「僕にしかできないことはなんだろう?」ラブソングを書くときに大切にしていること
2019~2020年頃は特に、“恋愛詞バンド大激戦区”みたいな空気が僕らの世代のバンドにはありましたから。「綺麗な歌は僕が歌わなくても、他の人が歌うでしょ」というスタンスでした。「僕にしかできないことはなんだろう?」と考えて、歌詞を書く時の視点をちょっとズラしたり、曲の題名も他のバンドと被らないように気をつけたりしてましたね。
真っ当か………。確かに、自分にとっては考えるまでもなく、当たり前のスタンスというか。例えばライブとかで、「ここに全部置いてけよ」と言われても、「いやいや、明日も仕事だし」と僕は思っちゃうんですよ。「そこまで責任持って救えますか?」と考えた時に、1人2人ならいけても、それ以上は無理なんじゃないかと。だから「大丈夫だよ」って無責任には言わない。コロナ禍に入ってから、家で一人で歌詞に向き合う時間が長すぎるくらいあって。「自分とはまた違う類のつらさを知っている人がいっぱいいるんだろうな」と思いながら、「自分がつらいとき、どんな言葉をかけてほしいのか」ってすごく考えたので……そういうところが「春の中に」には反映されています。
コロナ禍を経て転換点となった「エイド」と、5thミニアルバム『AGAIN』のリリース
そうですね。「春の中に」の頃はそばにいるのが精一杯で、しかも歌詞の中で「あなたが辛い時」とタイミングまで限定していました。だけど「エイド」は、より強い言葉を、意思を、ようやく書けるようになったんです。コロナ禍で初めて、音楽をやるのがつらくなってしまった時期があって。無観客ライブというものが生まれて、ライブをしても反応がないのはつらかったし、感染症対策をしたうえで有観客ライブができるようになってからも……お客さんはマスクをしているから、ステージからだと、目だけが浮かんで光って見えるんですよ。声も出せない空気も相まって、あれがもう怖くて。ほかにも色々タイミングが重なって人の前に出ることや人に会うことすらだめになってしまいました。でもその時に、僕は「バンドやめたいな」じゃなくて「大丈夫になった時に、絶対に曲にして昇華してやるぞ」と思って。「エイド」はその経験から書いた曲。「あのつらかった時間を絶対に無駄にしたくない」と思いながら取り組みましたね。同じ境遇の人や聴いてくれる人が“今”に負けないように、そのすべてを照らせるように、と気持ちを込めた大切な曲になりました。
本当にそう思います。「何者」は「エイド」よりも兼丸自身であり、the shes goneであり、このバンドの本質。「エイド」の歌詞は、バンドマンとしての言葉で書いている部分もあります。だけど「何者」を書いた時は、こびりついている自意識も含めて、「これが自分なんだ」と受け入れ始めたタイミングだったので。無理に落とそうとしても落ちないし、だったら別のことをやらない?っていう。……小さい頃って、サッカーや野球の上手い子がモテたり人気になったりするじゃないですか。だけど自分は別に上手くなかった。誰にも見せるわけでもないけど、家で一人、モノマネの練習とかをしてたんですよ。
いや、それは恥ずかしいじゃないですか。サッカーの試合は、休み時間とか体育の授業でやる機会があるけど、みんなでモノマネし合う場なんてないから。いきなり「モノマネやりまーす」って言い始めるのは、自分には難しい。だけど家で練習していたのは、「何か些細なことでも自分にできることを」という気持ちがあったからだろうし、それが今バンドをやっていることにも繋がっているんですよね。サッカーが得意な人間は、サッカーが上手でかっこいい。じゃあ僕は僕で「僕にしかできないこと」を探して、作ればいいじゃないかと、やっと前向きになれました。「何者」は、近年稀に見る、1時間くらいで書けた曲。ほぼ本音で、書き直しもありませんでした。










