公私ともにかなり濃密な4年間だったんですけど、それをぜんぶトレースしたようなアルバムだなって。「ふざけんな世界、ふざけろよ」をリリースした頃から喉の調子がおかしくなってーーその後のツアーのときから咽頭ジストニアを発症してたんですよねーー本気で「ふざけんなよ」と思いながらライブをやって、でも、やっぱりダメで。活動休止中は小説を書くことで抗っていたんだけど、2年前に復帰してみたら、喉の状態のアップダウンが激しくて、曲作りもライブ活動も思うように進まなかったんです。すごくもどかしい思いもあったんですが、それがすべて曲になってるんですよね。今回のアルバムはシリアスなトーンの曲が多いんですが、そういう時期だったんだなと思います。
そうですね。お焚き上げみたいなものというか、成仏したなって(笑)。
はい。先に小説を書いたんですけど、「世界が壊れた記念に 檸檬の苗を植えた」という歌詞は、小説のなかにも出てくるフレーズなんです。書いてるときからメロディが付いていたし、「これは歌になるだろうな」と思って。あと、小説を書いてる最中に不明瞭な音が聞こえてくることがあって、ずっと「これは何だろうな」と不思議だったんですよ。その音を曲としてまとめたのが「Sick」だったり、かなり接点がありますね。
ありました。ただ、いままでは曲が先に存在していたんです。その後に書いた小説のなかに歌詞の一部が出てくることはあったんですけど、文字からインスパイアされて曲になったのは、今回が初めてで。それも声の調子が良くなかったせいでしょうね。声が自由だったら、どんどん曲が出てきちゃうタイプなので。
めっちゃイヤでした(笑)。11才の頃からの記憶を掘り起こして、家庭が崩壊する前の、不穏な空気に包まれているあたりからスタートしたんですけど、それって、大人になる過程で丁寧に時間をかけて忘れてきたことなんですよ。それをまた思い出すのかと思ったら、イヤでイヤでしょうがなくて。憂鬱な1年でしたね。
以前から「私小説を書きませんか」という打診はあったんですよ。でも、ミュージシャンやタレントが小説を書く場合、一作目はたいてい私小説じゃないですか。その感じがイヤで断っていたんですが、そのうち「それを書かないって、どうなのかな?」と思い始めて。私小説を書くのは苦しいという印象があったけど、それを避けてラクしているというか、「自分の切り売りくらい、できなくてどうする。歌えないくせに」って。自分を罰したいという気持ちもあったのかもしれないですね。
よく読んでました。もともと太宰治が好きだし、西村賢太さんの小説なども読んでいたので。いろいろ読むなかで、「こうやって自分のことをおもしろく書けるって、すごいな」とも思っていて。自分のプライベートなトピックがおもしろいかどうかもわからないし、娘と父親の葛藤も、ありがちなテーマじゃないですか。ただ、それも作家としてはおかしい話というか、「自分には到底できないなんて言ってないで、おもしろく書けよ」と自分に言い聞かせて。ただ、執筆中はかなり迷走しましたね。何度も書き直して、最終的に第14稿までいったんですけど、結局、最初の第1稿に戻したり。大変でした(笑)。
いや、サビを全部書き替えてます。最初は怒りモードで、物々しい感じの曲だったんですが、小説を書き終えて、レコーディングに入ったときは私の気分がかなりスカッとしていて。もっと抜けるようなサビにしたかったし、メロも明るくなったんですよ。
これも「檸檬の棘」と同時くらいに出来た曲ですね。こっちは怒りではなくて、人生100年時代とか、これからの人生のことを考えているときに出来た曲ですね。歌手の人は普通、「声が続くまで歌いたい」と思うじゃないですか。私はいつまで声が続くのか不安だったし、引退とか、自分の閉じ方に思いを馳せることがあって。滅び方や自分の片付け方を考えられるのは贅沢だよなと思ったり…。ちょうどその頃、祖母が終活を始めたんです。「幽霊みたいに三角頭巾を付けて遺影を撮りたい」とか、みんなを愉快にするようことも考えていて、その姿を見ているうちに「私も美しく滅びたい」と思うようになって。そういうことを考えるのは、いまの生き方を充実させることと同義なんですよね。しかも、滅び方や仕舞い方って、何にでも当てはまるんです。恋愛や友情もそうだし。1年くらい前からボクシングの試合をときどき観に行ってるんですけど、ボクシングも引退が早いスポーツじゃないですか。命を惜しまずリングに上がって。まさに美しい滅び方ですよね。