先日自宅に帰ると、近所の嫁の友達夫婦とたまたま泊まりに来てた僕の姉がみんなで最近の甲斐バンドのライブ映像を観ながらお酒を飲んで盛り上がっていた。姉は昔からの甲斐バンドファンだが、その近所夫婦も甲斐バンドのファンクラブに入ってるそうで一緒に観ようとなったようだ。
それを僕も後ろで観ながら演奏される曲を一緒に口ずさんでいたらある事に気付き自分でも驚いたが、なんと全曲ほぼ完璧に憶えていて歌えたのだった。
なぜ30年以上前の曲の数々を全曲ほぼ完璧に今も歌えたのか自分でも不思議になり、色々思い出したり理由を分析してたら思わぬシンプルな答えが出た。
「歌いやすかったから」だった。
なぜ「歌いやすかった問題」を自分なりに検証してみたが、聴きだしたのが1978年頃で、そんな自分が少年の頃のアーティストを振り返ると、大ファンだった原田真二、そして世良公則とかはどちらかというとアイドルだったしヒットシングル以外は積極的に覚える努力をしなかった。
永ちゃんは洋楽っぽい巻き舌が入ったりきちんと唄うにはプロの歌手的テクニックが必要な歌とアダルトな歌詞なので子供的にパスした。清志郎はご存知の通りとにかくキーが高く子供の僕はキーを下げて歌うワザを持ってなかったのでそもそも鼻歌向きではないと早々にあきらめた。サザンにいたっては、みんなもそうだと思うが早口と英語日本語でいまだ1曲もまともに歌えない。
そして甲斐バンドだが。前出のアーティストたちに比べ歌い方もストレートで、親しみやすいメロディや共感できる歌詞もとにかく全部が憶えやすく歌いやすかった。それにシングルヒット以外の曲も全部歌えたのは、やはり「アルバム」というレコード文化を甲斐バンドくらいから初めて知り、アルバムレコード全曲を熱心に何度も聴いて歌詞カードを見ながら一緒にずっと歌ってたからだろう。
歌いやすかった曲やアルバム初体験は、僕個人のロックの入口だったが、そういう風に甲斐バンドは日本のロックバンドで色んな初挑戦と達成した事がとても多いバンドだった。
ライブツアーでは長い間観客動員数1位を記録し、花園ラグビー場に2万2千人が集まった“暴動寸前イベント”や、2万4千人動員した芦ノ湖畔で初の野外イベント「100万$ナイトin箱根」などの何万人も集める単独野外ライブ、また両国国技館のこけら落としライブや、今では当たり前の大ホールでのオールスタンディングライブというのも甲斐バンドが最初にやりだした事だ。(ちなみに甲斐バンドは品川プリンスホテル・ゴールドホールで観客席は椅子なしのスタンディングという日本初のスタイルでライブを行った)
それと今では沢山のアーティストがやってる他のアーティストの過去の名曲をカバーしたアルバムというのも、甲斐よしひろがソロで38年も前に出している。日本で最初にビジネスとして大成功を収めたロックバンドも甲斐バンドではないだろうか。
そんな数々の歴史の中でもとりわけ1983年の「THE BIG GIG」という今では都庁が立っている場所(都有5号地)で行われた野外ライブは特に伝説で、今では信じられないが現在の新宿の都庁の場所に約3万人の観客を集めてライブを行い、映像も残ってるが見てると、その当時でもかなり無謀な挑戦をしたという事がわかる。
その伝説の「THE BIG GIG」がなんと日比谷の野音で復活するらしい。
当時とまったく同じセットリストでライブを再現するのだそうだ。
みんなが知ってる甲斐バンドの曲というとやはり「安奈」や「HERO」とかになるのだが、僕ら昔からのファン達にとっては「きんぽうげ」や「ポップコーンをほおばって」や「破れたハートを売り物に」やほかに大切な思い出の名曲がまだまだ沢山ある。
それを33年経った今、あの頃のようにまた再びみんなで集まり一緒に歌えるのだ。
夢のようである。