1970年代半ばに登場した映画業界の風雲児:角川映画。出版社である角川書店を基盤に(実際は角川春樹事務所名義)制作される映画として、「本を売る」ことを前提とした大胆なメディアミックス型の広報展開で注目を集めたが、音楽戦略の斬新さも、それに負けないほど異色なものであった。1976年10月公開の『犬神家の一族』は、角川映画第一回作品。既に海外映画祭でも多くの受賞歴を誇っていた名監督:市川崑、横溝正史の濃密な原作、日本を代表する俳優陣による豪華なキャストなど、これらの重厚すぎる座組みを受け止めるだけの音楽の器を考えれば、映画音楽制作を何度も経験したベテラン作曲家が信任されるのが筋だろう。しかし、この大役を担うことになったのは、当時若干35歳のジャズ・ピアニスト。テレビドラマやCM音楽の仕事を始めてまだ5年あまり。映画音楽の経験に至っては、郷ひろみ主演の『さらば夏の光よ』(1976/松竹)の1作のみという新鋭であった。その名を大野雄二という。
映画『犬神家の一族』のために大野雄二が用意した音楽とは、日本の映画音楽の常識を超越した、斬新極まるものだった。古き因習と怨念に囚われた山村、横溝正史の描くおどろおどろしい作品世界を想えば、その雰囲気を表現するために和楽器がずらりと並ぶかと思いきや、ストーリー上で大きな鍵となる「琴」が現実音として登場するのを除けば、唯一、「琵琶」が使用されたのみという潔さ。また、22名からなるストリングス、ホルン3、フルート3、トランペット、オーボエ、ハープ等の編成を揃えつつも、大御所作曲家が用いるようなクラシカルな、あるいは現代音楽的なアプローチを取ることもなかった。代わりにそこに組み立てられたのは、いわゆる「ファースト・コール・ミュージシャン」と呼ばれる、ジャズ、ロック、ポップス、歌謡曲などのレコーディングに際して必ず最初に声のかかる当時第一級のスタジオ・プレイヤーたちによる、不思議な「国籍不明感」に彩られたセッション・サウンドだった。
映画のクランクアップ前に作曲・録音も既に終えられていたというほどの「決め打ち」で作られた、有名なメインテーマ「愛のバラード」。その旋律を奏でるのは、中東を起源にヨーロッパで発達したといわれる古典打弦楽器「ダルシマー」(演奏:生明慶二)だ。この透き通るように繊細で、それでいて遠くまで突きささるような鋭い響きが、墨一色に明朝体の白文字だけが浮かぶ、あの鮮烈なオープニング映像の気品を、映画全体の格調を、ひいては物語の核心である哀しき愛の形を、どれほど的確に表現していたかは、映画本編を体験したことのある方には、もはや説明する必要のないことであろう。
そして、この「愛のバラード」にも、続く数々の劇伴音楽にも、しっかりと刻まれているのが、ドラム(演奏:市原康)、エレキベース(演奏:高水健司、岡沢章)、エレキギター(演奏:杉本喜代志、直居隆雄他)、エレキピアノ(演奏:大野雄二他)といった、70年代型最新鋭のリズムセクションの爪痕である。深めにコーラス・エフェクトのかかったエレキベースの唸りが緊張した空気を醸し出し、キラキラと光るエレキピアノの音が粉のように振り掛けられる。あるいはショッキングなシーンには、ドラムソロが荒れ狂う……など、『犬神家の一族』の音楽が描きだすある種独特な「香り」には、常に職人的なリズムセクションの仕事が行き届いている。
それまでにも『白昼の襲撃』(音楽:日野皓正/1970/東宝)、『ヘアピン・サーカス』(音楽:菊池雅章/1972/東宝)など、ジャズミュージシャンと日本映画音楽との邂逅は幾度もあったが、そこで求められていたのはスリリングなアドリブ・プレイを基本としたコンボ編成の「ジャズ」であった。しかし、『犬神家の一族』で大野雄二が産み出したのは、ジャズそのものではない。ジャズの知見を基にした「新しい何か」だったのである。映画のテーマや登場人物の感情を直接的に表現するようなメロディでも、フィルムとしのぎを削るかのようなジャズ的インタープレイでもない。それは、大野雄二と新鋭ミュージシャンたちがセッションの中から紡ぎだす、世界中のどの音楽ジャンル名にも当てはまらない、極めて個性的な「サウンド総体」という形で、『犬神家の一族』のフィルムの中に融け込むことになる。
これらの新しい音には、さしもの市川崑もやはり当初は面食らい、大野に対してダメ出しをしたそうである。しかし、市川よりも年上で、このレコーディングでもコンダクターを務めていた大ベテランの映画音楽指揮者:吉沢博が、「あんたねぇ、大野さんに任せたんなら現場でごちゃごちゃ言いなさんな!」と、一言ピシャリ。日本映画音楽の「真の父」と称される名指揮者:吉沢博という、誰よりも心強い味方の登場は、若き大野雄二の心を救っただけでなく、80年代へと向かう日本映画音楽の行く末をも掬い取ったのかもしれない。
映画評論家の河野基比古は、LPレコードのオリジナルサウンドトラック盤『犬神家の一族』のライナーノーツにおいて、「この音楽から、新しい日本映画の胎動を聴きとることができる。日本映画が音の面からも、新しい世代へ向けて変容していかなければいけないのは、当然なのである」と記している。映画音楽専門の作曲家で、映画音楽専門の楽団で、映画音楽らしい「劇伴」を作りあげるという常道が、大きく打ち破られることになった『犬神家の一族』音楽の存在感と、その後の日本映画音楽の進化を想えば、まさしくこの予言は成就したのだ、といえるだろう。余談になるが、主演の石坂浩二と大野雄二とは、慶應義塾高等学校および大学を通じての同級生であったいうのも、不思議な運命の糸を感じざるを得ない。
そして、映画『犬神家の一族』公開からちょうど1年後の1977年10月には、TVアニメ『ルパン三世 (第2シリーズ)』の放送が始まる。『犬神家』で掴んだチャンスと手法を活かし、『ルパン』でTV音楽、アニメ音楽にも革新を起こした大野雄二が、現在もなお、その独自の個性と音楽スタイルを堅持したまま第一線で活躍中なのは、広く世に知られているとおり。そして、『ルパン』開始とまったく同じ1977年10月には、角川映画第二回作品『人間の証明』も封切られる。その音楽を手掛けるのも、やはり大野雄二なのである。