対バンやイベントライヴでは、このままの流れでハードロック要素の強い首振りDollsイチの推し曲「悪魔と躍れ」でぶち上げていたところなのだろうが、この日の彼らは違った。
「夜の衝動」から、再び前半戦に近いいなたく切ない首振りDollsの色に染め変えていった彼らは、naoが歌い出しで自分の体を両手で力強く抱きしめながら唄うパフォーマンスが印象的な「浮氣夜」へと景色を移した。それは、歌詞の中に描かれた、帰る場所のある人を愛してしまった禁断の恋の切ない情景を浮かび上がらせた時間となった。
「浮氣夜」終わりでJohnnyがセンチメンタルなアルペジオを奏で始めると、naoは静かにそこに言葉を載せた。
「私はいまでもすごく弱くて。一人ぼっちで生きてるみたいな気持ちになるときがあって………。私がこうやって唄を歌うのに、どれだけたくさんの人が支えてくれてるのかってことくらい、分かってるのに……。きっとアナタにもあると思うんだ、そういうとき。どんなに励ましてもらったとしても、誰かと楽しい時間を過ごしても、ふとしたときに1人になると……。誰にだってあると思う。私もアナタと一緒。同じ気持ち。私の場合はそういうとき決まって音楽を聴くようにしています。私にとって音楽って、ロックン・ロールって、何の意味もなく勇気づけてくれるアホな友達みたいな存在で。私の唄がアナタにとって、そういう友達みたいな存在になればいいと思う。アナタの傍に私の唄を置いてくれている人はきっと、今、ここに集まってくれたんだと思う。首振りDollsの唄を、私の唄を、私達の唄を傍に置いてくれてありがとう。これからもアナタの傍に居れますように————」(nao)
ときおり、naoがマイクを握りしめる度にマイクがその軋む音を拾った。その音は、彼がこの言葉を届けたい人のことを心から想い、言葉を選びながら、とても大切に語っていたことを物語っていた。
Johnnyのセンチメンタルなアルペジオは「乾いた雨」のイントロへと繋がっていった。メロディアスなJohnのベースラインがサウンドの中でとても優しく響いた。Led Zeppelinの「天国への階段」を思わすイントロのアルペジオと、工場地帯から上がる白く揺れる煙と紫川という北九州・小倉の景色が溶ける「煙突の街」、雪の日の寂しい情景が唄われる悲しい唄ながらも、音色のあたたかさが胸に染みる「冷たい涙」と、バラードが3曲繋げて届けられたのだが、フロアは予想を超える静まりをみせ、その曲に正面から向き合ったのだった。
それは、naoの声の絶対的なポテンシャルを感じられたドラマチックな時間だった。
そこからラストブロックへと大きく舵を切った彼らは、KISSを彷彿させる「悪魔と躍れ」でフロアに拳の花を咲かせ、アルバムのリード曲「イージーライダー」でたたみ掛け、サイレンが鳴り響く中で届けられた「ロックンロール」では、客席に降りてのJohnnyとRakuカワサキとのギターバトルや、Johnnyがスタッフに肩車をされながらギターソロを弾くという恒例のヘルズマウンテンなる隠し技も披露され、さらにはこの日の特別企画としてギターソロでの撮影が許可されたのだった。オーディエンスが灯す携帯の光と共に作り上げた最高のロックン・ロールSHOWは、この日、ここに集まったすべての人の忘れることのできない思い出となったことだろう。そんな絶頂の盛り上りからのクライマックスは、ポップなロックン・ロールチューン「月明かりの街の中で」。この曲で締めくくられた本編は素晴しく清々しい空気感だった。
エンディングSEはKISSの「God Gave Rock 'N' Roll to You II」。彼らは常にライヴの最後にこの曲を流し、オーディエンスと共に掲げた両手を大きく広げるのだが、これも自らをロックン・ロールの道に引きずり込んだ偉大なるロックスター達への敬意なのだろうと感じると、どうしようもなく胸が熱くなる。いつかこの景色がもっと大きなものになってくれたらと切に願う。
この日は、鳴り止まなかったアンコールの声に応え、ダブルアンコールを行った彼ら。ステージに戻った彼らから放たれた音に、オーディエンスは力強い拳を振り上げて応えた。特筆するに値すると感じたのは、デビューアルバムの最後に置かれている子守唄「月のおまじない」のライヴヴァージョンだ。これは絶品。アドリブで演奏されたのだというが、この先、ライヴの定番曲として奏でていってほしいと思うほど、首振りDollsの代表作だと感じさせる存在感を放っていたのだった。
身1つでここまでエモーショナルなロックン・ロールSHOWが届けられるということを証明できる首振りDollsは、その存在そのものがエンターテイナーであると感じた。2018年10月12日。確実にこの日、彼らはこの時点で最高のワンマンライヴを届けることが出来たことだろう。
そんな彼らの夢は武道館。
ライヴごとにnaoが叫ぶこの夢を、所詮叶わぬ夢への戯れ言と笑い飛ばし、馬鹿にする人もいるだろう。しかし、彼らの音と正面から向き合い、しっかりと受けとめている人ならば、決して戯れ言ではないと確信するはずである。もちろん、まだまだ掲げた夢の場所に辿り着くためには、多くの人が彼らの音と出逢う必要がある。がしかし、出逢いさえすれば、彼らはその夢を実現出来るだけの力を持っていると言っても過言では無い。だからこそ、夢を持ち続けてほしいし、その夢を形にして見せつけてやってほしい。あざ笑う奴やに、“アナタには夢はないんですか?”と問い返してやってほしい。夢を持って生きることが、求めてもらうことの嬉しさが、どれほど喜ばしく生き甲斐のあることなのか。そして証明してほしい。自らを信じてがむしゃらに頑張ることの力の強さと、本当に愛して支えてくれる人達に支えられている幸せが与えてくれる力の強さと、なによりも、首振りDollsの生み出すロックン・ロールの素晴しさを。
むしろ、今の世の中の流れとして、流行に乗って何の苦労もなく武道館に立てる人は何人もいるが、果たしてそれは彼らが武道館に立つことと同じなのだろうか?あくまでも個人的な意見ではあるが、それとはまったく別モノだと私は思う。最高のロックン・ロールSHOWを届けるために化粧を施してステージに立ち極彩色の光を浴びながら、自らの身を削って生み出した曲や歌詞を、すべての力を込めてそれを首振りDollsの音として放つ。彼らは生きる上で、きらびやかな表舞台に立つ時間の方が少ないが、彼らはその瞬間の輝きのために、その人生のすべてを捧げているのだ。その“瞬間”のために命を削り自らの音を生み出し、それを届けるためにステージに立つ。それを繰り返すのが彼らの生き方。本当の意味で自分達の音と唄を愛してくれる目の前の人達と、音楽へのリスペクトを込め、彼らは日々ステージに立ち続けているのだ。
今の時代、コツコツと小さなライヴハウスからお客さんを増やしていくなど、古いやり方なのかもしれない。しかし、それこそが音楽の、ロックバンドの原点なのではないだろうか。オーディエンスと共に観た景色と毎回生まれるドラマを重ね、ロックバンドは“唄いたい曲”を見つけ、オーディエンスは“その人が唄うからこそ聴きたいと思える曲”を見つけていくのだと思う。
首振りDolls。彼らの旅はまだ始まったばかり。
この日、その始まりに輝かしい未来を感じたのは言うまでもない。
「これまでの人生、だいたい言ったことはやってきてるから。絶対叶えてみせるから!ずっとついて来てくれますか!?みてろよ!武道館まで手を離すんじゃねぇぞ!」(nao)
この日に叫んだnaoの言葉はいつも以上に力強かった。そして、そんな彼の言葉に力強い声援を返していたオーディエンスの声も、いつも以上に力強いものだった。
大袈裟かもしれないが。この夜、確実に新たに始まる歴史を見た気がした。そして、そこに大きな未来と血の通った人と人との繋がりを見た気がした。
最高のロックン・ロールバンド首振りDollsに、大きな期待と感謝を———。