前回のコラムで憧れのふざけた大人の代表として赤塚不二夫生先生の事を書いたが(憧れのふざけた大人の代表~赤塚不二夫生誕80年企画 バカ田大学夏期講座)、今回もまたもや憧れのふざけ大人代表のひとり、いとうせいこうの事を書きたい。
昔からその活動を見てきた僕らからしても、「いとうせいこうって本業は何?」と聞かれたらみんな即答はできないと思う。もしかしたら本人もそうじゃないだろうか。
ためしにウィキを見てみたら「俳優、小説家、お笑いタレント、作詞家、ラッパー、ベランダーとして幅広く活動するクリエイター」と書いてある。まあ要するにとりあえずはマルチクリエイターという事でいいだろう。
でもそのマルチクリエイターとしての過去の活動をひも解いていくと、いとうせいこうが日本のカルチャーの歴史を作ってきたひとりだという事に気付かされる。
80年代中頃。音楽シーンから見たら“日本で一番最初にヒップホップをやり始めたアーティスト”としてのラッパーのいとうせいこうで、ヒップホップが海外から生まれ日本にも知れ渡りだした時に藤原ヒロシ、高木完という最もトンがったクリエイターたちといとうせいこう&TINNIE PUNX(タイニーパンクス) として、「建設的」という歴史的名盤でミュージシャンデビューした。
そして同じ頃、演劇シーンから見たら、シティボーイズと宮沢章夫や竹中直人やなんかと「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」という演劇ユニットで活動し、実験的かつブッとんだ数々の公演をおこない、演劇界の伝説として今も語り継がれている。
そして同じ頃、小説界から見たらこれはもう作家デビュー作にしていきなりの大傑作「ノーライフキング」で、あるゲームと子供たちの戦いをテーマにした物語で、それは社会現象にまでなり当時僕のまわりも見事に全員ハマり読みふけり、いつまでもそれについて語り合っていた。
そしてそれからしばらくした90年代にもうひとつ。これはトークライブのプロデュースを生業にする僕が、個人的に最も影響を受けたものをあげさせていただくが、みうらじゅんさんとのトークライブ「ザ・スライドショー」がある。
みうらさんの撮ってきた、どうでもいい日常の写真やマイブームの写真の数々をスライドでステージに映しながら解説し、それをその場で初めて見るいとうさんが、アドリブでただひたすら「どうかしてるよ!」とツッコミを入れ続けるだけのトークイベントだが、それが見事なエンターテインメントとして成立していて、最初に見た時のそのユルい空気の衝撃というか、「あっ、これならオレでもできるかも・・・」とふと思った事が、その頃オープンした新宿ロフトプラスワンに入りイベントプロデューサーになった時の基礎になっていて、何気ないものや他人にはよく分からないものでもツッコんだり解きほぐして面白トークにすれば立派なエンタメになるという事に気付き、「そうかザ・スライドショーのスタイルをそのままやればいいんだ」と、今までになかったトークのイベントをどんどんブッキングしていきそれは見事に開花した。
要するに今の僕の店の東京カルチャーカルチャーやロフトとかのトークライブ文化のルーツのひとつもここにあったのだった。
他にも細かいものもひとつひとつあげていけばキリがない。本業はよくわからない。でも日本のサブカルチャーの歴史を創り上げ、今も「フリースタイルダンジョン」からベランダ植物男子など、新しいムーブメントを創り続けてる男、いとうせいこうというのはそういう男なのだ。
前途した、いとうせいこう歴史的デビュー名盤「建設的」リリースからもう30年も経つが、その30周年を祝う「いとうせいこうフェス」が開催される。キョンキョンやら細野晴臣やら高橋幸宏やらKICK THE CAN CREWやら岡村靖幸やらくりぃむしちゅー上田やらバカリズムやら当然みうらじゅんやら、もうコレはいとうせいこうの生前葬じゃないかというくらいあまりにも豪華すぎて雑多すぎるジャンルの仲間達が集まる二日間のお祭りだ。
生前葬のようなお祭りだからその影響を受けたみんなはここに集まらなければならない。
横山シンスケ
49歳。お台場のイベントハウス「東京カルチャーカルチャー」店長・プロデューサー。その前10年くらい新宿ロフトプラスワンのプロデューサーや店長。自分の仕事であるトークライブの教科書にしてるのは「ザ・スライドショー」とリリー(フランキー)さん。東京カルチャーカルチャー:http://tcc.nifty.com/ 横山シンスケ ツイッター:https://twitter.com/shinsuke4586