トレモノが語る、ふるさと石垣島&西表島での思い出

スペシャル | 2017.10.31 18:00

トレモノ

インタビュー撮影/東美樹

トレモノが語る、ふるさとの思い出とは?

イケコ
編集部:みなさんのふるさと、石垣島と西表島での思い出を教えてください。

 

狩俣匠吾(Dr) まず、石垣島に住んでる人たちの感覚からすると、15分歩いたらむちゃくちゃ遠いんですよ。

木田龍良(Vo&Gt) わかりやすく言うと、300メートル先のコンビニにクルマで行く感覚なんです。 で、僕の家はユーグレナモール、公設市場の近くだったので、観光客の人たちと触れ合って育ったんですね。 だから……石垣島っていうと、海がきれい、空が青いってイメージでしょうけど、俺からすると「いろんな人がいるなあ」っていうのが街の印象です。台湾の人とか、中国の人とか。週イチで大きい船が漁港に入って来て──。

仲間全慶(Ba) あれすごい人数だよね。

木田 1000人くらい来るのかな。街を歩いていても、石垣の方言よりも中国語の人の方が多かったりとか、子供の頃から。台湾から移住してきた人の家族で、台湾と石垣のハーフの子とか。

狩俣 同級生で多いよね。

木田 だから、台湾から流れてきている文化も多いのかもしれない。 子供の頃は「なんにもないのに、何しに来るんだろう?」って思ってました。海が青いのもあたりまえだし、空が近く感じるのもあたりまえだし、空気がきれいなのもあたりまえだったから。自分たちが生まれ育ったところが、こんなにすばらしい場所だったんだ、っていうのは、東京に出て来てから思いましたね。 あとは、住んでる人の助け合いの精神とかも。困ってる人がいたら助ける……沖縄では模合(もあい)っていうのがあるんです。友達何人かで集まって、みんなでおカネを出し合って、困ってる友達に回していくっていう。

[左から]狩俣匠吾(Dr)、木田龍良(Vo&Gt)

仲間 あと、あたりまえのように音楽があふれてますね。近所のおじちゃんとかも普通に三線弾けたり、ギターを弾いていたり。

木田 まさに歌の島って呼ばれてるとおりで。沖縄の人は、自分の流れがいい時も悪い時も、つねに音楽がそばにあって、それで乗り越えてきた……戦争もそうだと思いますし。 だから歌の島だって呼ばれるんだと思うんですね。自分たちが歌の島から出て来たっていうことを自負して、歌を歌っていきたいな、いろんな人に届けていきたいな、と思いますね。

難波良(Gt) 西表島はですね、ひとことで言うとジャングルですね。
僕がいた当時は、ゲームボーイとか、プレイステーションとか、スーパーファミコンが流行った時代だったんですけど、誰もそんなことをせず、海で遊んでいたというか。ほんとに海ですべてを学んだというか。

[左から]仲間全慶(Ba)、難波良(Gt)

仲間 ギターやってなかったら、釣りのプロになろうと思ってたんでしょ?

難波 ルアー・フィッシングのプロになりたくて。将来はトーナメントに出て生計を立てようと、本気で思ってました。なので、釣り糸に消しゴム付けて投げる練習とかやってて。僕の家の周りの電線には、消しゴムがいっぱいぶら下がってる。

仲間 目印になるね。でも、街の特徴じゃないね(笑)。

難波 あ、街の特徴は……もとから住んでいる人よりも、移民が多いんですよ。僕が住んでいた村は、ほとんどがナイチャー(本土の人)ですね。
僕も両親、ナイチャーなんですよ。金沢の出身で、結婚して、西表に行ったら気に入って、「ここで商売やろう」って住み着いた人たちです。

イケコ
編集部:難波さんの「海ですべてを学んだ」という西表島。いつか行ってみたいです!
みなさん、ありがとうございました!

 

■『island island』 Teaser

 

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