昨年の3月に三枝伸太郎(Piano)と小田朋美(Vo)によるデュオがリリースしたアルバム『わたしが一番きれいだったとき:When I was young and so beautiful』。萩原朔太郎、茨木のり子、谷川俊太郎などの詩に瑞々しいエネルギーを注ぎ込み、多彩なメロディーでリスナーを魅了したこの作品は、どのようにして生まれたのだろうか? 7月17日(水)に行なわれる初のホール・ワンマンライヴに向けて、三枝と小田に語ってもらった。
芝居ではなくて あくまで言葉を聴かせる
──昨年の3月にリリースしたアルバム『わたしが一番きれいだったとき:When I was young and so beautiful』は、“詩”という言葉を軸としながら表現することにとてもエネルギーを注いでいる作品ですね。
三枝伸太郎(Piano)はい。僕は演劇とか映像にも興味があって、仕事として関わってもいるので、言葉というのは今後も大きな興味の対象だと思います。ただ、そっちに行き過ぎると演劇的になってしまうので、その辺のバランスは難しいんですけど。
小田朋美(Vo)私たちにはいろいろなタイプの曲があるので、自分では演じているつもりがなくても“演劇的ですね”と言われることがよくあるんです。でも、そういうバランスを左右する境目って、たしかに難しいんですよね。
三枝僕としては演劇的な要素があまり出ないようなバランスで作っているつもりです。つまり、芝居ではなくて、あくまで言葉を聴かせるということですね。
──文芸詩を取り上げているのも、言葉を聴かせることを大切にしているみなさんの姿勢の表れだと思いますが、こういう作風が生まれた理由は何だったのでしょうか?
三枝小田さんは、このデュオを始める前から宮沢賢治さんの詩などで曲を書いていたので、それに影響を受けて僕も書き始めたんです。小田さんはもともと、どういう経緯で書き始めたの?
小田私は大学でクラシックを学んで作曲をしていたんですけど、クラシックの世界では誰かの詩に曲をつけるというのは、わりと普通のことなので、自然にやっていたということもあるし、何より、詩に音楽が連れて行ってもらうような感覚になれるところが好きで、学生時代からそういうスタイルでやっていました。
三枝昔の詩に今の感性で曲をつけて、今の感性で小田さんに歌ってもらうと、今のものとして聴こえる部分があるんですよね。“文芸詩”という言い方をするとまるで遠い世界のことのような感じもしますけど、“喋っている言葉は同じなんだな”ということも、こうやって曲にすると改めてよく分かります。
──例えば「愛憐」(萩原朔太郎)も、モダンで現代的なものとして感じられました。
三枝クレジットがなかったら、昔の詩だと気付かない人もいるでしょうね。そういうのもあるからこのアルバムは同世代の人の詩と昔の詩をごちゃ混ぜにしてあって、僕と小田さんが書いたものも1曲ずつあるんです。
──茨木のり子さんの「わたしが一番きれいだったとき」も数十年前の詩ですが、現代的なところがあると思います。
小田中学校の先生がCDを気に入ってくださって、生徒さんたちに聴かせたそうなんです。それで去年のコンサートの時に生徒さんたちの感想を持ってきてくれて、読ませていただいたんですけど、“怖いと思いました”という感想があったのも印象的でしたね。
──その生徒さんは、詩で描かれている戦争から怖さを感じたのではないでしょうか?
小田そうですね。言葉から受けたインスピレーションもあったんだと思います。
三枝この詩に曲をつけているもので、他にも吉岡しげ美さんという方が作曲なさった曲があるんですけど、当たり前ですが比べてみるとかなりまた違う印象のものなんです。違う人間が書いているのだから当然なんですが、時代の変化の中で、感情の出し方も変わってくるということもあるのかなと思います。
──同じ詩でも、音楽家の表現によって別の印象になるというのが面白いですね。
小田そうなんですよね。佐々木幹郎さんの詩の「明日」は、私が参加している“VOICE SPACE”というグループのために私が作曲をしたもので、初演は矢野顕子さんが歌ってくださったということがあったんですけど、他にもいろんな作曲家の方が合唱曲にしたりもしているんですよね。それぞれに違った印象のものになっていると思います。