本多 真央(Vo/Gt)僕は、高1の時に、地元・大阪のJACK LIONっていうライブハウスで、ドラマーとして初ライブをしましたね。コピーバンドで。高校1年生の時に軽音部に入って、もともとギターをやってたんですけど、ギターって人数多くて。そういう時、「いいよいいよ」って他の人に譲ってしまう性格なので。
ドラムだけいなかったんで、やったことなかったのに「いいよいいよ、ドラム、やるわ」って、それで初ライブっていう。軽音部やったら部室とかでライブするかなと思うんですけど、いつの間にかライブハウスでのライブが決まってて。
ライブハウスも行ったことなかったんで、初めて行ったライブハウスが出演っていう。しかもやったことないドラムで。メンバーもバラバラで、ヴィジュアル系のギターの子と、ちっちゃい女の子のボーカルと、むちゃむちゃガタイのいいベースと、俺っていう。
「白薔薇」っていうバンド名で4曲ぐらい木村カエラさんの曲とかをやってました。笑
ドラムだけいなかったんで、やったことなかったのに「いいよいいよ、ドラム、やるわ」って、それで初ライブっていう。軽音部やったら部室とかでライブするかなと思うんですけど、いつの間にかライブハウスでのライブが決まってて。
ライブハウスも行ったことなかったんで、初めて行ったライブハウスが出演っていう。しかもやったことないドラムで。メンバーもバラバラで、ヴィジュアル系のギターの子と、ちっちゃい女の子のボーカルと、むちゃむちゃガタイのいいベースと、俺っていう。
「白薔薇」っていうバンド名で4曲ぐらい木村カエラさんの曲とかをやってました。笑
以登田 豪(Ba/Cho)・オザキリョウ(Dr)ははははは!
本多ヴィジュアル系の子が持ってきた名前がそれで。「白薔薇」って……と思いつつも、「いいよ」って。そのライブをやって、「俺、ドラムじゃないな」と思って、ギターに戻りました(笑)。
オザキ僕は、高校に軽音楽部がなかったんで、バンドを始めたのが卒業間際ぐらいで初ライブは神戸のVARIT.というライブハウスですね。
先輩のバンドのドラムが抜けて、サポートで最初にスタジオに入って音を合わせた時に「はい、じゃあもう正式メンバーな」って言われて。初ライブに向けてオリジナルを作って披露したのを覚えています。メンバー全員THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが好きだったので、スーツにソフトモヒカンみたいな感じで、髪立ててやりました。笑
先輩のバンドのドラムが抜けて、サポートで最初にスタジオに入って音を合わせた時に「はい、じゃあもう正式メンバーな」って言われて。初ライブに向けてオリジナルを作って披露したのを覚えています。メンバー全員THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが好きだったので、スーツにソフトモヒカンみたいな感じで、髪立ててやりました。笑
以登田全部オリジナル?
オザキうん。5曲ぐらいやったかな。
本多初ライブで全部オリジナルって、すごいな。
オザキいや、でも、曲名すごいよ? 「サンダーボルト」とか、そういうのよ?
本多・以登田はははは。
オザキすっごい中2くさい。でもそれはそれで、楽しかったけど。
以登田僕が人前で初めて演奏したのは高2ですかね。僕が中学の同級生でバンドを組んでいたんですけど、友達のお母さんがカラオケ喫茶を貸し切ってカラオケ大会を開催して
そこでライブをしたのが初めてですね。アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)の曲を、3曲ぐらいやりました。
そこでライブをしたのが初めてですね。アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)の曲を、3曲ぐらいやりました。
以登田で、ライブをバーンてやり終わって、おっちゃんたちが「いぇーい!」って(笑)。
本多客層に合ってへん。誰にアジカン聴かしてんねん。
以登田それまで、バンドを組んでてスタジオには入ってたんですけど、人前で演奏する勇気がなかなか出んくて。そういうきっかけをもらって、やっと「じゃあ、やってみよう」という感じでしたね。
本多楽しかった?
以登田楽しかった。そこで人前で演奏する楽しさに気づけて、ライブハウスに出て行くようになりましたね。
──アジカンはなんの曲を?
以登田ええと、「フラッシュバック」と、「羅針盤」と、あと1曲……「未来の破片」やったかな。「羅針盤」は、ボーカルがギター弾きながら歌えないと言うので、僕が歌いました。
本多大盛り上がり?
以登田大盛り上がり。
本多ははは、ええなあ。
──ちなみに、この3人で初めて立ったステージは?
本多この3人での初めては、2018年の『MINAMI WHEEL』という大阪のサーキットイベントですね。
憶えてないくらい緊張して。初ライブが『MINAMI WHEEL』っていう、昔からある由緒正しきサーキット・イベントやったっていうのもありますし、サーキットやから、初ライブなのにリハがない、っていうのもありましたし──。
憶えてないくらい緊張して。初ライブが『MINAMI WHEEL』っていう、昔からある由緒正しきサーキット・イベントやったっていうのもありますし、サーキットやから、初ライブなのにリハがない、っていうのもありましたし──。
──あ、フェス形式でいっぱい出るイベントは、そうですよね。
以登田そもそも、ドラムのオザキと出会ってすぐだったので一緒にスタジオに入って、まだ1ヵ月も経ってなくて。もうとにかく、全員必死やったんで……5,6曲やったんかな。
本多もう、わけわからんままステージに立つ、っていう。「これでいいのか?」みたいな状態のまま。でも、やりきるしかないし。オザキが一番大変やったと思う。
オザキうん。2~3日研修して、「じゃあきみ、明日から海外赴任ね」って言われるみたいな(笑)。まず、シンプルに、バンドに入って初めてやるライブでリハがないって、きついじゃないですか?
本多しかもその日はステージに幕があって。セッティング中、PA卓も見えないんですよ。PAさんとアイコンタクトがとれなくて、ほんまにあれは大変でした。必死でした。
──お客さんはいました?
本多それが、幕が開いたら、お客さんがめちゃくちゃおって。
以登田そのプレッシャーもエグかったですね。だから僕、セッティングしてる時の記憶はあるんですけど、ライブが始まったあとの記憶が全くないんですよ。たぶん必死すぎて。
本多俺も本番中の記憶だけ抜け落ちてる。必死にやりきったという感覚しか憶えてないです。しかも、初めてオザキがドラムを叩くライブでもあったんですけど、マネージャーさんもその日に初めてライブを観に来てくれてて、そっちにも緊張しつつ。わけわからん状態で、ライブを終えましたね。