
カバー曲にまつわるエピソードを綴っていただく本連載を通して、25周年へ向かう安藤裕子の“今”の表情を記録していきます。
ぼくらが旅に出る理由
今回カバー曲の幾つかをピックアップして、安藤なりになぜこの曲を選んだのかを書いてみませんか?とご提案頂きました。
真っ先に浮かんだのがこの曲。小沢健二さんが’94年にリリースした「LIFE」というアルバムに収録されています。
私のカバーの歴史に刻まれたとても大きくてポジティブで、まさにLIFEという感じの一曲です。
高校生の頃の私は実のところ全然いわゆる渋谷系なんて音楽には触れていなくて、サブカルチャーに傾倒していたテニス部の男の子がフリッパーズ・ギターの小山田くんのサインを貰えたとはしゃいでいたのを不思議な気持ちで眺めていたし、ヒップホップやラップに夢中になる子達とも噛み合わず、勿論R&Bもどこか遠い場所でぼんやりと捉えていた。仲のいい女の子達がブラックなコーラスグループを作ろうものならその感性を羨ましくさえ思っていた。遡ればみんな情報にませていた。中学生にして岡村靖幸さんと結婚すると宣言していたあの娘は本当にぶっ飛んでいるなと感心していた安藤が聴いていたのはお姉ちゃんの影響でBAD RELIGION やNIRVANA。うちのテレビの回線がちょっとおかしくて観れる番組がMTVとスペシャだったからなんだかそうなったのでしょうか。
でもね。あの頃僕らにはカラオケがあった。カラオケに行けばどんな文化も入り乱れてみんなが歌う。みんなが一つになれる一曲というのがあったものなのです。
小沢健二さんが凄いのは、当時のお茶の間にカルチャーの壁をぶち破って存在を知らしめちゃった事なのではないかと思う。パンクキッズも小室ファミリーも、ナゴムギャルさえも痛快ウキウキ通りを口ずさんで、今夜はブキー・バックはおそらくスチャダラ発信だとは思うけれど、ダンスフロアに華やかな光が見えたのはやっぱり小沢健二さんの歌声だったんじゃないかと思うのです。
あの頃渋谷に蠢いていた色んなカルチャー。
そんな想い出に心を寄せて、車で「LIFE」を掛けていた焚き火クラブ時代。
そんな青春の日々が詰まった一曲なのです。
そうそう、当時の私を担当してくれたアンディは東京スカパラダイスオーケストラの担当ディレクターでもあり、大先輩のスカパラの皆様には私も沢山お世話になりました。
原曲の「ぼくらが旅に出る理由」のドラムを叩いていたのが青木さん。安藤カバーバージョンでドラムとコーラスをやってくれたのが茂木欣一さん。それぞれの出会いと別れが刻まれたレコーディングとなりました。
ライブでもぜひみんなで奏でましょう。








