司会:兵庫慎司
撮影:堀清香
JET SET BOYS高橋まこととTHE YELLOW MONKEY ANNIEこと菊地英二の対談シリーズ、最終回です。最後にANNIEがとてもとてもいい話をしてくれました。曰く、「ドラムに人が見出てる、それが高橋まことのプレイ」。ではどうぞ。
【第1回】二人の出会い&ドラムとの出会い編
【第2回】ルーツになったドラマー&ドラマーじゃなきゃよかったと思うこと編
【第3回】今のキャリアだからこそのバンドのやり方編
ほんとね、「何歳までやるつもり?」っていうのは訊きたいですよね、まことさんに(アニー)
アニー だから、日本でも年配のドラマーって増えてきてはいると思うんですけど、一線でずっと活躍してるバンドのドラマーとして、まことさんは最高峰にして最年長だと思うんで。
みんなほら、セッションとかの方向に行くじゃないですか。そういう方が楽しくなっていくと思うんですけど、最初に自分が始めたことを、最後まで貫き通そうと……最後じゃないけどね。
高橋まこと (笑)
アニー 貫き通そうとしている姿って、やっぱり美しいですよね。再結成とかじゃなくて、新しいバンドでどんどん挑戦していくっていう。バンドマンの鑑ですよ。
──JET SET BOYSのメンバーを誘った時、びっくりされませんでした? 「え、セッションじゃなくて正式にバンド結成ですか?」って。
高橋 いや、全員年下なんで(笑)。声かけたら「やります」と。
アニー(笑)逆らえないよ。BOØWYのメンバーだって逆らえないんだから、後輩が逆らえるわけないよね。
高橋 上からガッと行ったから。「俺の最後のバンドだからよろしく頼むぜ!」って。
アニー これで最後じゃなかったらおかしいね(笑)。
高橋 はははは(笑)。
アニー 70歳ぐらいで「ちょっと違うのやりたくなった」って新しいバンドをやるのもいいね(笑)。 でもほんとね、単純に、「何歳までやるつもり?」っていうのは訊きたいですよね、まことさんに。
高橋 できるとこまでだけどね。
アニー 自分がドラムを始めた時って、考えたこともなかったから。40歳、50歳、60歳でドラム叩いてるビジョンがなかった。
高橋 うん、俺もなかった。
アニー でも俺が幸いのは、一回りよりちょっと上に、この人がいてくれるから。今はビジョンとして常にいるんですよ、見えるところに。
でもまことさんには、その先人がいないじゃない? 自分が切り拓いていくしかないっていう。たぶんそれがJET SET BOYSの結成にもつながってると思うんですけど。
高橋 まあ20歳とか30歳の頃なんて、あとの世代のことなんて考えてねえからさ。自分のことで精一杯で。
でも今になってみると、BOØWYを聴いて育って来た子たちがプロになったりしてさ。で、ファンも、俺たちを聴いてきた人の子供がBOØWYを聴いて、っていう──。
アニー ねえ。そろそろ孫出てきますよ。マジで。
高橋 うん。そうやって世代が変わっていくのを体験してるんで。「ああ、長くやってるのも悪くねえな」っていうのはあるよね。