クロストークの2回目は、世代観についての話の続きからスタート!ロックや音楽のみならず、プロレス、野球、そして精神年齢についてまで、同い年の激論は止まることなし。イノキ・ボンバイエ!
進行・TEXT/青木優
豊かで変化に富んでいた音楽環境
渡邊 僕らの若い頃って、エアチェックというものが流行ったんですよね。さっきみたいな番組があって、演歌からニューミュージック、ポップスみたいなものに世代交代していった年のピークだった気がしてて。で、ライブの番組はなかったんですよ。ええと、TVKが……。
宮田 TVKが唯一やってましたね、『ファイティング80’s』という番組を。あそこからハウンドドッグ、ARB、ルースターズ、あとRCサクセションも出ましたもんね!そこの落とし子が僕たち世代だったんですかね。
渡邊 そう、それを聴いて育って、そこからいろいろルーツをたどって、ビートルズや(ローリング・)ストーンズを知る、みたいな世代だった気がして。あと、アナログ(レコード)からCDに変わる革命の時期でもあったし、貸しレコード屋もできたし、音楽にあふれた環境だったんですよね。ウォークマンが出て、それで聴いてたのも中学ですから。
青木 たしかにハードの面でも移り変わっていった時期ですもんね。その中で音楽文化も豊富に芽生えていった、という側面はあると思います。
宮田 なるほどね。で、それを聴いて刺激受けて「やってみたい!」ってなるもんね。だからミュージシャンが多いのかもしれないなあ。
渡邊 で、ゲーム(の文化)がまだ大したことなかったんですよ。当時はゲームセンターに行かないとできなくて、家でやるゲームが出てきたのは、もうちょっとあとなんです。だから時間割くのって、野球やサッカーしに行くか、音楽聴くか、でしたよね。一番欲しかったのはオーディオでしたもん。
青木 オーディオね、わかります(笑)。で、僕は、その頃音楽を聴きながら、上の世代はほんとにすごいなあと思ってたんですよ。YMOとかRCとか、大人で、カッコいい音楽をやってて。この人たちに対抗できるほどの音楽がうちらの世代から出てくるんだろうか?と思っていたくらいです。そしたら……ね?
宮田 僕は、それをマネしたい!っていう気持ちでしたね。憧れですよ。だから、たとえば長嶋選手を見て「俺も野球選手になりたい!」って思うのと同じで、僕は忌野清志郎さんを見て「俺もあれになりたい!」って感じだったな。
青木 そう、そこで踏み込んだ人たちがミュージシャンになっていったんでしょうね。
プロレスや野球に熱狂した少年時代
青木 いま長嶋さんの話が出ましたけど、子供の頃のヒーローって、どんな人たちでした?
宮田 やっぱ猪木とかかなあ、そういう意味じゃ。猪木がタイガー・ジェット・シンをやっつける!みたいな(笑)。
渡邊 タイガー・ジェット・シンが初めて出てきてガンガンやった時、俺、泣いちゃいましたもん!「猪木!頑張れ!」みたいな。あとはザ・ファンクスとかね。プロレスには育てられた感じはありますね。
宮田 わかるわかる!あの頃のプロレスは、ある意味、ロックですよね。
青木 その前だと、馬場、鶴田とか、ブッチャー、ミル・マスカラスとか、キャラの強いレスラーがたくさんいましたね。僕は野球が好きで、壁新聞を作ったくらい掛 布のファンでした。僕は島根の出身なんですけど、当時は日本の地方は、ほとんどが巨人戦しか放送しないんですよ。もちろん長島さんや王さんがすごい選手だ とはわかってましたけど、巨人は好きになれなくて。あの頃の名残があるせいか、ロック好きな大人で阪神ファンは多いですよね。当時の少年には、プロレスと 野球がスタンダードでした。
宮田 そうですね。サッカーはそこまでではなかったですもんね。やっぱ野球だったなあ。
大人の年齢になって思うこと、感じること