映画の上映とオーケストラの生演奏が楽しめる「シネマ・コンサート」が新しい人気コンテンツとして、定着してきている。
僕も去年、あるシネマ・コンサートに行って初体験して本当に感動した。
見るまでは自分の中で、まあこんな感じなんだろう、と何となくイメージをしていたが、体験して、これは全く新しいライブエンタテイメントだ!と興奮してしまった。
僕の友達の映画オタクで音楽も映画音楽とクラシックばかり聞いてる同世代の男は、このシネマ・コンサートにハマってしまい、通いまくっており、自分の趣味とは違うまだ見てない映画のシネマ・コンサートがあった時は、その映画のソフトを購入して何度も見て、無理矢理その映画を好きになってからそのシネマコンサートに行くのだそうだ。
コンテンツの魅力が自分の好みを追い越す逆転現象まで起こしてしまってるその友達のノメリ込み具合には笑ったが、僕も体験したのでその気持ちは凄くよくわかった。
そんなシネマ・コンサートだが、ライブや映画をいっぱい見てきた自分の中で、なぜそこまで新たな感動があったのか?を、自分なりに少し分析してみた。
まずはほんとシンプルなんだが、やはり大スクリーンで、自分の好きだった映画を再び観れるという事だ。
名作映画のリバイバル上映というのは今も行なわれてはいるが、その数はごく限られていて、そんなに頻繁に幾つもの名作がリバイバル上映される事もない。何年か前までは、いわゆる地元の小さな劇場とかで上映されるような事もあったが、もうずっと昔から旧作はみんなレンタルビデオやソフトで自宅で自由に見るし(それも今や映画もスマホでいつでもどこでもだし)、そもそもそんな小さな地元の映画館というものも、そのせいもあり全国的にほぼ無くなってしまった。
シネマ・コンサートに行くと、「ああ、やはり映画は大スクリーンで見るのがダントツで一番楽しい。」という当たり前の事を自分の中で再確認させられる。
自宅のTVやPCで何度も見た大好きな映画を、自宅とは違う劇場という非日常な空間で(いい意味でお金もちゃんと払って)集中して大スクリーンで見ると、その映像の大きさや美しさや迫力に改めて感動させられる。
そしてもうひとつは当然、その映画の音楽が「生演奏で聞ける」という事だが、体験してふと気付いた重要な点は、その映画の音楽の生演奏を聞くというのは、きっとほぼ全員「初体験」だという事だ。
好きな音楽のアーティストは、そのアーティストの作品を聞いて、ライブに行き、その作品の歌や生演奏をライブで楽しむという事ができる。
好きな映画とその音楽は、その作品やサントラを購入すれば自宅で何度でも楽しめるが、その映画の音楽を生で楽しむという事はできない。
どんなカルチャーでも「初体験」というのは物凄く重要だが、その「初体験」をシンプルに実現させたのがこのシネマ・コンサートなのだと思った。
これは体験しないとわからないが、好きな映画の中で流れる自分の記憶の中にも鮮明にインプットされている色んな場面の音楽が、どんな楽器たちでどういうパフォーマンスで演奏されていたのかを初めて目の前で見ると、自分がイメージしていた事と全く違う色んな事が繰り広げられるので、それがホント目からウロコの連続で、驚き感動させられる。そのシネマ・コンサートにハマっている友達は、「音楽はアーティストがどんどん歳をとっていくが、映画は永遠に時間が止まって若いままだからイイ。」と音楽好きな僕に嫌味まで言ってきたが、それもある意味その通りで、あの頃何度も見た大好きな映画と、そこに出てくる銀幕のスター達は時間が止まったままだが、その時流れた音楽だけが、初体験の生演奏で目の前で蘇るのだ。それはまるで過去と未来を行き来するタイムマシーンに乗ってるような不思議な気持ちにさせてくれる。
シネマ・コンサートはただ映画上映と音楽生演奏を組み合わせただけのものではなく、映画と生ライブによる新たな化学反応を生み出した新しいライブコンテンツの発明だったのだ。
今までいつくかの洋画、邦画の名作のシネマ・コンサートが開催されてきたが、昨年、角川映画のシネマ・コンサートが開催されると聞いた時、「ついにきたか」と僕は凄く思った。
70年代後半から日本映画界で、「映画とその音楽」との関係に革命を起こしてきたのが角川映画だったからだ。
「角川映画」と聞いただけで、40代以上の僕ら昭和の世代はみんな、その映画のシーンと同時に音楽が頭の中で流れはじめる。初期の角川作品は、映像より先に音楽の方が思い出されるという人も少なくないと思う。
僕らは「犬神家の一族」と聞くだけで、衝撃的だったスケキヨのマスクや湖畔から出た足の死体の映像と共に、印象的な琴のようなダルシマーと呼ばれる民族楽器のあの不気味かつ切ない弦のメロディーが頭の中に流れ始める。
「人間の証明」と聞くだけで、まず「ママ~~♪」と歌ってしまい、そして宙を舞い落ちる麦わら帽子の映像を思い出す。
「野性の証明」と聞くだけで、鮮烈デビューした薬師丸ひろ子の笑顔のない横をにらんだ表情と、名曲「戦士の休息」を思い出す。
映画、TV、本、そして音楽という、当時は四つしかなかった最大のメディアを見事にミックスさせ、角川映画は日本映画を変えた。
それは当時子供だった僕らの記憶に今も強烈に残っている。
その今も僕らの記憶に深く残る角川映画の最初の三作品のシネマ・コンサートがまもなく行なわれるが、それがあまりにも凄いメンツによる奇跡みたいな内容なので驚いた。
オリジネーターの大野雄二自らが登場し、当時のオリジナルメンバーを含む総勢約50人のオーケストラやバンドと共に、「犬神家の一族」ではダルシマーによる演奏完全再現を行ない、ダイアモンド☆ユカイや松崎しげるがテーマ曲を歌い、トークコーナーにはあの“金田一耕助”の石坂浩二が登場する。もちろん三作品の名シーンの数々も、巨大スクリーンで上映される。いや、ホントに凄いな。
僕はシネマ・コンサートの魅力を、大スクリーンで好きな映画を改めて見られる事と、その音楽の生演奏を初体験できる事だと書いたが、実は最大の魅力は別にもうひとつある。
それはあの当時、映画を見て感動したあの空気を、同じ思いを持ってまた集まった人達と一緒に改めて共有し、互いの思いを確認しあえる事だ。
映像が流れ、演奏が始まると、互いに知らない人同士なのに、そこには何とも言えない同じ時代に同じ映画を好きになった者同士の気持ちで作りあげられる、懐かしくやさしい、愛のある空間が生まれる。
僕はそれこそがシネマ・コンサートの会場に集まった人にしか味わえない、最大の魅力だと思う。