アパレル企業yutoriを創業し、日本のファッションシーンや経営界に旋風を巻き起こす若きカリスマ、ゆとりくん。2024年にボーカルユニット・69(無垢)の一員として音楽活動を開始し、2025年9月にソロデビューを果たした彼が、2026年7月18日に代官山UNITにて「ゆとりくん本気の独演(奏)会」を開催する。
同イベントは彼の2冊目の書籍『自分の言葉で話せるようになりましょう』と2nd EP『ミラーボールを消して』のWリリースを記念して開催される。SNSでも「あなたの魂を震わせ、道を開くきっかけに。去年の独演会をさらにさらにパワーアップさせたイベントになる」と発信しているとおり、これまでの人生で得た手札を惜しみなく使う、ゆとりくんならではの1日となるだろう。今回のインタビューではゆとりくんの音楽活動にフォーカスを当て、彼と音楽の関係を探っていった。
同イベントは彼の2冊目の書籍『自分の言葉で話せるようになりましょう』と2nd EP『ミラーボールを消して』のWリリースを記念して開催される。SNSでも「あなたの魂を震わせ、道を開くきっかけに。去年の独演会をさらにさらにパワーアップさせたイベントになる」と発信しているとおり、これまでの人生で得た手札を惜しみなく使う、ゆとりくんならではの1日となるだろう。今回のインタビューではゆとりくんの音楽活動にフォーカスを当て、彼と音楽の関係を探っていった。
──ゆとりくんは起業する前にアカペラグループThe Snatch!でアーティスト活動をなさっていたんですよね。
ワンマンライブで600人くらい集めるところまでいって、大学卒業と同時に解散しました。アカペラで大成していく王道のルートは『ハモネプ』だったけど、僕らは当時ほとんどの人が目をつけていなかったMixChannel(現:ミクチャ)を使って、それをSNSと連動させてファンの熱量をどんどん増やしていくことで、アカペラ界隈で知名度を上げていきました。2010年代前半ではかなり新しい活動方法だったので、そのままYouTuber兼音楽活動をしてもうまくいったのかもしれませんね。
──なぜそのときに音楽活動の道を選ばなかったのでしょう?
20代は勝つことを何よりも重要視して動いていたんですよね。“勝つ”というのは大衆に媚びへつらうことではなく、自分が完璧に理解できているからこそできると思うんです。たとえば僕がアパレル業界最年少で上場できたのは、僕自身が15歳の頃からストリートファッションや原宿カルチャーの消費者で、それゆえの解像度の高さを持っていたから。音楽よりも勝算があったんです。
──アパレル業界で次々と成功を収めていく間に、音楽活動への欲求はあったのでしょうか?
いや、まったくなかったです。そんな自分が音楽をやりたいと思ったきっかけは、自分のしゃべりを受け取ってくれる人が想像以上に多かったからなんですよね。言葉だけだと伝えられる人は限られるけど、どんなに本を読まない田舎のヤンキーでも、心に響く歌詞があったりするじゃないですか。
──日本国内でSNSを経由して広まる楽曲にも、歌詞がフックになるパターンも多いです。
だから自分の言葉がメロディやキャッチーなトラックに乗ったら、もっといろんな人に届くのではないか、違う伝わり方をするんじゃないかとぼんやり思うようになったんですよね。もともとアカペラグループでヒューマンビートボックスをやっていたから、ラップという手法ならこの言語化能力とリズム感を活かして音楽ができそうだなと思って。それで歌詞の羅列みたいなものを友達に送るようになりました。でもサビを自分で歌うイメージはなかったから、アカペラグループ時代のメンバーであるKOHEIに、サビのトップラインを歌ってもらうことにしたんですよね。
──それが2024年秋に始動したKOHEI(BUZZ-ER.のCHIBA)さんとのボーカルユニット、69(無垢)ですね。
いざやってみたら、音楽を作るプロセス自体に意義を感じたんです。69でサウンドプロデュースをしてくれたDannie Mayのマサがギターを持ってきて、てきとうに弾きながらセッション的に曲を作っていったり、歌詞をはめていくのがめちゃくちゃ楽しかったし、それがパッケージになると、初めてサビができた瞬間や曲になった瞬間とか、ここに至るまでの1個1個がすごく思い出深いものになったんです。「自分はこんなことを考えてるんだな」と気づくきっかけにもなったし、曲が生まれれば生まれるほどに、新しい自分を見つけられている気がしますね。
──そして2025年9月に音楽事務所クラウドナインへの所属を発表し、ゆとりくん名義での音楽活動がスタートしました。
69の活動をするごとに、シンプルに「もっと自分ひとりでやってみたいな」という気持ちが湧いてきたのと、ゆとりくんは知っていても69を知らない人が大多数だと思うんです。だから一旦「ゆとりくんが音楽をやっている」ということをわかりやすく伝えるフェーズに入ったというところですね。のちのちKOHEIとの活動にも波及させていけたらいいなと考えています。
──ビジネスマン的な視点で音楽活動を行うアーティストも増えていますが、どちらも経験しているゆとりくんが感じる、音楽ならではの面白さはどんなものでしょうか?
やっぱり音楽は身体性が伴いますよね。どうしたって自分の声は変えられないから、自分のいい成分が出る音程、それをよりよく響かせる歌い方が大事だと思っています。経営は自分がやりたいと思ったことと、お金とタイミングの3つが噛み合えば実現できる。だから脳みその中から始めて、空中で何かを組み立てているような感覚だけど、音楽は地に足をつけて作る現実的なものかな。自分自身が制約になるし、どこまでいっても自分から逃げられない。そういう意味でも「これが現時点で俺の中でいちばんカッコいい」みたいなものを出すのが音楽だと思うんです。
──確かにそうですね。
若いアーティストが台頭していくのは、その時期その瞬間、その子が持っているカッコよさがいろんなところとリンクして、魅力的に映ることで曲が売れて、その子自身もどんどんカッコよくなっていくんだろうなと。だから身体的でいて、きらめきはある。現実に根差したファンタジーという印象がありますね。
──ゆとりくんは2025年6月、69で初ライブを行いました。バンドセットで臨んだ、アカペラグループ以来のアーティストとしてのステージはいかがでしたか?
初ライブはふたりとも意気込みすぎて、KOHEIは声が出なくなっちゃったり、僕もアーティストっぽくカッコつけちゃったんですよね。しゃべらないで音楽だけやるの、かっこいいじゃないですか(笑)。それがカッコよく映る人もいるけど、自分の場合は違ったんだなと気づきました。打ち上げのときに仲のいいバンドマンに「ゆとりくんの良さが全然出てなかった。普段の語りみたいな感じのほうが全然いいのに、今日は殻に閉じこもっちゃってて全然届かなかった」と言われて、自分でも納得して。
──ゆとりくんの立場でも、忌憚なき意見を言ってくれる人がいるんですね。
yutoriの社員も含め、俺の周りの人たちはみんな俺をそういう肩書きとしてあんまり見ていないんですよ。“ゆとりくん”として見ているなと感じます。だから初ライブは初ライブならではの、ほんとわかりやすい失敗の詰め合わせでした。でも僕は要領がいいので、1回ミスしたときの修正力がめちゃくちゃ高いんです。12月のワンマンライブは超いい空間を作れたと思いますね。
──2025年12月16日に渋谷WWWで開催した「69 ONEMAN LIVE タオイズム」はステージに仏像を置くなど華やかな演出もあり、2026年にゆとりくん名義でリリースされた楽曲も多く披露されました。
2025年の下半期はずっと病んでて、特に11月がひどかったんですよ。全然バランスが取れなくて、12月の頭に休みを取ってセドナに行ったんですよね。セドナから帰ってきて1週間後くらいのライブだったから、自分の中に陰と陽がありのまま混在していて、それをすごくいい状態で消化できました。お客さんとみんなでエネルギーを高めていくような感覚があったし、こういう空気感のライブは自分ならではなんだろうなと感じて。
──自己表現ができたと。エンターテインメントというよりは、アーティスティックな熱狂が生まれていたのだろうなと想像します。
語りも、自分のキャラクターも、開けっ広げな部分も、アーティストとしてオリジナリティの高いライブはできたんじゃないかなという感覚はありましたね。そういうライブになったのはセドナも大きかったし、あと「魂ノ独演会」もきっかけになったなとは思っていて。
──初の書籍出版を記念して、2025年10月31日にSHIBUYA PLEASURE PLEASUREで開催された「ゆとりくん生一人語『魂ノ独演会』」ですね。
1時間しゃべって2曲歌って、そのときに自分のしゃべりは歌としゃべりの中間にあるなと思ったんですよね。だからWWWのワンマンではしゃべりと音楽が融和して、オリジナリティにつながったんだろうなと。それもあって、今ギターも練習してるんですよね。語っている最中にギターを弾き始めて曲に入って、ギターを止めたらまた語りに戻って……という文字通りの“弾き語り”のライブをできるようになることが、個人的な目標なんです。そしたらもっと文字通りの“独演会”が作れる予感がしているんですよね。











