──30周年ツアーはどういう経緯で決定したのですか?
30周年の間にステージに立ちたいと思っていたので、2018年の終わりくらいからリハーサルとリハビリを兼ねて、月1~2回くらいのペースでスタジオに入っていたんですよ。先々月よりは先月、先月よりは今月という感じで着実に良くなってきていたので、これは大丈夫だなと思えたこともあり、メンバー間で話し合って、30周年だし、ツアーをやりたいよね、だったらスケジュールを押さえないとねってことになり、決断しました。
──30周年という歳月、どう感じていますか?
ファンの人たちとスタッフのおかげですよね。LINDBERGにはなぜか節目節目で助けてくれる人たちがいてくれるんですよ。糸が切れても結んでくれる、糸がねじれてもほどいてくれる、みたいな。おもしろいですよね。ずっと安定して活動しているバンドじゃないんですけど、どこかで繋がっている感覚があります。メンバーもそれぞれ表し方は違うけれど、LINDBERGへの愛情を持っていて、運命共同体みたいなところがあるから、今も繋がっていられるんだと思います。
──30年ってかなり長い期間ではありますが、1989年のデビュー当時、どんな気持ちだったか、覚えていますか?
アイドル時代を経てのバンドだったので、初めてメンバーと会った瞬間から、“なんやろ、この居心地の良さは!”という感覚がありました。当時、19、20歳でしたけど、不思議な縁を感じましたし、私にとってはメンバーが救世主的な存在でした。歌手になりたいと思って東京に出てきたけれど、思い通りにいかない日々が続いていて。違うとわかっているけれど、どうしていいかわからず、悶々としていたんですが、LINDBERGに入った時から、自分で歌詞を書いて、メロディがついて、自分で歌うことの素晴らしさを感じました。これが私のやりたいことだったんだ、やっと出会えたって。デビューした時から才能のあるスタッフの人たちに恵まれていたから、LINDBERGというバンドはいろんな人の力を吸収しながら、ガラガラッと回ってきたという実感があります。
──平川さん、川添さん、小柳さんという3人のメロディーメーカーがほぼ均等に作曲して、渡瀬さんが作詞するというスタイルも独特ですよね。
珍しいかもしれないですね。三人三様、まったく違う曲を書いてくるから、ホントにおもしろいんですよ。トモちゃん(川添智久)にはトモちゃん節があるし、CHERRY(小柳昌法)にはCHERRY節があるし、達也(平川達也)にも達也節がある。それがまとまって、アルバムになると、いろんなエキスが入った、お出汁の出たスープみたいになるんですよ。
──2枚目のシングル「今すぐKiss Me」が大ヒットして、いきなりめまぐるしい展開になったと思うのですが、その当時はどんな感じだったのですか?
「今すぐKiss Me」がドラマの主題歌だったこともあり、LINDBERGというバンドがずっと先に行っちゃって、自分達がそこに追いつけない、みたいな感覚がありました。曲は知ってるけど、LINDBERGって何?みたいな。例えば、ヒットスタジオに出て、「今すぐKiss Me」を歌っていた時でも、トモちゃんもCHERRYも風呂なしのアパートに住んでいたんですよ。だからテレビの生放送の前、テレビ局の近くの銭湯に行ってから本番に入る、みたいな。初めて渋谷公会堂でライブをやる時も、トモちゃんは渋谷まで来る電車賃がなくて、部屋に落ちている小銭をかき集めて渋谷までなんとかたどり着き、帰りはスタッフから電車賃を借りて帰る、という感じで、ギャップがしばらくありました。
──自分たちの音楽が多くの人に支持されているという実感は?
その後のツアーくらいから実感が湧いてきました。全国どこに行っても、たくさんの人たちが観に来てくれたから。当時はアンケート用紙が1枚1枚座席にあって、みんなちゃんと書いてくれるので、打ち上げで読むんですが、「勇気をもらいました」「元気をもらいました」という年下の子たちからのメッセージが多くて、えっ、そうなんだって驚きがありました。というのは私自身、全然そういうつもりで書いてなかったから。
──そのことで歌詞を書く意識が変わったりは?
これはいい加減なことは言えないなって、責任感が変わりましたね。そのことは自分の力にもなりましたけれど、時には重荷にもなりました。歌詞の登場人物・イコール・渡瀬マキって思われて、いつも明るくて元気で前向きというイメージをもたれることが耐えられなくなったんです。歌詞を書く時も、前向きの押し売り、みたいなことをしているんじゃないかって、悩みに入った時期がありました。
──その悩みの時期はどうやって乗り越えていったんですか?
自分の気持ちを正直に歌詞に書くことによってですね。ちょうど、「GAMBAらなくちゃね」というシングルの時だったんですが、タイアップが付いていて、先方から“頑張れ”というメッセージ、ワードを入れてほしいという要望があったんですね。でも私としては一方的に頑張れとは言いたくなかったので、「“頑張れ”という言葉は使いたくない」ってディレクターを困らせたんですよ。それでいろいろ考えた結果、“頑張れ”とは歌えないけれど、“頑張らなくちゃね”だったら歌えるなって。“頑張らなくちゃね”という言葉は人から言われるというより、自分で自分にカツを入れるというニュアンスもあるし、人から言われたとしても、ドンと背中を押すんじゃなくて、隣にいて背中をさする、くらいのニュアンスかなって。
──確かに押しつけるような圧力のない言葉ですね。
そうなんですよ。この言葉なら歌えると思って、「GAMBAらなくちゃね」というタイトルにして、歌詞を書きました。“行き先さえ知らないまま~”というフレーズが冒頭にあるんですが、ツアーの日々を描いています。ツアーに出て、日々移動して、自分がどこにいるのかわからない日々を歌詞に落とし込みながら、“1人きりじゃない 特別じゃない”と歌えたことによって、いろんなものをクリアーできました。結局、自分の気持ちを正直に書くことが私にとっては大切なことなんだなって。