
カバー曲にまつわるエピソードを綴っていただく本連載を通して、25周年へ向かう安藤裕子の“今”の表情を記録していきます。
ユーミンばっかりの国
私がまだ焚き火クラブという活動に勤しんでいた大学生の頃。
勤しむって程のことじゃありませんが、あの頃の、みんなと過ごした時間というのは特別なものだったと思います。
本当に意味もなく集まって、何やってたんだろうね。
揺れる炎を眺めて、小さなお鍋に水を沸かして作るコーヒーとか、さみい!と言いながら啜る味噌汁とか。そんな事で十分に胸の奥までほっこりと温まっていたと思う。
ある夜、塚田君という男の子が「お前歌わねえの?」と声をかけてきた。正直驚いた。夜な夜な私が自分の歌を録音して作り溜めているなんて誰にも言っていなかったのだから。
聞くと彼はアレンジャーを目指していると言う。
よくわからないまま、当時彼がアシスタントだかなんだかでお世話になっていた音楽プロデューサーの藤井丈司さんのスタジオでデモを作らせてもらうようになっていた。
闇雲に何かを繋ぎ合わせるような作業。楽器も弾けない私が作る曲はざらにFメロを超え
「お前せめてDメロまでにしろよな」塚田君にはよく注意されていた。因みにAメロ作りが上手いとも褒めてくれていた。
喧嘩別れになったけれど、あの時間があって今私はここに居る。
(今はもう喧嘩してないです!)感謝だな。塚田。
前述の藤井丈司さんに一枚のCDを渡され言われた言葉がある。
「ゆうこは荒井由実になったらいいよ」
当時の私は松任谷由美さんが荒井由実であるなんて事も知らなかったけれど、渡されたCDに紡がれた音楽は、どこか時空を超えて等身大の心を感じるものでした。
およそ25年の時が過ぎ、気がつけばライブの度にユーミンの曲をカバーしている私。藤井さんの言葉がしっかり細胞に染み込んだようで、荒井由実にはなれないけれど、荒井由実が大好きな安藤裕子は出来上がっていたのだなと思います。
今回のカバーばっかりの国。
どのユーミンを歌うかは内緒です。
ぜひ聴きにきてください!
安藤裕子







