一人の黒人青年の淋しい死から始まり、「ストーハ」「キスミー」などの不可解のキーワードを巡る謎解きを経て、西條八十の詩「帽子」に刻まれた親子の哀しき思い出へ。繁栄を謳歌しているように見える70年代の日本にも、まだまだ戦後占領時代の闇が眼前に横たわっていることを我われに突き付けた、映画『人間の証明』(1977)。角川映画第二作として、1977年10月8日に封切られ、同年日本公開の映画としては、『キングコング』『八甲田山』に次ぐ第3位、前作『犬神家の一族』(1976)の15億を大きく上回る、22億5千万の配給収入を得る大ヒット作となっている。
『人間の証明』(1977)の音楽は、『犬神家の一族』に続き、作曲家:大野雄二が担当している。1977年の大野雄二といえば、今なお新シリーズが作られ続けているテレビアニメ『ルパン三世(第2シリーズ)』(NTV)がいよいよ放送を開始。それとまったく同じ1977年10月に『人間の証明』も公開されるというタイミング。『犬神家』で一躍注目を集めた新鋭の作曲家が、今まさに超売れっ子へ階段を登り始めようという瞬間であった。
大野雄二のルーツはジャズ・ピアニスト。デビュー当時(1966年頃)からしばらくは白木秀雄クインテットや、自身のバンド:大野雄二トリオなどの、いわゆるコンボ編成のモダンジャズを中心とした演奏活動を行っていた。しかし、1970年代に入ると、テレビやCM音楽、あるいは他のアーティストへの楽曲提供やアレンジ、アルバムプロデュースなどの作編曲家活動にシフトしていくことになる。その時期には当然、モダンジャズのみならず、あらゆるポピュラー・ミュージックの技法の試行錯誤が行われていくことになる。またこの時期は、難解さを極め、「プレイヤーのための音楽」に陥っていたモダンジャズが、次代への壁を破るべくもがき苦しんでいた時期でもある。その一つの現れが、電子楽器やロック、クラシック等の要素を取り入れ、あらゆるジャンルの音楽性が交差するジャズを目指した「クロスオーバー」の隆盛だ。大野自身も、70年代前半は様々なアーティストへの楽曲・アレンジ提供の中で、クロスオーバーの空気を存分に吸収していた。同時に『エレクトロ・キイボード・オーケストラ』(1975/日本コロムビア)や、大野雄二オーケストラ『SOUND ADVENTURE ACT.1』(1975/CBS SONY)等で、その成果を形にすることを通じて、徐々に大野独自のサウンドスタイルを築きつつあった。1976年、『犬神家の一族』の音楽の依頼が舞い込んだのは、そんな好機でもあったのだ。
別稿<第3回 『犬神家の一族』における大野雄二の音楽>参照
そして1977年。クロスオーバーは、ディスコやAORなど、同時期に萌芽を迎えていた隣接領域とともに共進化を遂げ、より洗練されたスタジオ・サウンドを信条とする「フュージョン」へと脱皮を図ろうとしていた。大野雄二も、この微妙な時代の風向きを敏感に察知していた。『人間の証明』のサウンドトラックには、大野がクロスオーバーからフュージョンへのシフトチェンジを図ろうとしている過程が、まざまざと記録されている。ましてや『人間の証明』の舞台の半分はアメリカ、ニューヨークであり、描かれる時代は「同時代」である。『犬神家の一族』の音楽と、同じでよいわけがない。
『人間の証明』の音楽というと、ジョー山中の歌うピアノバラードの名主題歌「人間の証明のテーマ」のしっとりとしたイメージがとにかく印象深いが、映画の冒頭では、コミカルなモチーフによるギターセッション曲「ハッピー・フィーリング」や、口笛風のシンセサイザーがメロディを取る「人間の証明のテーマ」のファンクアレンジ曲「我が心の故郷へ」などの明るく乾いたサウンドが物語への道案内となる。この軽やかさこそ、まさしく「フュージョンの時代」の空気。角川映画第二作といえど、『犬神家の一族』の二匹目のドジョウなどではないと、「音」によって最初に強く釘を刺されるのである。
続くシーンは、ファッションデザイナー八杉恭子の煌びやかなファッションショー。ここでは次々とゴージャスな雰囲気を湛えたヴォーカル曲、フュージョン風の曲などが手を替え品を替え、5曲も連続で披露される。オリジナルサウンドトラック盤に収録されているのは、冒頭の1曲、ロリータ・ヤー・ヤの歌う「黒のファンタジー」のみだが、おそらくはどの曲も大野雄二による作編曲。いずれもこれまでに積み重ねてきた、しばたはつみ、弘田三枝子、笠井紀美子らのヴォーカルアルバムでの作・編曲経験が如何なく発揮されている、艶やかな曲ばかり。中盤の「日本デザイン大賞最終選考会」のシーンでも同様に3曲のショー音楽が用意されているが、商品化されたのは「翔炎」1曲のみ。当時からの大野雄二の盟友であるヴォーカリスト:ソニア・ローザが歌っていると思われるハードなファンク曲なども含まれるのだが。いつの日か劇中使用曲がすべて商品化される日を願ってやまない。
また中盤のハイライトである、八杉恭子の息子:郡恭平(岩城滉一)と棟居刑事(松田優作)との、ニューヨークの街並みを舞台にした派手なカーチェイスシーンに流れるのは「死の追跡」。映画『ブリット』(1968)や、『黒いジャガー』(原題: Shaft/1971)もかくやとばかりのアメリカ映画的なカーアクションに対し、大野は、同映画の音楽家:ラロ・シフリンやアイザック・ヘイズのサウンドをも凌駕するような、胸のすくような1977年型フュージョンをぶつけてきている。これも、大野の「クロスオーバーからフュージョンへのシフトチェンジ」を象徴する1曲と言えるだろう。
『犬神家の一族』で大抜擢された新鋭の作曲家が、リズムセクションを前面に出した切れ味鋭いサウンドで新たな映画音楽の形を提示し、『人間の証明』では、クロスオーバーからフュージョンへ抜け出そうとする時代のサウンドを的確に捉え、大野独自のサウンドスタイルの外堀が埋まっていく。『ルパン三世』の開始を迎えつつ、続く『野性の証明』(1978)では、戦争スペクタクルという新たな題材に、サウンドトラック・メーカーとしての全てのパーツが出揃う(別稿<第5回 映画『野性の証明』における大野雄二の音楽>参照)。翌1979年の映画『ルパン三世 カリオストロの城』では、遂に完成の域に至り、テレビ『ルパン三世』も幕を閉じる……… これが、私たちがよく知る「大野雄二サウンド」が完成していく過程といえるのではないだろうか。1976年10月の『犬神家の一族』公開から1980年10月の『ルパン』終了まで、その間、わずか4年。しかし、角川映画によって見出され、『ルパン』に鍛えられたこの時間こそが、その後数十年にわたって光を放ち続ける宝を作り出したのは間違いないだろう。大野雄二ファンにとっても、サントラファン、映画ファンにとっても、まさに「永遠の4年間」なのである。
※楽曲名は、オリジナルサウンドトラック盤『人間の証明』LPレコード(ワーナーパイオニア)による。