日本映画の歴史を大きく変えた角川映画の記念すべき第1作『犬神家の一族』が公開されたのは、ロッキード事件で世が騒がしかった1976年の秋。10月に東京・日比谷映画で先行公開されて話題をさらい、翌11月から一般公開が始まると、全国的な大ヒットへと至り、原作の小説を書いたミステリー作家の大御所・横溝正史のブームをも呼んだのだった。興行的に大成功を収めたのは、市川崑監督の耽美な映像世界と豪華キャスト、メディア戦略を駆使した活発な宣伝展開はもちろんのこと、音楽を担当した大野雄二の力も極めて大きかったといえるだろう。映画音楽に重きが置かれ、しっかりとした予算が費やされたのも角川映画が成功を遂げた大きな要素のひとつであった。主題曲「愛のバラード」は日本人なら誰もが知るメロディ。サウンドトラック盤はLPと共にシングルレコードも出され、インストとしては異例の売り上げを示したのだが、そのテーマ曲に詞が付けられたヴァージョンがあり、しかもシングル・リリースされていたのはご存知であろうか。
ビクターから出された『犬神家の一族』のシングル「愛のバラード」はサウンドトラック盤の一枚だけではなかった。金子由香利による「愛のバラード」のヴォーカル・ヴァージョンのシングルも出されていたことはよほどの映画音楽マニアでなければ知らない事実である。実際に映画では使われていないイメージソングであり、その後の中古市場での出現率からみても当時ほとんど売れなかったとおぼしい。しかもジャケットデザインも非常によく似ていて、共に横溝作品の書籍カバーで独特の世界観を表現した杉本一文によるイラストレーションの印象が強い。金子盤はジャケ右上に彼女の写真があしらわれているが、イラストに目を惹かれてしまうため、よほど気を付けていないと見逃してしまいがちなのだ。
大野雄二の傑作メロディに詞をつけたのは山口洋子である。五木ひろし「よこはま・たそがれ」や、中条きよし「うそ」など、歌謡曲のヒットを数多く手がけていた女流作詞家。女性目線が重要な作品ならではの指名であったろうか。アレンジは神保正明が手がけている。そして歌ったのはシャンソン歌手の金子由香利。歌詞カードに記載されているプロフィールによると、佐藤美子に師事したシャンソン界の草分けのひとりで、エディット・ピアフの激情よりもコラ・ボケールの詩情を歌いたいとある。なるほど、彼女の歌には決して派手さはないが、心に訴えかけてくる深い情感がある。映画関連では、倉本聰の初監督作品となった86年の『時計 Adieu l'Hiver』の主題歌に金子の歌う「時は過ぎてゆく」が使われたのが印象に残っている。深潭たる雰囲気が漂う「愛のバラード」の歌い手には最高の人選だったといえる。
B面の「仮面」はやはりサウンドトラックに使用された旋律をベースとした、同じ作家陣による作品。劇中で重要な役割を担う犬神佐清が、とある事情から白いマスクをつけていることに由来するタイトルで、映画と関係なく歌謡曲に置き換えても意味のある歌となっているのは流石である。人間の本質が鋭く抉られた台詞部分が特にインパクト大。金田一シリーズ関連の歌ものでは、『女王蜂』(78年)の「愛の女王蜂」(歌・塚田三喜夫)、テレビ版『横溝正史シリーズ』(77年~)の主題歌「まぼろしの人」「あざみの如く棘あれば」(歌・茶木みやこ)などがあるが、金子版「愛のバラード」はそれらの先駆けであった。なお、金田一耕助役の石坂浩二には、慶應の同期だった大野雄二が指揮するオーケストラをバックに詞を朗読した「音楽と幻想」シリーズのレコードがあり、今回の角川映画シネマ・コンサートはその辺りも踏まえて臨むと価値ある機会であることがさらにお解りいただけよう。