今年3月にZepp Shinjuku(TOKYO)で開催したワンマンライブ「Our Beautiful Things」を皮切りに、結成25周年のアニバーサリーイヤーを迎えたART-SCHOOL。5月には8曲入りのミニアルバム『1985』をリリースし、7月からはワンマンツアー“ART-SCHOOL 25th ANNIVERSARY TOUR 2025 「1985」”で全国9ヶ所を回る。さらには8月に総勢15組のアーティストが参加する初のトリビュートアルバム『Dreams Never End』がリリースされ、10月にはトリビュートアルバム参加アーティストからMONOEYES、PEDROを招いたライブイベント「Dreams Never End vol.1」が開催される。
度重なるメンバーチェンジ、解散の危機、木下理樹(Vo/Gt)と戸高賢史(Gt)による新体制での再スタート、環境作りや木下の病気療養の休止といった様々な紆余曲折を経てたどり着いた25周年。サポートメンバーの中尾憲太郎、藤田勇(MO'SOME TONEBENDER)、ライブサポートのyagihiromi(Cruyff)の協力を仰ぎながら、今もなおART-SCHOOLは自身の美学を貫き、新たな領域を開拓し続けている。今回のインタビューではフロントマンでありメインソングライターである木下理樹に、2025年のART-SCHOOLについて話してもらった。
度重なるメンバーチェンジ、解散の危機、木下理樹(Vo/Gt)と戸高賢史(Gt)による新体制での再スタート、環境作りや木下の病気療養の休止といった様々な紆余曲折を経てたどり着いた25周年。サポートメンバーの中尾憲太郎、藤田勇(MO'SOME TONEBENDER)、ライブサポートのyagihiromi(Cruyff)の協力を仰ぎながら、今もなおART-SCHOOLは自身の美学を貫き、新たな領域を開拓し続けている。今回のインタビューではフロントマンでありメインソングライターである木下理樹に、2025年のART-SCHOOLについて話してもらった。
──ART-SCHOOLは結成25周年のキックオフライブとして、2025年3月にZepp Shinjukuにてワンマンライブ「Our Beautiful Things」を開催しました。ファンからの楽曲リクエストをもとにセットリストを構成したそうですね。
木下理樹(Vo/Gt)普段あんまりライブでやらない曲をセットリストに組み込んだので緊張感がありましたね。昔の曲はキーが高いから。練習はしてたんだけれども、ちゃんとできるのかなという不安はちょっとあったけど。
──作った当初の時点では自分に合ったキーだった、ということですか?
いや、当時から一切そういうのを考えて作ってなくて。キー高いな……って思いながらライブでやってたんだよね(笑)。だからZepp Shinjukuでも無事に歌い切れて良かったし、やっぱり楽しかったですね。来てくださった皆さんのうれしそうな顔を観られたのも良かったです。
──初期曲も多かったので、お客さんのなかには過去の記憶を回想する方も少なくなかったかもしれません。木下さんご自身は初期曲を歌っているときどのような感覚なのでしょう?
昔の自分のことを思い出しながら歌っているニュアンスが近いですね。歌っている最中に、昔の自分が憑依するような瞬間もあるんです。でもそのせいでコントロールが効かなくなる場合も多いので、なるべく今の自分に主軸を置いておく。そうやって思い出しながら歌うから……切ない気持ちになったよね。最近は過去の自分を見守っているようなイメージで歌うことが多いかも。「過去とはいえ自分の書いた曲だし」という気持ちもあるし、同時に過去の気持ちとある程度距離を取らないと、曲ごとにそのときそのときの自分を思い返さないといけなくなるから。
──全曲でそれをやると消耗は激しいかもしれないですね。
作品数が多いから、それをすべての曲でやるのは無理だと思う。だから演奏していたら結果的に当時の自分の感覚が蘇ってきたり、その頃の記憶が呼び覚まされちゃった、ということがあるかもしれないですね。
──Zepp Shinjuku公演でミニアルバム『1985』のリリースを発表し、同作から「Trust Me」を初披露。初期曲から新曲まで網羅するセットリストとなりました。
新曲やるぞっていう感じではあったけど、それまでのセットリストと世界観が違う曲というわけではないから、そこまでスイッチが変わることもなく。いい流れで初披露できましたね。
──確かに大きく乖離することはないですよね。もともと『1985』が、2003年リリースの『SWAN SONG』のようなアルバムを今の感覚で作るとどうなるかという着想から制作がスタートした作品とのことなので。
うん、そうだね。
──さらに木下さんは公式コメントやインタビューで、『1985』は2023年リリースのフルアルバム『luminous』の延長線上であり対になるものであること、『luminous』は2007年リリースのフルアルバム『Flora』をアップデートしたようなアルバムにしたいというビジョンから作り始めたとおっしゃっていました。過去作を起点とした作品制作が続いています。
『luminous』は『Flora』のように開かれた感覚で制作に取り組んでいきたくて。そう思ったのは、その前にリリースした『Just Kids .ep』(2023年)のエンジニアが益子樹さんだったのもあるかな。
──『Flora』は益子さんがエンジニアを担当していました。
その開けたイメージで『luminous』を制作して、『1985』はスタッフやメンバーと「ART-SCHOOLはもともとミニアルバムをよく出しているイメージがあるから、25周年だしミニアルバムを作るのはどうだろうか」と話していて。好きなART-SCHOOLのミニアルバムはたくさんあるんですけど、個人的には『SWAN SONG』の感触が好きで。
──『SWAN SONG』は仄暗さや諦観、ポップネス、ピュアリティなど様々な要素が混在しながらも、どこか虚無感が漂っている印象があります。
曲がいいですよね。あの纏っている空気を目指してみるのはどうだろうというところから始まっていったものの、結果的に『1985』は『SWAN SONG』とは違う質感になって。ただあの当時のめちゃくちゃなダークネスまでは再現できなかった部分もあるけれど。
──そうだったんですか。近年はそういったダークなニュアンスを避けてらっしゃるのかと思っていました。
The Cureの新しいアルバム(※2024年11月リリースの14thアルバム『Songs of A Lost World』。16年ぶりのスタジオアルバムで、“孤独でいること”が作品のアイデアの軸となっている)がめちゃくちゃ悲しくて。こういうアルバムを作ってみたいなと思ったんだよね。でもそういうテイストのものを作るのは、もう少し後かな。
──今年はせっかくの25周年、アニバーサリーイヤーですから。
そうだね。今のART-SCHOOLでただただ悲しくて、喜びなんて一切ない曲を作るのはちょっと違うよなって。『1985』はそのぶん「確かに自分は昔こういうことを感じていたよな」とか、「大好きな人と二度と会えない」みたいな切なさやノスタルジックなところにはいけたかなとは思うんですけど。だからいつかそういうダークなアルバムを作ってみたいなっていう関心はありますね。
──やりたいアイデアが尽きないのは幸せなことだと思います。
やっぱり音楽が好きだからね。普段からいろいろ聴いているし、いい映画を観たりすると「こういう感じのことがやってみたいな」とか「こういう映画のニュアンスを持った曲を作りたいな」と思いますよね。めちゃくちゃ音楽が好きというのは自分自身のアイデンティティでもあるから大事にはしていて。大好きな音楽や映画を作っている人たちへの尊敬の気持ちや憧れは、自分が演者になってもずっと変わらないんですよね。