編集部:Rhythmic Toy Worldのみなさんが初めて行ったライブを教えてください!
岸 明平(Gt)
僕はGLAYさんです、東京ドームで。東京ドームへ行ったのも初めてで。2階席で観たんですけど、ステージ・セットでお城みたいなのが建っていて。ライブが始まって、人形みたいなのが出て来て。「あ、人形劇が始まるのか」と思ったら、それがメンバーだったんです。
内田 直孝(Vo.Gt)
(笑)なんだよ人形劇って?
須藤 憲太郎(Ba)
演出で、ってこと?
岸 明平(Gt)
そう、メンバーがすごい遠くにいて、それで人形かと思ったっていう。でもすごいかっこよくて、「こんな大勢の人の前でこんなライブやってるんだ!」と思って。それ、GLAYさんのデビュー10周年のツアーだったんですけど(2005年3月13日)、最後にTERUさんが「10年後またここに帰って来る」って言って、羽織ってたジャケットをマイクスタンドに置いて帰って行く、それがすごいかっこよくて。
内田 直孝(Vo.Gt)
で、本当に帰って来たんでしょ?
岸 明平(Gt)
そうそう。それもかっこいいですよね。GLAYさんめっちゃ大好きだったんで、ライブ中ずっと号泣してましたね。
磯村 貴宏(Dr)
僕は、高校2年か3年で、渋谷公会堂でSHAKALABBITSさんを観たのが初めてのライブで。それが、DVDになるライブだったんですよ、クレーンのカメラとかいっぱい入ってて、特効とかもあって。
地元のライブハウスには行ったことがあったんですね、友達のバンドを観に。だから、ライブハウスっぽいのを想像してたら、ステージでかいし、大掛かりだし、すごく刺激を受けたというか。
あとやっぱり、バンドが本当に演奏してる、本当に歌ってるっていうのが……テレビとかで歌ってるのが僕の中では普通だったんで、その衝撃は強かったですね。ライブってその場じゃないと観れないんだな、ってことがわかって。
めっちゃ飛び跳ねてました。今のメンバー、信じないかもしれないけど。その時の興奮がきっかけで、バンドを始めたんです。
地元のライブハウスには行ったことがあったんですね、友達のバンドを観に。だから、ライブハウスっぽいのを想像してたら、ステージでかいし、大掛かりだし、すごく刺激を受けたというか。
あとやっぱり、バンドが本当に演奏してる、本当に歌ってるっていうのが……テレビとかで歌ってるのが僕の中では普通だったんで、その衝撃は強かったですね。ライブってその場じゃないと観れないんだな、ってことがわかって。
めっちゃ飛び跳ねてました。今のメンバー、信じないかもしれないけど。その時の興奮がきっかけで、バンドを始めたんです。
須藤 憲太郎(Ba)
僕は、初めてがフェスなんですよ。『湘南音祭』っていう、山嵐さんが主催のフェスなんですけど。大学生の時だから、2008年か。
2日間あって……当時僕、マキシマム ザ ホルモンさん大好きで、それで行こうと思ったんですけど、最初は2日のどっちに出るかわかんなかったんですよ。だから両方ともチケットを買って、出ない方の日は友達とかに譲っちゃおうと思って。
で、ホルモンさん、2日目だったんですけど、1日目も結局チケットを譲る相手がいなくて、ひとりで行ったんですけど……その時僕、けっこうオチてた時期だったんです。人生的にというか、人間的に──。
2日間あって……当時僕、マキシマム ザ ホルモンさん大好きで、それで行こうと思ったんですけど、最初は2日のどっちに出るかわかんなかったんですよ。だから両方ともチケットを買って、出ない方の日は友達とかに譲っちゃおうと思って。
で、ホルモンさん、2日目だったんですけど、1日目も結局チケットを譲る相手がいなくて、ひとりで行ったんですけど……その時僕、けっこうオチてた時期だったんです。人生的にというか、人間的に──。
内田 直孝(Vo.Gt)
人間的にはオチてないだろ(笑)。精神的にね?
須藤 憲太郎(Ba)
そう、精神的にオチてた時で。「もうこんな人生イヤだ」的な感じで、けっこう投げやりだったんですよ。そんな時に、1日目、目当てのバンドいないけど行ったら、メンツがヤバくて。活動休止を発表したあとのELLEGARDENさんとか、dustboxさんとか。最初は後ろの方で観てたんですけど、その方たちの出すパワーがすごすぎて、楽しくなっちゃって、最前までつっこんで行って。
あんまり知らなかったバンドばかりなのに、演奏のパワーにやられちゃって。会場に行く時はめちゃくちゃ落ち込んでたのに、帰りは「生きててよかった!」と思って。
で、2日目はホルモンさん以外にも、Dragon AshさんとかRIZEさんとか出ていて。もちろん山嵐さんも。それでもう「最高だ!」ってなって。この方たちの出すこのパワーってなんなんだろう、僕もそっちに立ちたいと思って、バンドを組んだんです。
あんまり知らなかったバンドばかりなのに、演奏のパワーにやられちゃって。会場に行く時はめちゃくちゃ落ち込んでたのに、帰りは「生きててよかった!」と思って。
で、2日目はホルモンさん以外にも、Dragon AshさんとかRIZEさんとか出ていて。もちろん山嵐さんも。それでもう「最高だ!」ってなって。この方たちの出すこのパワーってなんなんだろう、僕もそっちに立ちたいと思って、バンドを組んだんです。
内田 直孝(Vo.Gt)
大学2年くらいだよね、ベースを背負って学校に来るようになったのは。
須藤 憲太郎(Ba)
そう、20歳で始めたから。遅かったんですよね。
内田 直孝(Vo.Gt)
でも、今の話だと、暗い奴だったみたいだけど、めちゃくちゃ明るかったんですよ? でも、ある出来事があって、短期的にすごく精神がオチてたということです。それはすごいしょうもない理由なんですけど──。
須藤 憲太郎(Ba)
女の子にふられたんですけどね。
内田 直孝(Vo.Gt)
だから、よくある大学生みたいな話ですよね。それでベースを背負って大学に来るようになって。なんかね、俺、イヤだったんですよ(笑)。
──ああ、当時須藤さんのことがイヤだったという話は、よくしておられますよね。
内田 直孝(Vo.Gt)
そうそう。僕はバンドやりたくて三重県から上京してたんで、なんかファッションみたいに楽器を背負って学校に来ている感じがして(笑)。それが普通に似合う人もいるけど、彼だけはどうしても許せなくて。
岸 明平(Gt)・磯村 貴宏(Dr) はははは!
須藤 憲太郎(Ba)
(笑)。
内田 直孝(Vo.Gt)
「おまえそれ嘘だろ? そのケース何も入ってないんじゃねえの?」ぐらいの。
──その内田さんの初めて観たライブは?
内田 直孝(Vo.Gt)
(笑)あ、そうだ。僕は、高校3年生の時に、仮病で早退して、姉と大阪城ホールで観たBUMP OF CHICKENさんが初めてです。『run rabbit run』っていうツアーで(大阪城ホールは2006年2月7・8日)。
なんか異次元だったというか、「なんじゃこりゃあ!」みたいな。もう足つるぐらい跳んで、つっても跳んで。「1秒でも音を逃したくない!」みたいな感じでしたね。自分が好きで毎日聴いてる曲を、生で演奏してくれてる人たちが目の前にいる、っていうのが……「藤くんって本当にいたんだ?」みたいな。それぐらいの存在だったんです、ほんとに。
僕もそっち側の人間になりたい!と思って、その時から大阪城ホールでワンマン・ライブをするのがいちばんの目標なんです。今でもそうですね。
なんか異次元だったというか、「なんじゃこりゃあ!」みたいな。もう足つるぐらい跳んで、つっても跳んで。「1秒でも音を逃したくない!」みたいな感じでしたね。自分が好きで毎日聴いてる曲を、生で演奏してくれてる人たちが目の前にいる、っていうのが……「藤くんって本当にいたんだ?」みたいな。それぐらいの存在だったんです、ほんとに。
僕もそっち側の人間になりたい!と思って、その時から大阪城ホールでワンマン・ライブをするのがいちばんの目標なんです。今でもそうですね。
編集部:テレビで見たり、毎日聴いていたアーティストを生で観られたときの感動は、まさにライブならではですね!
Rhythmic Toy Worldの皆さん、ありがとうございました!
Rhythmic Toy Worldの皆さん、ありがとうございました!