶望の“望”を信じる。」と。
そうです、そうです。
──「今の中村一義はこうなんです」という曲になっているというか。
そうですね。デビュー当時の僕だったら、「守りたい」とかは、決して言わないと思うし。だからやっぱり、それぞれの言う時ってあるな、それが今なんだろうなと思って、言った、っていう感じですね。あと、当時はアンチポーズが主流だったけど、今はもっと、はっきり言ってあげないとわかんないじゃないですか?鎧とか剣を持って言っても、あんまり通じないっていうか。だから、ちゃんと素直に、思ったことは言った方がいいかなって。
──「それでいいのだ!」の曲の構造が、「犬と猫」(1997年/デビュー・シングル:中村一義 - 「犬と猫」)と近かったりするのも、あえてですよね。
そうです。22年間聴いてくれてる人に、あの時と今の違いを、「犬と猫」と「それでいいのだ!」の違いで知ってほしかったし。あと、ジョン(・レノン)の「STARTING OVER」的な意味合いもあるし。両方ですよね。
(※「STARTING OVER」:1980年発表の遺作『Double Fantasy』の1曲目。5年ぶりに音楽活動を再開した作品だった)
(※「STARTING OVER」:1980年発表の遺作『Double Fantasy』の1曲目。5年ぶりに音楽活動を再開した作品だった)
──ああ、なるほどね。
だから、聴くと、ちょっと耳が痛い部分もあるだろうし。「ああ、同じ時代を生きてきたんだなあ」という気持ちもあるだろうし。
──ちなみに病気は、今はもう完治?
もうちょっとですね。でも、偶然、今日ちょっとまたよくなりましたね。
──(笑)1日単位でわかるもの?
そうなんですよ。あるんですよ、そういうリズムっていうか、サイクルっていうか。だから、あとちょっとだと思います。
『金字塔』は生まれてからの20年間、『十』は43年間がパッケージングされてる
──12月20日のライブは、バンド編成では去年唯一のワンマンライブでしたよね。
はい。まあ、あれは、はじめから決まっていて。「このぐらいの時期にはよくなってるんじゃないかな」って、ブッキングしてくれたんだと思うんですけど(笑)。でも、そのとおり、あのライブはできるくらい、回復はしたので。
──やってみて、感触はいかがでした?
やっぱり、自分ひとりで楽器を演奏して、録っていて……ほんとは海賊メンバーにやってもらったりもしたかったんですけど、『十』ってコンセプトだし……『金字塔』って、僕が生まれてからの20年間がパッケージされていて。で、『十』は、『金字塔』から23年っていうものがあるから、43年間がパッケージングされるんだ、っていう時に、「『金字塔』の時、なぜひとりで作ったかをよく考えろ、一義」と(笑)。そういう時ってあるんだと、20年に一回ぐらい。で、「ひとりでやるしかねえ」って作って、それが完成して、あのライブでメンバーとその曲を演奏できたのが、何よりうれしかったですね。やっとみんなに曲を届けられた、演奏できるんだ、ようやくだよ!みたいな。
──で、年が明けて、このアルバムのリリースがあって、まずアコースティック・ツアーをやって、そのあとバンドでのツアーが。
まずアコースティック・ツアーで、たぶん『十』の曲、ほぼやると思うんですけど。だからいきなりバージョンが違うんですよね、音源と(笑)。三井(律郎)くんのギターはほんとにすばらしいので、彼のギターの体温と僕の歌が掛け合わさって、また違うノリが生まれるんじゃないかなと思うんですけど。
で、バンドの方は……これは、ひとりで作ったけど、みんなで演奏してツアーするために作ったアルバムなので。だからアレンジも、ライブを夢見て作ったというか。バンドのベーシックだけで鳴らしているアルバムなので。
だから、バンドでのライブは、いちばん楽しみですよね。メンバーには、「デモテープ、作っといたよ」って『十』を渡そうかなと思って(笑)。
で、バンドの方は……これは、ひとりで作ったけど、みんなで演奏してツアーするために作ったアルバムなので。だからアレンジも、ライブを夢見て作ったというか。バンドのベーシックだけで鳴らしているアルバムなので。
だから、バンドでのライブは、いちばん楽しみですよね。メンバーには、「デモテープ、作っといたよ」って『十』を渡そうかなと思って(笑)。
PRESENT
アルバム「十」の直筆サイン入りポスターを1名様に!
※転載禁止
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