インタビュー/兵庫慎司
2018年1月10日に、ソロとしてのサード・アルバム『Yesterday Today Tomorrow』をリリースし、1月28日には新木場スタジオコーストにて主催イベント【「フルカワユタカ presents「5×20」】を行うフルカワユタカ。DOPING PANDAのインディーズ時代にプロデュースを手がけていたFRONTIER BACKYARDのTGMXと久々に組み、LOW IQ 01、UCARY&THE VALENTINE、米田貴紀(夜の本気ダンス)、荒井岳史(the band apart)が参加したアルバムのこと、彼らに加えART-SCHOOLやBase Ball Bearも出演するイベントのこと、それらに至るまでの歩みのことについて訊いた。
「音楽やるっていうのはこういうことだよな」って思い出した
──セカンド・アルバムを出して以降、2017年の夏は、LOW IQ 01のライブにサポート・ギターで参加されていましたよね。
はい。僕は市川さん(LOW IQ 01)のSUPER STUPIDのファンだったし、『AIR JAM』も観に行ってたし。今回の僕のアルバムのプロデューサーの田上さん(TGMX)の、もう一世代上の存在というか、打ち上げとかで「怖いなあ、あの人」って遠くから見てる感じだったんで。振り返るとびっくりするくらい、意外な経験なんですよね。
Base Ball Bearのサポートが終わって、市川さんのサポートが始まって、それがなんとなく地続きになっているんですけど、受け身なんですよね。Base Ball Bearも受け身だったけど、市川さんも受け身で。市川さん、なんで声をかけてくれたのか不思議なんですけど。
そもそも、人のサポートでギターを弾く気はなかったんですよ。でもBase Ball Bearに関してはアクシデントだったので。やめた湯浅(将平)のことはよく知ってたし、彼らのマネージャーはDOPING PANDAのマネージャーだったし。ちょっと人助け的なところもあって、弾かせてもらったんですね。
──「サポート、やってみたら思ったより楽しいじゃないか」みたいなのはありました?
確かに、ギターだけ弾く楽しみとか、「サポートって思ったより悪くないな」っていうのはありましたけど、いちばん感じたのはそこじゃなくて。
その前まで、年間2,3本しかライブやってなかった自分がいて。人前でギターを弾くっていうことが……もっと前はあたりまえだったことですけど、ツアーを回ってそのパッションを思い出したことが、いちばんでかくて。「ああ、これだよな、音楽やるっていうのはこういうことだよな」っていう。
やっぱりコンスタントにライブをやってないと……家で練習したり、家で作曲したり、家で考えたりしたことは、もちろん蓄積はされてるんだけど、現場で、人前で、ライブハウスやイベントでやる、そこで一気に身につく感じを久々に思い出してるかな、っていうところはあります。「やっぱり現場に出ないとダメだな」っていう。
それからもうひとつ、そうやって現場に出ると、いろんな人と会うんですよ。僕はもともとメロコアとかパンクのシーンでやっていて、そこに反発して出て行ったみたいなところがあったので。そのへんで生まれた誤解もあって……誤解じゃないか、僕は普通に尖ってたから(笑)。
それで敬遠されてたんですけど、市川さんの現場で当時の人たちと会うと……細美(武士)くんだったりとか、なんとなくお互い好意は持っていない感じがあった人たちと(笑)、話をする機会があったんですね。
──そのこと、BARKSの連載コラムで書いておられましたよね。
そうです。「昔、あの時ってこうだったよね」って話をしたりすることが、ちょくちょくあるんですよね。それがでかいっていうか。べつに丸くなったつもりもないし、いい人ぶってるつもりもないけど、なんか、やっとつながったなっていうか、自分が尖っていたことの意味が見えるっていうか。
その頃の自分を否定もしないし……反省は多少あるんですけど(笑)。でも市川さんの現場でフェスとか行くと、そういうことが往々にしてあるんで。昔の自分を見て、辻褄が合っていく感じがあるというか。
DOPING PANDAの頃はいちばん敬遠していたことをやっている
──音楽的な部分ではあります?LOW IQ 01で弾いてみて発見したこととか。
いや、ありますよ。すごい具体的な話になっちゃうけど、市川さんってコード進行が似た曲がいっぱいあるんですよ。最初にギターで入った頃は、どの曲がどの曲かわかんなくなるいくらい、おんなじなんです。
なのに、おんなじじゃないんですよ。それがびっくりしました。メロディで変えてる部分、アレンジで変えてる部分、いろいろあるんですけど。先輩たちが市川さんとやってる、MATSER LOWっていう大所帯バンドもあるじゃないですか。先輩たちもよく言ってるんです、「曲が似ててわかんなくなる」って。
でも、似てないんです、聴くと。それが、一緒にやってみないとわかんなかった、市川さんのすごさですね。
そういうふうに、一緒にやってみないとわからなかったことは、Base Ball Bearでもあったし、それがわかってBase Ball Bearのことがいっそう好きになったし。
で、それって、DOPING PANDAの頃はいちばん敬遠していたことだったんですね。誰かと一緒に何かを作るっていうのは。僕、自分でミックスまでやってたじゃないですか? それが作り手としてあたりまえのことだと思ってたから。どんどん純化していくべきだ、芸術家ってそうでしょ、と思ってたし……芸術家を気取ってる時点で浅はかなんですけど(笑)。
自分の価値観をどれだけ鋭利にしていくかっていう作業、それがものづくりだっていうことを実践しようとしていて。それで何もかもひとりでやっていくことになって、最後には行き詰まっちゃうんですけど。
「ああ、なるほどなあ、こういうふうに人と組むことをもっとやっていれば、また違ったのかなあ」と思いますよね。それは決して後悔ではないですけど。それをやんなかったら今があるわけだから。
でも、僕が避けていたのはこういうことだったなあ、と思いましたね。それが今回のサード・アルバムで、プロデューサーを立てるっていうことにつながってるんですけど。
──メジャー・デビュー以前の頃以来、久々にTGMXにお願いしたんですよね。
そうです。人と作る方が可能性が広がるんじゃないかっていう。簡単な話で、それは当然そうなるんですね、いろんな人のパワーがそこに入るから。
でも僕は、そこをなぜか逆に考えてたというか。人とやると薄まっていっちゃう、自分が本来出せるはずの可能性が狭まっていく、だからひとりでやるんだと思ってたんです、DOPING PANDAをやってる時。
そうじゃなくて、人とやると、自分で気がついていなかった部分がひっぱり出されるというか。それは市川さんにしてもそうだし、Base Ball Bearにしてもそうだし。
「ああ、そうか、だからインディーの時は自分が想像もつかないような自分が出てたのか」って思って。それから、田上さんと作ったあの2枚に負けたくないと思って、一生懸命やって、どんどん純化していったけど、どんどん自分のわかる範囲内でしかものを作れなくなってたな、と思って。
だから、誰かと作った方がおもしろいものになるんじゃないかと。で、その誰かは、一にも二にもまず田上さんだと思って。