続いてはトーク多めの義兄弟コーナー。岩沢が歌とアコギとハープ、寺岡が歌とベースという編成だ。25年ほど前、ゆずのプロデュースを担当した寺岡がベースを弾くのを見て、20歳の頃のゆずの二人が「しびれた」とのエピソードを、岩沢が話す場面もあった。今回のステージでも岩沢が何度も、「ベース寺岡呼人!」とうれしそうに紹介していた。「僕が岩沢くんに歌ってほしい曲たちをリストに挙げました」との寺岡の発言に続いて、ゆずの「方程式2」が演奏された。ゆずの曲を“義兄弟”の歌とコーラス、ギターとベースで演奏することによって、新たな魅力も見えてきた。寺岡が大好きだという「ぼんやり光の城」は、首都高の横羽線から見えてくる工場群の風景をモチーフにした楽曲で、横浜のご当地ソングとも言えそうな曲だ。伸びやかな岩沢の歌声と寺岡の温かなコーラスとグルーヴィーなベースがいい感じだ。曲に対する演奏者の愛情が楽曲を光り輝かせていると感じた。岩沢からのリクエストで、寺岡の「日々平安」も演奏された。ここでは2本のアコギとハープでの演奏。丁寧な歌とハーモニーからは、日常の日々を生きていくことの尊さのようなものも伝わってくるようだった。日替わり曲のゆずの「灰皿の上から」はバンドも加わっての演奏。どこまでも伸びてゆく岩沢の歌声と広がりのあるバンドの演奏が気持ち良かった。灰皿の上に大空が広がっているかのようだった。
岩沢のソロコーナーでは「3番線」と「春風」が披露された。ゆずの曲をソロで歌う姿が新鮮だった。「3番線」は、客席のハンドクラップと足踏みのリズムに合わせての歌となり、観客とのセッションが実現。「春風」が新鮮に響いてきたのは、岩沢がハモリではなくて、主旋律を歌っていたからだろう。音の高さによって歌声の表情やニュアンスも微妙に変化する。ゆずの「春風」が3月中旬くらいの陽気混じりの風だとすると、岩沢ソロの「春風」は2月下旬から3月初旬の凜とした空気をはらんだ風といったところだろうか。岩沢の声の持っている真っ直ぐな強さと内省的な深みとが、「春風」に新風をもたらしていると感じた。
「南の島に住んでいるブルースの大王を呼ぼう!」という岩沢の呼び込みで内田が登場。末っ子のステージに続いては、父ちゃんこと内田のステージだ。スライドギターによる繊細な調べでの「ムーンリバー」からソロ曲「美らフクギの林から」への流れに、うっとりしてしまった。フクギの林に月の光が降り注ぐ光景が見えてくるようだった。三線を彷彿させる旋律も織りまぜての自在な演奏と滋味あふれる歌声に聴き惚れた。客席から「勘太郎さ~ん!」と声が飛ぶと、「はい、ありがとう」と返事。さらに、加川良のカバー曲である「教訓Ⅰ」とソロ曲「グッバイ クロスロード」をブルースフィーリングあふれる歌とスライドギターで披露。「教訓Ⅰ」の歌詞は今の時代にもリアルに響いてきた。「グッバイ クロスロード」ではブルースギター全開。音楽とは時代を超えて響いてくるものであることを実感する演奏だ。
後半は一家の3人とバンドが勢揃いして、ゆずの「ヒーロー見参」が演奏された。「寺沢勘太郎一家見参」と言いたくなるような熱いプレイの連続だ。Dr.kyOnがグリッサンド奏法を披露したり、岩沢が両手でハープを吹いたり。続いての「始発列車」でもメンバー全員が楽しそうに演奏する姿が印象的だった。岩沢の力強い歌声に、寄り添うように寺岡が歌っている。岩沢のハープ、内田の超然テクニックのブルースギター、Dr.kyOnのカズーなども加わっての自在な演奏が楽しい。「かんちゃん、いってみよう!」「こうちゃん!」など、息の合った掛け合いもからは一家の仲の良さも伝わってきた。憂歌団の「嫌んなった」は、内田のブルースギターで始まり、寺岡と岩沢がブルースフィーリングあふれる歌を披露。それぞれのメンバーのソロ演奏に対して、「待ってました!」「よっ! 大統領!」と声をかけたくなった。本編ラストは1975年にリリースされた憂歌団のデビューシングル「おそうじオバチャン」。内田の歌声に岩沢がハモっている。寺岡が会場内を沸かせるセリフを発している。3人それぞれの個性的な魅力を堪能するとともに、それぞれの個性の融合のおもしろさも満喫した。会場内にはたくさんの拍手と歓声と笑顔。
アンコールは、3人とバンドのメンバー全員での歌と演奏となった。1曲目は寺岡の「酔いどれ天使」だ。寺岡の歌と岩沢のハーモニー、内田のギター、そしてバンドの温かみのある演奏が染みてきた。「みんなに聞きたいことがあります。今日は何曜日ですか?」と岩沢が客席に問いかけると、キャーッ!と歓声が起こった。「水曜日」と答えが返ってくると、「全然関係ないけど、月曜日の歌を歌います」とのことで、ゆずの「月曜日の週末」へ。観客もハンドクラップと歌声とで参加。ブレイクすると、大歓声。さらに「最終日、行くぞ! ゾクゾクするぜ!」という岩沢の言葉を合図に、ステージ上だけでなく、会場内が一丸となっていく。観客全員が寺沢勘太郎一家の一員になったかのようだった。アンコール最後の曲は憂歌団の「スティーリン」。内田の歌声に岩沢と寺岡がハモっている。寺岡、岩沢がリードボール場面もあった。セッション感覚あふれる歌と演奏とが、会場内の全員をハッピーな気分にしていく。「スティーリン」の最後では、内田と岩沢がお互いを指で示して、エンディングの合図をするように促し、譲り合っていた。最後は末っ子、岩沢のギターでフィニッシュ。盛大な拍手と歓声が起こった。一家という名前にふさわしい親密感と一体感の漂うコンサートになった。
「今日で終わるのはさびしいので、リターンズのリターンズがあれば、また会いに来てください」という寺岡の言葉に、「ぜひ!」と岩沢。楽しそうに客席に手を振る内田。一家全員が楽しそうに歌い、演奏する姿が印象的だった。世代を越えたコラボレーションは、ブルース、フォーク、ポップス、ロックなどのジャンルを越えたコラボレーションでもあった。3人の歌声とコーラス、そしてギターの音色の表情の豊かさも満喫した。寺沢勘太郎一家の家紋は、ギター3本をあしらったデザインになっている。ギターによって、結ばれた3人と言えるかもしれない。
“温故知新”という言葉がぴったりなステージでもあった。伝統的な芸能やルーツミュージックへのリスペクトを持ちながらも、趣向を凝らし、聴き手の想像力を刺激する音楽を生み出していたからだ。懐かしさとみずみずしさとが共存するステージだった。3人の温かな人間性ととともに、音楽に対する情熱や探究心や遊び心が、この寺沢勘太郎一家の絆をより固いものにしていると思うのだ。「『ぼんやり光の城』は次もやります」「楽譜、片づけないでおきます」との寺岡と岩沢のやりとりもあった。途中のMCで、内田が「15歳の時に、ロックというものが、同じことを繰り返しながら盛り上がっていくことに気がついた」という趣旨の発言をしていた。寺沢勘太郎一家も、何度でも繰り返して、リターンズを重ねていくことで、さらなる境地へ向かっていくに違いない。巡業の旅はまだまだ続いていくのだろう。