編集部:BuZZのみなさん、初めてステージに立ったときのエピソードを教えてください!
KENSUKE俺ら(清水謙太・KENSUKE兄弟)は、俺が中3で──。
清水謙太俺が高2の時に、新宿のライブハウスで。
KENSUKEお客さんなんか誰もいなくて、ノルマ自分たちで払って、お母さんとお祖母ちゃんが観に来てくれて、みたいなところでやったのが初めてですね。まわりから見たらただのカラオケみたいな感じだったでしょうけど、僕の中では、中学生ながらに「みんなとは違うぞ!」みたいな感じで、テンションが上がったのを憶えてますね。
──ツイン・ボーカルで、バックトラックを使ってのライブ?
KENSUKEそうですね。
謙太何歌ったっけ?
KENSUKECHEMISTRYの「PIECES OF A DREAM」。まだ僕が声変わりもしてなかったんで、甲高い声で(笑)。
勇士俺が観たのはその次のライブ? 3人になって最初のやつ。
謙太そう、そのあとふたりでもう一回やってから、ひとり入って3人になったんです。その初ライブ。
勇士club asiaで観たのを、僕、憶えてて。確か、久保田利伸さんの「LOVE RAIN ~恋の雨~」を歌ってた。
KENSUKEそうそう。緊張しました。そうだ、俺らÜ-SAYの初ステージ、観てる。
Ü-SAYそうなんですよ。僕が、シンガー・ソング・ライターみたいになりたいと思って、曲を書き始めて、初めて立ったステージが、池袋のmismatchってライブハウスで──。
謙太俺らも一緒に出てた?
Ü-SAYうん、同じイベントだったと思う。それ、先輩のライブに出させてもらった時で、このふたりと共演して。そのあと勇士さんの主催するイベントに出て──。
KENSUKEだから同じ界隈だったんですよ。
謙太その3人でやってた時、俺らのワンマン・ライブのオープニング・アクトで出てもらったりして──。
KENSUKEそうだ!
謙太その時、お客さんひとりも呼ばなかったんですよ、Ü-SAY。
勇士俺のイベントに出てもらった時も、お客ひとりも呼ばなくて。俺、一回、怒りましたもん。「おまえ、イベントに出るんだったらお客さんひとりぐらい呼びな!」って。まさかその後、一緒にやるとは思ってなかった(笑)。
──じゃあ勇士さんは、そのへんを束ねてたイベンターみたいな感じだったんですか?
勇士イベントはやってましたね。僕、もともと富山と金沢で、ダンス・イベントとクラブ・イベントをやっていて。で、東京に来て、渋谷のVUENOSで3ヵ月に一回ぐらいイベントをやって、たまにclub asiaでもやっていて、その時に出会った仲間たちで作ったのがBuZZなんですね。
──じゃあ勇士さんの初ステージは地元で?
勇士そうです。富山の小さいハコ、100人入れるか入れないかくらいのDANKEってクラブがあって、そこで初めてライブやりました。地元中のワルたちが集まるようなハコで、心細かったのを憶えてます。相方がいて2人組だったんですけど。東京は今、カバーでもクラブに出られるじゃないですか。でも富山って……クラブに音源とか持って行ったら、「オリジナル曲がないと出せない」って言われて。それで、初めてオリジナル曲を作りました。16の時ですね。
編集部:BuZZの骨太なパフォーマンスは、ライブハウスで培われたものなんですね!
BuZZのみなさん、ありがとうございました!
BuZZのみなさん、ありがとうございました!