編集部:Rhythmic Toy Worldのみなさんが初めて立ったステージを教えてください!
内田 直孝(Vo.Gt)
僕は高校1年生の時、先輩が軽音楽部で、歌ってくれと言われて。僕らの高校って兼部なんですよ。僕は陸上部で、その部の先輩たちが軽音部もやってて、僕が歌を好きっていうのを知っていて。
それで、文化祭に出たんです。僕の高校の文化祭、公開の日と非公開の日っていうのがあって。一般の人も来れる日と、生徒しか入れない日。三重県の津の文化会館で、出し物をやるんですね。その非公開のステージでした。
それで、文化祭に出たんです。僕の高校の文化祭、公開の日と非公開の日っていうのがあって。一般の人も来れる日と、生徒しか入れない日。三重県の津の文化会館で、出し物をやるんですね。その非公開のステージでした。
──誰のコピーで?
内田 直孝(Vo.Gt)
LINKIN PARKさん。
岸 明平(Gt)
へえー!
須藤 憲太郎(Ba)
曲は何をやったの?
内田 直孝(Vo.Gt)
“ONE STEP CLOSER”と“FAINT”。その時初めて聴きました、リンキン。どっぷりハマりましたね。それまで洋楽全然聴いてなかったんで。
──何か憶えてることあります? 緊張したとか、気持ちよかったとか。
内田 直孝(Vo.Gt)
ああ……けっこうね、お勉強校だったんですよ。だからLINKIN PARKさんは刺激が強かったみたいで、みんなポカーンって顔をしてましたね。
でも、全校生徒1200人なんですけど、1200人の前でやる緊張よりも、「人の前で歌うのって超気持ちいいな」っていう方が大きかったのを憶えてます。観てる側とやってる側って絶対的に違うんだな、いい意味でも悪い意味でも人の心に何か働きかけられる力がステージにはあるんだな、っていうことに、その時気づきましたね。
でも、全校生徒1200人なんですけど、1200人の前でやる緊張よりも、「人の前で歌うのって超気持ちいいな」っていう方が大きかったのを憶えてます。観てる側とやってる側って絶対的に違うんだな、いい意味でも悪い意味でも人の心に何か働きかけられる力がステージにはあるんだな、っていうことに、その時気づきましたね。
岸 明平(Gt)
俺も軽音楽部です。高校1年の時の部室での発表会が、初めてのライブですね。それはコピー・バンドで、GLAYさんを演奏しました。HISASHIさん、リード・ギターの方で。
練習で初めて音を合わせた時、「ああ、こんな感じになるんだ!」って、もうめちゃめちゃ楽しくて。でも、いざ人前でやるとなると、すごい緊張しちゃって全然楽しめない、みたいな感じでしたね。
っていうので、「あんまりステージ立ちたくないな」みたいになっちゃったんですよ。練習は楽しい、でもライブは……なんで人に向けて発表しなきゃいけないんだ?っていう(笑)。ほんと最近ですね、ライブが楽しくなったのは。
練習で初めて音を合わせた時、「ああ、こんな感じになるんだ!」って、もうめちゃめちゃ楽しくて。でも、いざ人前でやるとなると、すごい緊張しちゃって全然楽しめない、みたいな感じでしたね。
っていうので、「あんまりステージ立ちたくないな」みたいになっちゃったんですよ。練習は楽しい、でもライブは……なんで人に向けて発表しなきゃいけないんだ?っていう(笑)。ほんと最近ですね、ライブが楽しくなったのは。
磯村 貴宏(Dr)
僕は高校生の時に……友達が軽音部だったんですけど、そこでドラムを叩くはずだった子が、掛け持ちになっちゃって、「やっぱ二つは無理だ」って。それで僕が叩くことになったのが初ですね。ドラムに触ったこともないのに(笑)。
2週間後が本番だったんですよ、地元のちっちゃいライブハウスで。4曲ぐらいやったのかな。L’Arc~en~Cielさんを2曲、BLANKEY JET CITYさんを1曲、あと1曲はなんだっけ……初めてだったんで、もう頭真っ白で。
でも、終わったあとに……別の高校の人も観に来ていて。その人に「一緒にバンドやろうよ」って声かけられたんですよね。超ヘタクソだったし、人前に立つことが苦手だったのに。それがすごいうれしかったんです。自分は素人で、ほかのバンドを見て「みんな上手だな」と思ってたところに、まさか自分が声かけれるとは、っていう。
その人と一緒にバンドやることになるんですけど、それがオリジナル曲を作ってるバンドだったんで、僕、コピー・バンドはその最初の4曲しかやったことないんです。のちにそのバンドで東京でも活動するようになっていって。
2週間後が本番だったんですよ、地元のちっちゃいライブハウスで。4曲ぐらいやったのかな。L’Arc~en~Cielさんを2曲、BLANKEY JET CITYさんを1曲、あと1曲はなんだっけ……初めてだったんで、もう頭真っ白で。
でも、終わったあとに……別の高校の人も観に来ていて。その人に「一緒にバンドやろうよ」って声かけられたんですよね。超ヘタクソだったし、人前に立つことが苦手だったのに。それがすごいうれしかったんです。自分は素人で、ほかのバンドを見て「みんな上手だな」と思ってたところに、まさか自分が声かけれるとは、っていう。
その人と一緒にバンドやることになるんですけど、それがオリジナル曲を作ってるバンドだったんで、僕、コピー・バンドはその最初の4曲しかやったことないんです。のちにそのバンドで東京でも活動するようになっていって。
須藤 憲太郎(Ba)
僕は大学1年生の後半ぐらいだと思うんですけど。同級生とバンドを組んでて……最初は、いちばん仲よかった奴が軽音のサークルに入っていて、大学の講堂でライブやるので、観に行って。その友達がSNAIL RAMPさんの曲をやってて。ステージ前にスペースがあって、その後ろにイスが出てたんですよ。前で暴れるしかないじゃん!と思って暴れてたら、先輩が来て「すみません、コード踏まないでください」って言われて。
「は? くそつまんねえ!」と思って、そのサークルには入んなかったんですね。そしたらその友達とかも、そういうフシがあったみたいで、フェイドアウトしてやめていって。という奴らで集まって、バンドを組んだという。
それで初めてライブやったのが、下北沢のCAVE BE(2017年3月に閉店)で。やった曲が、NUMBER GIRLさんの「鉄風 鋭くなって」「透明少女」「TATOOあり」、途中で女の子も混ぜて椎名林檎さんの「丸の内サディスティック」やったり。
あとGOING STEADYさん、当時すごい人気あって、必ず「銀河鉄道の夜」をやるみたいな。当時とにかく弾くことが楽しくて、もうピョンピョン跳ねてて、演奏めちゃくちゃで。お客さんには「は?」って顔で見られましたけど。
「は? くそつまんねえ!」と思って、そのサークルには入んなかったんですね。そしたらその友達とかも、そういうフシがあったみたいで、フェイドアウトしてやめていって。という奴らで集まって、バンドを組んだという。
それで初めてライブやったのが、下北沢のCAVE BE(2017年3月に閉店)で。やった曲が、NUMBER GIRLさんの「鉄風 鋭くなって」「透明少女」「TATOOあり」、途中で女の子も混ぜて椎名林檎さんの「丸の内サディスティック」やったり。
あとGOING STEADYさん、当時すごい人気あって、必ず「銀河鉄道の夜」をやるみたいな。当時とにかく弾くことが楽しくて、もうピョンピョン跳ねてて、演奏めちゃくちゃで。お客さんには「は?」って顔で見られましたけど。
内田 直孝(Vo.Gt)
僕らと組んだ時も言われました、ライブハウスの店長さんとかに。「まず上手になってからそういうことをしなさい」って(笑)。
須藤 憲太郎(Ba)
ああ、言われてたねえ。
内田 直孝(Vo.Gt)
でも「気にすんなよ」って。「時間かけて練習すればうまくなるじゃん。でも自分が『すげえ楽しい!』と思って跳ねたりするのって、やれって言われてやることじゃなくない? だからそのままでうまくなればいいじゃん」って。だから、今もそのまんまなんですね。飛び跳ねても、ちゃんと弾けるようになってるし。
磯村 貴宏(Dr)
まわりを見れるようになったしね。
岸 明平(Gt)
人にぶつかんなくなったしね(笑)。
編集部:たしかに演奏の上手さよりも、楽しそうにライブをしている姿に観ている方も気持ちが動く気がします。
Rhythmic Toy Worldの皆さん、ありがとうございました!
Rhythmic Toy Worldの皆さん、ありがとうございました!