インタビュー/長谷川 誠
寺岡呼人、桜井和寿、ゆず、K、そしてさだまさし。この5組のミュージシャンの集合写真を見ているだけで、ついついこっちまで、顔がほころんでしまう。彼らが同じ場所に一緒にいることを楽しんでいることが伝わってくるからだ。来年2月7日、寺岡呼人の50歳の誕生日に武道館で開催されるバースデーライブ『50歳/50祭』のステージでもこのメンバーが結集することになる。寺岡呼人プレゼンツで、3世代を音楽で繋いでいくという趣旨のもとで開催されている『Golden Circle』とはまた違う形で、音楽の素晴らしい魔法をたくさん体験できるステージになっていくのは間違いないだろう。バンドマン、ミュージシャン、作詞家、作曲家、編曲家、プロデューサーとして、精力的に音楽活動を展開してきた寺岡に、50歳という年齢について、そして来年の武道館でのコンサートについて、聞いていく。
──もうすぐ50歳を迎えますが、50歳という年齢にどんなイメージを持っていますか?
僕が33歳だったころ、忌野清志郎さんの30周年の武道館に出させていただいたんですが、その時、CHABOさんが「俺たち、もうすぐ50だってよ、キヨシロー」っていった言葉がとても印象に残っているんですよ。自分が中学高校とずっと聞いていたRCサクセションのメンバーが50なのかって、こちら側の一方的な感慨がありました。僕にとっての50は、あのときのお2人のイメージが強いので、自分もそういう時期に近づいたんだなというのは思っていますよね。その体験がなかったら、そこまで実感することはなかったと思います。実際に何かが変わるわけでもないですし。70台で現役でがんばってる社長さんから「50なんてまだまだだぞ」って言われたことがあるんですが、きっと「まだまだ」と「もう」の両方があるんだろうなと思っています。「これからが働き盛り」と年上の方が口をそろえておっしゃるので、そこは間違いないんだろうなというのもあるし、不思議な感じがします。
──去年リリースされたアルバム『COLOR』の中の「秘密戦隊☆ゴジュウレンジャー」に“また戦ってみないか”という歌詞があります。50代になっても、挑んでいくんだというアグレッシヴな姿勢が伝わってきました。
ロックンロールが出てきたときのプレスリーやジーン・ビンセントって、ティーンエイジャーか二十歳そこそこだったと思うんですが、年を重ねたときにも、その時々のリアルなものを歌うのがロックなんじゃないかなと自分では解釈しているんですよ。30なら30のロックがあるし、40なら40、50なら50のロックがあるはずで、それを伝えるのが本当のロックじゃないかと自分では思っているので、あえてそういうことを題材にして作るケースが多いんじゃないかと思います。
──デビューしてソロからでも25年。JUN SKY WALKER(S)に加入してからも30年近い月日がたっています。この年月についてはどのように思われていますか?
JUN SKY WALKER(S)に入ったのが二十歳だったので、来年が30周年ですね。自分はもともと飽き性で、何をやってもあまり続かなかったんですが、唯一続いているのが音楽なんですよ。“好きこそ物の上手なれ”じゃないですが、単純に、音楽が好きだったから、ここまで続けてこられたんだろうなと思っています。ただし、好きなことを続けるのって、楽しいことばっかりじゃないんですよ。1、2割は楽しくて、7、8割は大変という。休みなくずっと続けてきたのは間違いないので、ここまでこうしてやってこれたのは幸せなことだと思ってます。
──バンドマン、シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、プロデューサーと、様々な形で音楽活動を展開してきました。このことについては?
プロデュースに関してはいろんな発見があるし、刺激やヒントをもらえるので、勉強になるし、自分の中では音楽活動の全部が繋がっているという感覚があります。ただ、それはたまたまそういう巡り合わせだったというだけで、計算したわけでもなんでもなくて。運が良かったんだなと。振り返ってみると、仕事という感覚というよりも、おもしろそうだからやってみようというスタンスが自分を作ってきたんだと思っています。桜井(和寿)ともデビューする前からの友達で、一緒に曲を作ったのも仕事でもなんでもなかったですし、最近のことで言うと、はなわくんの「お義父さん」という曲も、去年、彼から「奥さんへのサプライズの曲を作りたいんですよ」って相談されて、じゃあってことで作った曲でしたし。おもしろそうだからなんかやろうよというのが自分の生命線ですね。そういう気持ちをなくしたら、ダメなんだろうと思っています。