司会:兵庫慎司
撮影:堀清香
高橋まこと、2016年に新バンドJET SET BOYSを結成。メンバーは椎名慶治(Vo)、友森昭一(Gt)、tatsu(Ba)という、日本のロックを支えてきたレジェントたちの集合体であるこのバンドを、高橋まことは「自分にとって最後のバンド」と公言している。
ということは、このDI:GA onlineでもお伝えしてきましたが(詳しくはこちら、そしてこちらも )、このたびJET SET BOYSが2ndアルバム「BIRD EYE」を引っさげたツアーに出るにあたって対談を企画。
お相手は長い付き合いで親交も深く、2016年に再集結を果たし、12月に東京ドーム2DAYSが決定しているTHE YELLOW MONKEYのANNIEこと菊地英二。
ラジオやTHE YELLOW MONKEYのツアーパンフレットなど、これまでにも何度か対談をしてきたこのおふたりですが、今だからできる過去の話も、今だからできる現在の話も、そして未来の話も含めて、改めて語り合っていただきました。全4回、じっくりお読みいただければ幸いです。
では1回目、スタート。
名古屋で「これが噂のTHE YELLOW MONKEYか」って(高橋)
アニー 最初は、ラジオです。
高橋まこと THE YELLOW MONKEYがデビューしてちょっとした時に……キーボードの三国(義貴)が友達で、イエモンのサポートをやってたから「お、三国やってんだ?」って、俺が名古屋のラジオにキャンペーンに行った時に、ライブを観に行ったんだよな?
アニー あ、先にライブ観てくれてるんだ?
高橋 うん。「これが噂のTHE YELLOW MONKEYか」って──。
アニー 噂なんだ? 絶対いい噂じゃないな、三国さんの話じゃ(笑)。名古屋でイベントに出た時に、プロモーションでラジオ番組が設定されていて。THE YELLOW MONKEYって当時、メンバーにトークを回せる人がいなくて、もうひとり誰か呼ぼうかみたいな話になった時に、「まことさんだったらしゃべれるんじゃねえの」みたいな(笑)。
高橋 そんな感じで呼ばれて行った。
アニー なのにひどい扱いを受けたっていう。
高橋 そう、ハゲとかジジイとか(笑)。
──じゃあその時が初めてではなかったんですね。
アニー いや、初対面なのにそうだったっていう(笑)。親しみがあるキャラクターなんで。でもまあ、会いたかったっていうのがいちばんだったんですけど。あれ、94年だったかな。
──まことさんは、THE YELLOW MONKEYはどんな印象でした? 当時。
高橋 なんかね、日本人ばなれしたところがあるなっていうのと、あと吉井の歌が歌謡曲っぽく聴こえるのがいいなと思って。日本語を大事にするっつうか。
アニー 時代的に、洋楽のロックと邦楽ロックの歌謡曲感っていうのが、まだ確立してなかった頃なんですよね。いちばん最初にそれを確立したのがBOØWYだと思うし、だから売れたと思うし、それを違う路線で狙って行ったのがTHE YELLOW MONKEYだったと思うし。
だから、お互いにそういう、歌とロックのバランスっていうのは気にしていたりするよね?
高橋 そうだね。そのあとかな、(新宿)ロフトの立ち退き問題の時、イベントがあったじゃない? 日比谷野音で。
※編集部注:1994年7月10日 日比谷野外音楽堂「KEEP the LOFT “で で で 出てけってよ”」
アニー ああ、吉井(和哉)と廣瀬(洋一)が出た。
高橋 そう、あれのセッション・バンドで、吉井がボーカルでBOØWYの曲をやることになって。俺がメンバーを集めて……俺と、横道坊主のベースの(林田)正樹と、田中一郎がギターで。 で、リハーサルに吉井が来て、「何を歌いたい?」って訊いたら「“BEAT SWEET”が歌いたい」って言うから演奏したんだけど、いつまで経っても1番の歌詞を歌ってるんだ(笑)。終わったあとに「吉井な、2番を覚えて来い」って。本番はちゃんと歌ったけどね。
アニー 普段はああいう感じだけど、本物の前で歌うのはすごい緊張したみたいですね。